「ノエル」の物語
少女コレットの語った「ノエル」とは誰なのか。何者なのか。
クオレマはなぜこの屋敷にいるのか。
願いと呪いは発生したのだろうか?
ノエルという使用人は幼くして両親を亡くし、親戚中をたらいまわしにされた末に、銀貨数枚で売られて大地主ドラクロワ家にやってきた。
このドラクロワ家の夫人、イザベル・ドラクロワは一見物腰の柔らかい美しい女性であったが、
当主であり夫のギヨーム・ドラクロワとは政略結婚であり、恋愛感情も興味もない。
そしてイザベル自身は異常な人形愛好家であり、狂気的な少年愛者でもあった。
ノエルは幼い頃からイザベルに寵愛され、昼は雑用の使用人、夜は秘密裏にイザベルの慰み者となっていた。
ノエル自身にとっては大変恐ろしく嫌悪を覚える相手だったが、自分がイザベルに大切にされることによって、他の使用人たちをも大切にされ守ることができると考え、誰にも打ち明けることなく耐えてきた。
彼らもまた、親を亡くした孤児であったり、中には実の親に売られて奉公にやってきた悲運の子供たちなのである。
こうした雑用の子供の使用人達は、初めに決められた年季を終えると、
身なりを整えて屋敷の中で重要な仕事をする上級の使用人として改めて仕え続けるか、そのまま屋敷を去るか選択できた。
雑用使用人の中で年長者となったノエルにもその選択の時期が訪れるが、イザベルから逃れたい気持ちと、自分が去った後の年下の者たちの境遇を考えると、どちらも決められずにいた。
そんな折、イザベルはお抱えの商人から、ノエルによく似たビスクドールを購入する。
商人もイザベルもその人形の伝説を知らなかったが、その人形こそ呪われしクオレマであった。
顔には傷が深く刻まれ、右足は破損していたが、イザベルはその人形を可愛がり、その衣装によく似合った歩行杖まで仕立ててやったのだ。
その一方でノエルへの寵愛も変わることはなく、もうすぐ年季が明けようとするノエルをどうにか屋敷にとどめさせるよう考えていた。
そしてクオレマの壊れた右足を見て、ノエルの足を同じように使い物にならないようにし、この屋敷から逃げられないようにしようと思い至ったのだ。
ある夜、正体を隠したイザベルに雇われたならず者達によって、ノエルの右足は深く傷つけられ、歩くことが出来なくなった。
イザベルは憐れむふりをしてクオレマのために仕立てた杖をノエルに与え、この屋敷に仕え続けるように勧める。
不自由となったノエルに選択肢はなかった。
ドラクロワ家の当主、ギヨーム・ドラクロワは妻イザベルにも増して悪趣味な男であった。
この男もまた、奉公に来た幼い少女の中から好みの者に目を付けては、年季明けの時を待っては無理やりに手を付け、屋敷にとどまらせるという事をしているのだった。
この屋敷の奉公に来る者たちはみな孤児か、貧しさで親に売られた子供たち。
この大地主の屋敷でこのような非道なことが行われていても、誰も助けの手など差し伸べることはできないのだ。
イザベルの策略で公然とイザベルの世話役、上級使用人となったノエルがそれを知るのは間もなくであった。
同じ年に上級使用人として屋敷に留まったアンという少女が涙ながらにギヨームの所業を打ち明けたのだ。
そしてその日の夜、アンがギヨームの部屋の窓から落ちて亡くなるという事件があったが、ギヨームの主張によって、アンが窓を掃除している時に手を滑らせ落ちたという事で処理された。
夜に窓の掃除を言いつけるはずなんてない。
ノエルはアンがその時間になぜギヨームの部屋にいたか、窓から落ちたか、嫌でも想像がついてしまった。
行為を迫られたアンが自ら飛び降りたか、もしくは彼女に抵抗されたギヨームが衝動に任せ突き落とした。
昼間に聞いたアンの告白を思い出せば、もはやそうとしか考えられないだろう。
そして、次にギヨームが目をつけているのは、自分が妹のように世話を焼いていた少女、「コレット」であることに気が付いてしまう。
普段は雑用使用人を毛嫌いするギヨームが、窓からにやにやと嫌な笑みを浮かべ、庭で働くコレットを見つめていたのだ。
どうにかしてコレットをこの屋敷から逃がしてやらなければ。
自分やアンと同じようになってほしくはない、けれども孤児であるコレットが屋敷を出てどうやって生きていくのか、満足に歩く事の出来ない自分がコレットを連れて逃げることなど可能なのか。
せめてこの事実を伝えようにも、上級使用人は雑用使用人との接触は基本的には禁止されている。
とくにイザベルのお気に入りのノエルは、片時もイザベルのそばを離れることは許されない。
ノエルにはこの状況を変えるいい考えがどうしても浮かばないのだった。
ノエルの仕事と言えば、朝から晩までイザベルのそばに仕え、杖をつきながらもできる世話をすること。
それから、イザベルの部屋に飾られている人形の手入れをする事だった。
イザベルは大の人形愛好家でいくつものドールを所持しており、雑用人時代にも小さなドールの世話をしたことがあった。
しかし、最近やってきた黒衣の、人形は明らかに特別だった。
人間と同じ背丈をして、今にでも目を覚まし動き出すのではないかと思わせる程、よく人間に似せて作られている。
一体どんな人形師がこんな作品を作ることが出来たのだろう、何を思って作ったのだろうか。
もともと人形愛好家のイザベルであったが、一日に何度も隣に座ってはうっとりと見惚れている、頬や髪をなでるその仕草はイザベルがノエルにそうしている時とまるで同じで、吐き気がするほど気味が悪くて仕方がなかった。
この不気味な人形、呪われしクオレマはただの人形としてある程度の時間を過ごした後、生き人形として目を覚ます。
いつ目覚めるのかクオレマ自身にもわからないが、それは強い願いを持った人間が自分の前に現れた時。
ノエルの「願い」は、クオレマを目覚めさせてしまう。
「あなたの願いを2つまで叶えましょう、3つ目は決して願わないでください」
深夜、仕事を終えて杖を人形に返しに来たノエルに、目を覚ました人形は囁き声で語り掛ける。
―――やはり、これはただの精巧な人形ではなかった。
言葉を失うほど驚くと同時に、長い間この人形を世話してきたためにそう納得する自分もいた。
「あなたの心からは強い願いの力を感じる。しかし私をどう使うかはあなた次第」
ノエルは、激しく動揺しながらも奥の部屋のベッドで眠りについているイザベルに気が付かれないように、か細い声で短く伝える。
「今は、今は話せない、……明日の夜に」
明日はギヨームとイザベルが甥の結婚披露宴のために揃って出かけ、深夜まで帰ることはない。
ギヨームが強く反対したために、足の悪いノエルは祝いの場へは連れてゆくかれる事はなく、明日はチャンスなのだ。
元々この機にノエルはコレットを連れて逃げようという、あまりに無謀な事を考えていた。
成功するかもわからない、失敗すれば自分だけでなくコレットもどうなるか。
そんな時に語り掛けてきた生き人形、これは神の思し召しかもしれない。
ノエルの言葉を聞き、人形は再び操り糸が切れたかのようにいつものように首を傾け目を伏せた。
その次の夜、二人は再びイザベルの部屋で対話をする事になる。
「私はクオレマ、人間の願いを叶えるために作られました。
ここではただのドールとして過ごしていましたが……あなたの願いの力が私を目覚めさせました」
「どんな願いでも叶うのか?」
ノエルと人形は蝋の薄明りの中対話する。
「禁忌や限界はあります。誰かを殺す事、死に至る病に侵させること、それから自然の摂理に反するものには限界が……たとえばあなたや別の誰かの寿命をなくす、所謂「不老不死」や、時を戻す……つまりは過去を変える事、この世界そのものを変えてしまうような大掛かりなことは私にもできません。
そして人の思いに干渉する願いは扱いが難しく、叶ったところで思い通りに、幸福になるとも限りません」
「色々制約があるというわけか。
……この屋敷にコレットという下働きの少女がいる、俺はその子を助けたいと思っている。
しかしどうしたらよいか、わからないんだ」
「私には願いの提案はできません、どう願ったら最良の結果を得られるか、考えるのは貴方です」
ノエルは昨晩あらゆる願いを考えた。
最初の計画通り自分とコレットが逃げるだけで済むのなら、自分の足を直し、暮らしていけるだけの金を願えばいい。
けれども、自分たちがいなくなった後のこの屋敷はどうなる?
ギヨームがいる限りアンやコレットのような不幸な少女はいなくならないし、イザベルも次の「ノエル」を探すだろう。
それでよいのか?
足を治して、この屋敷の主たちを自分の手で殺すか?
成功したとしても、その時からコレットは自分を「兄」として見ることはなくなるだろう。
そしてこの足を治したとしても、自分は……
「願いはどうしても二つまでなのか?」
「……三つ。しかし三つを願った瞬間貴方は呪われ、願いと引き換えに死ぬことになります。
苦しんで死ぬか、安らかに死ぬか、それは私にもわからない。
私は欲深い人間を殺すために作られたのかもしれない、それでも私の心はそんなことを望んでません。
できれば三つ目は願って欲しくないのです」
「不思議な人形だ、なぜそんな矛盾した事をしている?人を死なせたくないなら、最初から願いを叶えるなんて希望を与えなければいい。ただの人形として存在するだけでいいではないか」
クオレマは遠い昔の記憶を語る。
それは自分が生まれた時のこと、逃れられない呪いをかけられた時のこと。
「かつて遠い昔。私を造った者がそう願って死んだのです。
私はこの運命からは逃れられない、私の中にはその者の魂が入っている。
その者のあまりにも強い願いが、私を呪い人形として動かしているのです」
ティルグ・ベルヴェルグ。
究極の人形クオレマを作り、心という祝福と呪いを与え、人間を憎しみながら三つ目の願いで死んだ狂気の人形師。
慈悲深い心を持ったクオレマをただの人形として存在する事を許さないのは、その三つ目の願いだった。
クオレマの中には、未だ人間への憎しみを抱いたベルヴェルグがいる。
彼は、最後の願いで人間から究極の人形となったのだ。
ノエルは長い長い沈黙の後、ようやく口を開く。
「……わかった、一つ目の願いを聞いてくれ
次にお前が目を覚ました時、俺が願った事…いや俺の存在を忘れていてほしい」
「なんですって?」
クオレマは悟った、この男は死ぬつもりだ。
追い詰められた人間の思考にはいつも驚かされる。
「俺は三つの願いで死ぬ。俺が死んだ後、俺の代わりに友や兄としてコレットをどうか守ってくれ。これが二つ目だ。
……コレットと俺は兄妹も同然なんだ、きっとお前に俺の事を話すだろう。
お前にも人間のように心があるなら、俺を殺したことなど覚えていてほしくはない。そして……」
クオレマは咄嗟にノエルの言葉を遮る。
「命を簡単に捨ててはなりません、あなたたち人間はなぜ……!」
ノエルは顔色を変えて、日中歩くために借りていたクオレマの杖の先端を思い切り壁に突き付ける。
それはクオレマの顔のすぐ傍をかすめた。
「俺の願いが簡単なものに聞こえたのか?」
ああ、似ている。自分の中で今なお生き続けているあの方に、とても。
この男の怒り、憎しみ、そして強すぎる願いと意思。
クオレマは三つ目の願いがノエルの口から語られるのを、黙って、静かに待つしかなかった。
「俺が死んだ後、俺の魂をお前の中に宿らせてくれ。その人形師と同じように」
今この瞬間、この男は死の運命に囚われた。
しかし、ただの死ではない。この男はクオレマに生まれ変わろうとしている。
この男は、死してなお一体何をするつもりなのか?
ただクオレマを作ったベルヴェルグがそうすることができたように、これは叶えられない願いではない。
今までこんな願いを口にした者はいなかった、自ら死を受け入れて呪い人形の一部になろうなどと。
クオレマの中に潜むベルヴェルグもこれには動揺したに違いない、人形の手はわずかに震えていた。
自分はこの先、何者になるのだろうか?何をするのだろうか?
クオレマ、ベルヴェルグ、そしてノエルの魂を一つの器に閉じ込めるのだ。
クオレマは、三つめを願った者に必ずかける言葉がある。ノエルにも同じようにした。
「あなたはもう死人です、体が動くうちにできるだけのことをしなさい。あなたの願いは、どんな形になろうと必ず叶います」
「この汚れた体でしたいことなど何もない、死を待つだけだ」
ノエルは女主人イザベルに長きにわたって仕え、慰み者とされてきた。
使えなくなった足の事もイザベルの計略であることなど簡単に推測できた。
自分の体には嫌悪しかない、この顔も足も全身のすべてがあの女の欲望のままに使われた、見るのもおぞましい肉塊。
ノエルは、この「呪われた体」を捨てるために死を選ぶのだ。たとえ新たな呪いを受けるとしても。
それでもコレットや他の使用人を守りたいという強い願いがあった。
うまくいくかなどわからない、しかしベルヴェルグの話を聞き、自分の意志に全てを賭けることにした。
思いが強ければ、呪いの力を自分のものにできるだろう。
それから何日か後、使用人ノエルは足の怪我から感染症にかかり、衰弱し続けてついにその人生に幕を閉じる。
それと時を同じくして、イザベルの部屋からあの人形が消え去った。
願いを叶えた後、生き人形はしばらくただの人形として眠りにつく。
クオレマはその呪いでノエルを死に至らしめた日の真夜中、
静まりかえった屋敷を足を引きずりながら出て、その敷地の隅の、降り積もった雪の中についに倒れ込んだ。
次に目が覚めた時には使用人ノエルの記憶は消える。
でもこの体の中で彼は生き続ける。この先に何が待つのかは、クオレマにも想像がつかなかった。
こうして呪い人形は、再び眠りについたのだった。




