「イザベルの人形」の物語
ドラクロワ家の女主人、イザベルの部屋から消えた人形「レノ」。
人形は間もなく彼女の手に帰る。
強い憎しみと目的を携えて。
イザベルが商人から買い取った精巧なドール。
それは彼女と商人、それから彼女のコレクションが並べられている人形部屋に出入りが許されている数少ない使用人……
使用人ノエルとその他片手で数える程の人間にしか知られていないものだった。
主人ギヨームはもともと大の人形嫌いで、イザベルとの不仲の原因の一つもこのギヨームにとっては不気味な収集癖であった。
ただでさえ人形を毛嫌いするギヨームが、人と同じサイズの、人と見まごうような作りのドールの存在を知ったらどう思うだろうか?
それも、彼女が好んで傍に仕えさせている使用人ノエルと似たような容姿の人形を。
ギヨームはイザベルを愛してはいなかったが、この屋敷の主人として、イザベルの夫としてのプライドはある。
妻のイザベルがギヨームには近寄らず、人形や親族に売られた使用人に夢中になっているのを、周りに知られたらどうだろうか。
きっとイザベルの数多のコレクションも、誰が作ったかも謎に包まれている不思議な人形も、みんな焼き払われてしまう事だろう。
だからイザベルはこの人形の存在だけは隠し続けた。
自分だけの人形、彼女がこの人形につけた名前は「レノ」。
双子のようなノエルとレノは、彼女にとってどんなに希少な宝石や流行りのドレスも適わない。
満足げに目を細めて見つめる姿は、今までイザベルに「使われ」てきたノエルにさえ、狂気的で不気味であり、恐怖を植え付けた。
「使用人ノエル」は足の怪我の後遺症で苦しみの末に死んだが、イザベルはギヨームによって苦しむノエルの病床にも立ち入りを禁じられ、その死に立ち会う事を許されなかった。
正しくはノエルはクオレマの呪いによって死に至ったのだが、それは彼と人形にしか知りえない事。
イザベルは自分の行いを激しく後悔した。
ああ、私がノエルをこの屋敷から逃げ出せぬように傷つけた足が、まさかノエルを殺してしまうとは。
少なくともその仕事をあんな信用のならない者たちに任せるべきではなかった。
私にはほかに方法があっただろうに。
イザベルはノエルとレノの〝足〟をお揃いにしてやりたいという、狂気に取りつかれた欲望でノエルの片足を使えなくしたのだ。
「レノ、あなただけはノエルの代わりに私のそばにずっといて頂戴、お願いよ」
イザベルはレノの座る椅子のそばで泣き伏し、そのうち眠りについてしまった。
翌朝イザベルが目を覚ました時、その椅子にレノの姿はなかった。それどころか、部屋のどこにも。
馬鹿な、この自分だけのコレクション部屋には内側から鍵をかけてある。
自由に出入りできるようにノエルだけに渡していた合鍵も、今は自分の手元に返ってきているはず。
イザベルは金の装飾が施された化粧箱を急いで確認する。ない、ここにしまっていたノエルの合鍵が。
取集部屋を出て寝室、居室を急いで見て回る。
鍵は開いていたが、荒らされた形跡はない。そしてレノの姿も痕跡もどこにもなかった。
イザベルは一夜にしてノエルとレノ、この世のなによりも寵愛していた者を同時に失った。
盗まれたにしては状況はどう考えてもおかしい。
自分だけの秘密の部屋に隠していたノエルの合鍵を、そしてレノを、すぐ傍らで寝ていた自分に気づかれずにどうやって持ち出すことができるだろうか。
それにレノは秘密の存在、使用人たちに命じて公に探すわけにもいかなかった。
その日からイザベルは一日中暗い顔でぼうっと過ごし、時には涙を流して神に祈った。
どうかレノだけでも私のそばに返ってきてほしい。
ノエルがいなくなってしまったのなら、私にはもうあの人形のことしか考えられない。
事情を知らない他の使用人たちには、ノエルの死をいつまでも悲しみ、彼の魂が天の国で安らかに眠ることを祈る心優しき夫人に見えた事だろう。
嘆き悲しむイザベルの元に『それ』がやってきたのは突然だった。
ノエルとレノを失った彼女は近頃ではもう庭園に散歩に出ることや、着飾ってパーティーや観劇に出かけることもなく、お抱えの商人から珍しいドールを買い付けることもなくなった。
ドラクロワ家に嫁いできてからもずっと若々しく華やかで美しかった夫人は、その顔からは笑顔は消え、地味なドレスを纏い、まるで未亡人のような佇まいであった。
その姿はもちろん夫ギヨームを苛立たせたが、何かあれば嫌味の一言や口答えの多い気の強かったあのイザベルが、何も言わずに部屋へ引きこもってしまった事にはギヨームも驚きを隠せなかった。
いくらお気に入りとはいえ、たかが孤児の使用人の一人が死んだくらいで……
ギヨームが知ることになるのはもう少し先であろう。
その死者が、やがて自分の元にやってくることを。
あの日からイザベルはレノが使っていた椅子をベッドサイドに置き、目を覚ました時急に彼が返ってくることを夢想しながら眠るようになっていた。
あれからどれほどの時間がたっただろうか、ノエルが死んだのは朝まで大雪で、ギヨームに隠れて医師を呼ぶことも叶わなかった。
雪が解け、庭園には花が咲き、新しい孤児たちが雑用の使用人として何人も奉公にやってきた。
イザベルは彼らにはあまり姿を見せず、窓辺から悲しげにうつむく姿を目撃されて、奥様は病気なのだと噂されていた。
そうね。こんなに苦しい病は生れてはじめてよ。
悪名高く醜いギヨーム・ドラクロワに無理やり嫁がされた時よりも、
癇癪持ちのギヨームを怒らせて、母に貰った美しいドールを焼き捨てられた時よりも。
医師に勧められた睡眠薬をあと何錠か、これで眠りに落ちようとベッドサイドの水差しに手を伸ばした時。
薄明りの中イザベルはその気配に気が付いた。
彼がいつ帰ってきてもここに座っていられるように、愛した人形のために作らせた黒い椅子。
そのすぐそばで横になっていたのに、そこに何の気配も感じなかった。
しかし今、何者かがそこに座っている。背もたれに力なく寄りかかり、頭を下に向け、その手元には黒い杖。見覚えのある、そのシルエットにイザベルは何の疑いもなく歓喜の声をかけた。
「レノ……帰ってきてくれたのね、レノ!」
イザベルはなりふり構わずベッドから身を乗り出し縋りつこうとしたが、その人形は突如動き出し、杖を彼女の首元に当てて制止した。
イザベルは驚き、ベッドの奥に後ずさる。
私のレノはこんなことをしない、この私に杖を向けるなんて。
イザベルは震える手で、ガチャガチャと音を立てながら燭台に灯を灯した。
しかしそこに映し出されたのは、間違いなくイザベルのレノ。
ノエルにうり二つの長い黒髪に白い肌、いつも憂いを帯びていたその表情。
「レノ…?レノでしょう?ああ、私はどうかしてしまったのかしら、レノが帰ってきて、動き出すなんて、どうして……」
夫人は混乱していた。
驚くべきことが二つも三つも、同時に起きたのだ。強い薬のせいで幻覚や夢をみてしまっているのか、現実におこっていることなのか。
なぜレノは自分を拒絶するような真似を?今までどこにいて、どうやって気配もなくこの部屋に?
どうしたらいいかわからないといったようなイザベルにレノは杖の持ち手を突き付けながら、今度は言葉を操りだした。
「私はクオレマ。あなたがレノと呼んでいた人形の本当の名です」
「クオ……」
聞きなれない言葉だ。この人形を買った時、商人はこのアンティーク人形には名前も作者の刻印もないと言っていた。
だから好きな名前をつけて最上のコレクションとしていた。
それよりもこの夫人を驚かせたのは、その声。声すらもあのノエルとそっくりなのだ。
自分はやはり、夢をみているのではないか。レノとノエルが同時に帰ってくるなんて。
「ノエ……ル、なの?」
「欲深き者よ、私をその名で呼ぶことは許さない。
私はクオレマ……あなたはクオレマの伝説をご存じか?」
かつて愛するレノで、ノエルでもあったこの生き人形から感じる強い拒絶。
なぜ?イザベルはますます困惑するばかりであった。
あんなに大切にして、愛してあげた人形がこの私を拒絶するなんて。
レノの姿をしたこのクオレマと名乗る人形、二度と訪れないと思った再会に歓喜した私を欲深き者と罵った人形は、私のものではないというわけか。
イザベルの顔は瞬く間にゆがみ、声を荒げた。
「私の……私のレノから出てゆきなさい、お前はレノに取りついた亡者か?悪魔か?
私のレノを……ノエルを返しなさい!」
困難する頭の中でもイザベルの体はとっさ銀の水差しを手に取り、もはや自分のレノではなくなった不気味な人形に向けて襲い掛かろうとした。
クオレマと名乗る黒衣の人形は椅子から動くこともなく、杖だけでイザベルの手から水差しを払いのけ、その次には躊躇なく杖で殴り、その体をベッドに押し返した。
イザベルはベッドに倒れ込み、打たれた胸元に手を当て、震えあがった。
明らかに攻撃的な意思を体で感じたイザベルは、恐怖でもうその人形に目を向けることもできない。
「少しやり過ぎでしたね、どうかお許しを。ドラクロワ夫人。
私はあなたのレノでもノエルでもない。そして、亡者でも悪魔でもありません。
クオレマと呼ばれていた生き人形です。
まずは私を大切に扱って下さった事に感謝をいたします、そして私のために誂えてくださったこの杖も。
こんな風に扱ってしまい申し訳ない」
優しい声色に変わった人形、クオレマにやっと視線を向ける。クオレマは夫人を安心させるかのように穏やかに微笑んでいた。
それでも手の震えは止まらない。何者なのだ、この人形は。
「あ、あなたに名前があるとは、知らなかったの。取り乱して失礼したわ。
生き人形とは、一体?まさかずっと人形のふりを?」
「いいえ。私は普段はただの人形です。動くことも喋ることも、感情も記憶もありません。
けれどもあなたが私をどうのように扱ってくれていたかは、自分の体の状態を知ればわかります。
理由は話せませんが、急にあなたの元から居なくなった無礼をお許しくださいませんか。
私はあなたに恩返しに来たのです」
動き出して、命を持って帰ってきた人形、そして私に恩返しだなんて、
まるでおとぎ話のようにできすぎね。
イザベルはやはり悪魔付きを疑った。甘い言葉で人を誑かし、堕落させる者。
けれども目の前にいるそれは、名前は違えども愛してやまなかったレノであり、ノエル。
二度と会う事は叶わないと思っていた。死すらも考えていた。
イザベルの目には気が付けば涙があふれていた。
そうよ、私はずっと神にお祈りしていたじゃない、もう一度レノとノエルに会わせてほしいと。
クオレマと名乗る人形は、涙を流すその美しい夫人に本題を語り掛けた。
「私はあなたの三つの願いを叶えることができます。
それがクオレマの力であり、私ができる唯一の恩返しです」
クオレマの伝説とは、そういうことか。
人形収集をしていれば誰もが一度は耳にするであろう、願いを叶える人形の話を。
だけれどもそんなありふれた都市伝説は、人形だけではない、宝石や本、絵画、歴史のある城や館にすら存在する。
アンティークドールの中には呪いだの幸福だの奇跡だの、眉唾物の噂はいくつでもあったが、クオレマなんて言葉は耳にしたこともなかった。
まさか、そんな存在を自分が所有していたなんて。
愛するノエルと同じ姿をしたこの人形がまさか、その奇跡の力を待つ伝説のドールだったなんて。
運命に違いないわ。イザベルの顔はやっと恐怖から解き放たれた。
「……死人を生き返らせることはできる?」
「申し訳ございません、ドラクロワ夫人。それは叶いません。
私の願いの力にはいくつかの制約があります」
クオレマは、自分の力で叶えられる物事の限界、制約の内容、心に干渉する願いには危険があることを語った。
ただ一つだけ、重大な禁忌を除いて。
「そう、ノエルはもう帰ってこないのね……でもあなたは私の元に帰ってきた。
一つ目の願いよ、どうか私のそばにずっといて、二度と勝手にどこかへ行ってしまわないで」
イザベルは涙ながらに訴えた。
この人形がクオレマという得体のしれない者だとしても、
自分にとっては大切なレノでありノエルの生き写しなのである。
二度と手放すものか。
「ええ、あなたのそばにいましょう。あなたが生きている限り、ずっとです」
「そして、私を愛して。私はあなたを愛している。
この屋敷に閉じ込められた孤独な私を憐れむなら。これが二つ目の願い」
「誓いましょう。死が私たちを分かつまで、あなたを愛すると」
イザベルの願いはこれで十分だろう。愛する者を二度と手放さず、愛を誓いあう。
しかしこの人形は知っていた。
この女は、こんなものでは満足しようもない、欲深き者であると。
この女が語る愛とは、ただの醜い欲の塊であることを。
「じゃあ、次は、この館を私たちのものにしましょう?
あの忌々しいギヨームを追い出してしまうのよ、あの男は私たちには必要ないわ。
そうね、願いで殺すことが出来ないなら、どうやって……」
そう、イザベルとはこういう女なのだ。
清らかな女のふりをして、自分以外の存在を何とも思っていない。
「愛する者」に対してもだ。クオレマは感じるはずのない足の破損に初めて痛みというものを感じた。
この女には間もなくふさわしい呪いが降りかかるだろう。
クオレマはほんの少し、笑みを浮かべた。
「そういえばギヨームは使用人を殺していたわ。最近では……アン、だったかしら。
あの使用人だけじゃない、ここに仕えている女の使用人のほとんどは、ギヨームに強姦されて、
言いなりになってここに残っているのよ。自ら死んだ者も、抵抗して殺された者もいるでしょうね。
逃げ出して懲罰で死んだ者も。あいつは最低の男よ」
やはりイザベルはギヨームの悪事を知っていたか。
知っていながら、それを止めようともしなかった。女の孤児を使用人として受け入れる事を厭わなかった。
やがてギヨームによって殺されるか、将来を踏みにじられるかもしれないとわかっていながら。
それでも「知っているだけ」の自分は、何の罪もないと信じている。
そして自らもノエルという使用人に、長年同じことをしてきたとは微塵も思っていないのだ。
「ギヨームが逮捕でもされたら都合がいいわ。
私にはお咎めはないし、この家は甥が継ぐことになってるけど、実質の当主はこの私。
決めたわ、三つ目の願いよ。あの醜いギヨームを冷たい鉄格子の中にでも入れてやってちょうだい」
クオレマの呪いを知らない、自分の思い描いた筋書きにくすくすと笑い始めたこの女に死の運命が降りかかる。
さて、この人形を動かしていたのは人形師ティルグでも生き人形クオレマでもない。
クオレマとなったノエルはこの時を待っていたのだ。
「欲深き女よ、よく三つまで願ってくれた。お前の願いはクオレマの呪いによって成就する。
お前の醜い命と引き換えにな」
クオレマの瞳が青く輝く。邪悪とも恍惚とも見える笑みを浮かべる。
「ノエル・クオレマ」となったこの人形は、恐ろしいまでの怨念でクオレマの意思を完全に支配し操っている。
彼の言葉には、ベルヴェルグがクオレマに託した慈悲の心は存在しない。
彼が操るのはイザベルを絶望の淵に突き落とし、恐怖させ、死に至らしめようとする呪いの言葉だ。
「な、なにを言っているの?命……?まさか、」
「そうだ、イザベル・ドラクロワ。その欲望、罪、死をもって償うがいい
あんたのノエルからの最後の言葉だ」
ノエルと同じ顔、同じ声でその人形は罵る。ノエル・クオレマの呪いはあまりにも強かった。
イザベルは半狂乱のうちにその体はみるみると渇き、骨が浮くまで痩せこけてゆき、自慢だった豊かな髪は抜け落ちる。
最後には声も失い、全身を引きつらせて呼吸し、血走った瞳で耐えがたい苦痛と恐怖の中で人形を見つめる。
「心配するな。願い通りあんたが死ぬまではここにいて、愛してあげよう。
イザベル、あんたの愛とはこういうものだったな。今同じように返してやろう」
ノエル・クオレマは足元に隠してあった錆びた斧を杖と逆の手に取り、燭台の明かりで照らし、その刃をわざと見せつける。
イザベルはもう叫び声をあげることもできない、動くこともできない。
先ほどの笑みとは一転して無機質な表情となった人形は、イザベルの骨ばった右の脛に何度も斧を振り下ろす。
返り血を浴びながらも何の躊躇いもなく、その手を止めることはない。
その姿はまさしく呪いの人形だった。苦しめるために切れ味の悪い斧をわざわざ選んだのだ。
足を切断しきる頃には、イザベルは呪いによって生きながらミイラのように干からび続け、ついに絶命していた。
ノエル・クオレマはその場に斧を投げ捨て、返り血を拭い、凄惨な光景のイザベルの部屋を後にする。
静まり返った屋敷の中、杖をつく音が小さく響いていたが、間もなくかの者の姿とともに闇の中に溶け込み、消え去った。
その翌朝には、コレットがクオレマを隠すために使っていた物置小屋で、人形は眠りについていた。
何も知らぬコレットが声をかけても触れても、それは動くことも話すこともないただの人形に戻ってしまっていたのだ。
コレットは人形ノエルと言葉を交わした数日間は白昼夢であったのかと大いに落胆したが、彼が再び目を覚ますのは本当に間もなくの事。
死に値するほどの欲深き者は、この屋敷にはもう一人存在するのだから。
後にドラクロワ家の呪いとして語られ恐れられる話は、この夫人の猟奇的な死から始まった。
その後しばらくして、イザベルの三つ目の願いで当主ギヨームは使用人たちの告発により逮捕される。
獄中で震えあがるギヨームの願いに呼ばれ、青い瞳のノエル・クオレマは現れる。
ギヨームの願いは呆れるほどに強欲だった。
一つ目は、一刻も早くこの牢獄を出る事
二つ目は、自分の財産を甥になど継がせない事
三つ目は、イザベルとは違う貞淑な女を後妻として迎える事
クオレマが叶えられる願いには制約がある。
人間の思いに干渉する願いは、どんな結末が待っているかクオレマにもわからない。
釈放されたギヨームが後妻として迎えた貞淑な女は、既にいた恋人への思いに干渉されてドラクロワ家に嫁いだ。
しかし彼女の心が真にギヨームのものなることはなく、やがてギヨームが使用人へどんな罪を犯しているかを知り、悩み苦しんだ末に、ついに使用人達を全て屋敷から追い払った後に屋敷に火を放ってしまった。
屋敷は焼け落ち、自らもギヨームも、不幸にも訪問していた甥夫婦もその炎に巻かれ死亡した。
こうしてイザベルの願い、ギヨームの願い、ノエルの願いも呪いも全てが完全に成就したのだ。
ノエルの復讐劇はこうして幕を閉じ、焼け落ちる忌々しいドラクロワの屋敷を背にし、ノエル・クオレマはコレットを安全な場所まで連れ去ろうと、手を引いて歩きだす。
その人形の顔は狂気と興奮に充ちていたが、コレットがそれに気づいていたかは定かではない。
しかしノエルに連れられたコレットの手は震えていた、それは背後で起きている惨劇による恐怖だろうか?
それとも、初めて会話を交わした時の温和な彼とはまるで違う冷たい雰囲気を纏い、何も言わずに自分をどこへかと連れ去ろうとするこの人形の不気味さからだろうか?
「これからどこへ行くの、ノエル。せっかくまたあなたが動けるようになったのに……
お屋敷がなくなってしまったら、私たちは一体どうしたら?」
「私はこの後、再びただの人形に戻る。私が次に目覚める時まで、君は一人で生き延びなければならない。
どこでもいい、私たちが隠れられる場所を探すんだ」
ノエルに手抜かりはなかった。
つないでいたコレットの手を離すとすぐに懐から何枚もの金貨の入った袋を取り出し、怯える少女に手渡そうと突き付ける。
イザベルを呪い殺した時に部屋から少し、火を放たれ混沌とする屋敷からは出来るだけ、くすねてきたものだ。
「私はいつ目覚めるかわからない、どうかこれで生き延びてほしい。
もしも足りなければ私の服や目を売ってしまえばいい」
「ノエル、あなた、これをどこで?まさかお屋敷から?」
この惨劇の中、彼は計画でもしていたかのように盗みを働いたと?
コレットは表情のないノエルの顔にうすら寒い物を感じ、その袋を手に取ることを躊躇った。その時、ふとその人形の表情が何かを訴えかけるように物悲しいものに変わり、ついさっきまで纏っていた冷たい気配が消えたことにコレットも気が付いた。
「あなたを守るのが私の役目、こうするしかなかったのです。
あなたが私にこの杖をくださったように、私もあなたの助けになり、救いたい。
さぁ早く、もう時間がありません。私がただの人形に戻ってしまう前に、どうかこれを」
何かをこらえるように少し震える憐れみを帯びた声。コレットはその金貨を受け取るしかなかった。
なんて重たい、これだけの金貨があれば、死んでしまったノエルを救えたかもしれないのに。
少女は一層悲しげな顔で、再び人形に手を引かれ燃え盛る屋敷から遠ざかる。
消えてしまうのね、兄のように慕っていたノエルとの思い出も、イザベル様の計らいで白薔薇の下に丁寧に埋葬されたノエルの肉体も。
一緒に働いていたみんなは逃げることができただろうか?
新しい奥様はなぜ火など放ったの?イザベル様はなぜあんな悲惨な死に方をしたの?
コレットは、何かがおかしいとうっすらと気が付いていた。
そう、自分がこの人形を見つけてから。
それでもノエルと名付けた人形は、死んでしまったノエルと同じように、本当の兄のように、動かない足を杖で支えて必死に助けようとしてくれている。
彼はもしかしたら何かを隠しているのかもしれない、でも自分を救いたいと言ったその心はきっと偽りではない。
ノエル兄さん、私は正しい事をしている?
兄さんの杖と名前をこの人形に託したことは、間違っていない?
人形のノエルも、死んだノエルもコレットの心の声に答えることはない。
人形と少女は、それぞれに不安と悲しみを抱えて、森の奥へと消えていった。




