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「クリストフ・シュヴァリエ」の物語

クオレマが制作されてから、とても長い時間が過ぎた。

人形は今、シュヴァリエ家という大貴族の屋敷の地下に閉じ込められているという。

彼の前に現れる願い人とは、一体どんな者なのか。

クリストフ・シュヴァリエという少年は、『シュヴァリエ』の名に縛られ生きてきた、末の子息。

家督継承権の末席でありながらも、家にふさわしい生き方を強いられ、しかしそれに歯向かう事なく生きてきた。

家の中でも外でも、彼の周りではそれが当たり前の姿だったからだ。

言われたことをこなし、言われた職に就き、言われたように振る舞い、言われたように生きる、それが貴族の家に生まれた者の正しさだと思っていた。

 

兄たちと同じように入った士官学校では、今まで以上に優秀でいることを求められた。

常にトップで居続け、何においても誰よりも秀でていなければならない

恥さらし、それはクリストフの中で最も恐ろしい言葉の一つであった。

誰よりも強く、優雅で、冷静で、知的で……兄たちはこれを守り抜いたのだ。

自分が躓いた瞬間、その機会を狙っていた多くの者が自分を一斉に嘲笑し、シュヴァリエの一族を見下すことだろう。

クリストフには、真に友と呼べるような人間は居ない。家族の中にすら自分を気に掛ける者はいない。

孤独の中で、その重荷に耐え続けてきた。



クリストフの同窓生、ルーク・ローデンヴァルトは非常にプライドの高い金髪の少年。

クリストフを特に敵視し、常に嫌味を吐くような男だった。


シュヴァリエと同じように名誉と歴史ある家に生まれながらも、彼はローデンヴァルトの長子、将来家長になることを約束された者だった。

プライドの高さとクリストフへの執着は、その生まれが要因だ。

つまり彼は「シュヴァリエの末席」などに劣る事を強くコンプレックスに感じていた。


ローデンヴァルト家の教えは沈黙を重んじるシュヴァリエ家のものとは少し違うようで、冷静でいることは重視されていないようだった。

彼は感情のままに言葉を操り、笑い、怒り、自由に立ち振る舞う。

ルークは己とは対照的な、まるで人間ですらないようなクリストフを不気味に感じていた。

「シュヴァリエの末席」はどんなに挑発しても、嫌味な言葉を吐いても、言葉でも態度でも決して乗ってくることがなかった。

それはクリストフにとっては家名を守るための行為であったが、ルークの目には「ローデンヴァルト家の長子である自分をなんとも思っていない」。そのように映っていた。

その振る舞いを許すことが出来なかったのだ。



事件が起きたのは、そんな彼らが士官学校の卒業を間近に控えた頃のことだった。

クリストフはシュヴァリエの人間ではあるが末の子。婚姻だけは家に縛られない約束だった。

しかし、それは相手にある程度の身分が保証されていることが前提のもの。

クリストフが焦がれ望んでしまった相手は、あまりにも身分の差が大きい相手。

使用人の「レイチェル・ルクレール」という女性であった。


厳格で静粛、シュヴァリエ家の操り人形のような生活の中で、世話役だった六歳年上のルクレールだけは楽しい御伽噺を聞かせ、異国の驚くべき文明の話や、時には屋敷に現れる亡霊の話をして、クリストフを楽しませたり驚かせていたのだった。

そしてルクレール自身も聞き上手で、あまり人と話したがらないクリストフも彼女にだけは心を開いて身の回りの色々な話をしたのだ。

厳粛な他の使用人たちとも違う、気取り屋の姉達や、自分に取り入ろうとするどこぞの貴族の娘たちとも違う。

もっといろんな話をして、彼女の事を知りたい。自分の事を知ってほしい。

その感情はいつしか恋となるが、ルクレールに告げることなどまさかできず、クリストフの心を苦しめるようになっていった。


唯一の話し相手だったルクレールに話す事の出来ない感情を、クリストフは日記に綴っていた。

あるときは悲観的に、ある時は情熱的に。

これが、完璧であり続けようとしていた彼をその道から突き離す出来事に繋がるのだ。




誰も知ることのないはずのクリストフのその手記を目にしてしまったのは、ほかでもないレイチェル・ルクレール本人であった。


その日クリストフは卒業後の近衛兵所属の内定の書類に目を通し、サインをしようと目を一瞬離した。

その瞬間、開けていた窓から吹き込んだ風が書類をそのまま外へ攫っていった。

これはまずいと慌てて外へと飛び出したものだから、クリストフの部屋はあけっさらしになってしまったのだ。

普段は誰にも触らせない本棚の奥にしまっている日記を、机の上に置いたまま。

 

扉が開け放たれたままのクリストフの部屋にやってきた何も知らぬルクレールが、厄介な風の舞い込む窓を閉めて、机を整頓しようと見慣れぬノートに手をかけた瞬間、それが足元に落ちてしまう。

拾い上げたそれをまさか彼の秘密の日記とは思わず読んでしまったというわけだ。

クリストフが何年も隠し通した本音をほんの偶然で知ってしまったルクレールは、自分をひどく責め立てた。

 

シュヴァリエ家の厳しい教えに縛られながらも、兄たちのように顧みられることもない少年を哀れに思い、愛情をもってした自分の行いが、 今は逆にこんなに彼を苦しめている。


ルクレールは幼い頃にこのシュヴァリエ家に奉公しにやってきて、使用人として誇りを持っていた。

彼の人生の足手まといになるであろう感情に、応えることなどできるはずがない。

それに彼のこの感情は男女の恋ではなく、母のような存在に求める愛情であることにも感づいていた。

自分はそれになってやることもできないだろう。

クリストフはまもなく成人し、身分にふさわしい女性と結ばれ、彼にとって息苦しかったであろうこの屋敷を堂々と出るべきなのだ。



クリストフに面白い話を聞かせるために、屋敷を駆け回っていた好奇心あるルクレールが、シュヴァリエ家に伝わる「人形」の噂を知らない筈がない。

願いを叶える人形。一体、何代前の当主が、何を思いそれを買い求めたのであろう。

今は恐れられ誰も近寄らぬ冷たく寒い地下室に据え置かれ、目を伏せたままそこに座しているそれこそ「呪われしクオレマ」と呼ばれる、人と同じ背丈に作られたあまりにも見事な人形だった。


深夜、ルクレールはその地下室に立ち入り、初めてその噂の人形を目にする。

それから人形の前に跪き、蝋の明かりで人形の顔を灯し、目を伏せて両手を固く組み祈りを始めた。



クオレマ、呪われしクオレマよ。欲深き者がここへやってまいりました。

どうかその目を開けて、私の願いをお聞きください。



何度目かの祈りの最中、風もないのに蝋の火がふと消えてしまった。

ハッと顔を上げたルクレールの目には、漆黒の何者かの影しか映らない。

一層冷たくなった空気の中、彼女の耳に囁き声が聞こえた。


「私が貴女の願いを叶えてあげられるのは二つ。あと一つは、決して願わないでください」


ルクレールは、呪われしクオレマが目を覚ましたことをはっきり悟った。


「わ、私は、ここシュヴァリエ家にお仕えする使用人のレイチェル・ルクレールという者です。

長い間、このお屋敷のご子息であるクリストフ様のお世話をしてまいりました。

願いは……」


地下室の寒さのためか、呪い人形への畏怖のためか、手は震えうまく声が出せない。

それでもルクレールは、クリストフのために最良となるだろう願い事をしに、ここへやってきたのだ。

人形を目覚めさせた今、後に引く事などできない。


「クリストフ様が、私なんかへの思いを捨てられるようにしてください。

そして、クリストフ様が、どうかあの方を守ってくださるふさわしい方とご結婚をなさって、それから……」


「それで、願いは二つです。私に三つ目を願うとどうなるか、あなたは知っているのですか?」



クオレマはルクレールの願いをさえぎった。

クオレマは三つの願いを聞いたら、その者に死を与えてしまう。聞いてしまったら、その呪いはクオレマ自身にももう止められないのだ。

できることは、せめて三つ目を願わないよう忠告すること。それでもクオレマにはわかってしまう。

強い意思を以てして自分の前に現れた者は、とっくに命など捨てて来たことなど。



「クリストフ様を、どうかこの家にも、誰にも、何にも縛られずに自由に生きられるようにしてあげてください」



今この瞬間、この者に呪いは降りかかる。心清き人間を手にかけることほど、空しいことはない。



「人の思いに干渉する願いは、その後どうなってしまうのか叶えてみないとわかりません。

貴女が思い描いている通りには、ならないかもしれませんよ。

そして私に三つ目を願ってしまった貴女も、どうなるか」


「私の事などかまいません、あの方が自由に生きられるならば」


「他人のために命を捨てるなど、なぜ人間はそんなことが出来るのでしょうか?

聞き届けたからには私には止めることはできません。覚悟はあるのですか?」


「私は死に値する人間です、命を捨てに来たのです。

私はあの方の心を盗み見て、そして……嬉しかったのです、思い描いてしまったのです。

卑しい身分を忘れて、クリストフ様と……どうか、どうか恥さらしな私を殺してください」


クオレマは長い旅の間に何人も見てきた。他人のために死を覚悟して願いに来た者達を。

あるいは死ぬために、クオレマの呪いを使おうとする者達を。

それは一見、美しい物語に見えるかもしれない。けれども、その尊き者達の首に縄をかけるのは、

人間と同じ心を持ったクオレマの役目。この人形は、決して冷酷無慈悲な死神などではない。

自分の罪や愛する者を想って涙を流すルクレールと、クオレマの心は同じ。何も変わりはない。


クオレマは静かに告げる。死にゆく者へ最後の希望を与えるために。


「貴女はもう、死者です。体が動くうちに出来るだけのことをしてください。

貴女の願いは、どんな形になろうとも必ずかないます」



ルクレールの亡骸が見つかったのは、その翌朝の事だった。

自室で、クリストフのために綴った別れの手紙を抱き、眠るようになくなっていた。



ルクレールの死と願いによって、クリストフの心は空虚であった。

大切なものを失ったとは感じていた。けれども、何がそんなに大切だったのかを思い出すことが出来ない。

この家に身を置いている意味、教えに従っている意味、生きている意味すらも何もかも曖昧で、

現実味のない者に感じていた。


これまでどんなことがあっても耐えてきた、我慢していたものが、

大切な何かを失ったことによってすべてが音を立てて崩れ去ったのだ。




クリストフは士官学校を卒業した後、王国の近衛部隊に入隊することが決まっていた。そのうちの一人に、ルーク・ローデンヴァルトもいた。

ルークは部隊での活躍で、あのいけすかない男の鼻を明かしてやろうと執念を燃やしていたが、その噂は突然舞い込んでくる。


「あのクリストフが近衛部隊を辞退して、辺境のわけのわからん左遷部隊に志願したそうだ、

この頃の奴はどうもほうけていたように見えたが、やっぱり頭がおかしくなったのか?」


ルークは唖然とした。この学校で上位の者しか入隊できない近衛隊をわざわざ辞退だと?

しかも、行き先は戦場でもなく辺境の森林保護隊?一体どこのことだ、それは?


自分が必死になって掴んだチャンスをバカにされたような気持ちになり、ルークは学内にいるであろうクリストフを探し走り出す。

渡り廊下の端に、この数年間追い続けてきたあの背中が見える。

殴りかかってやりたい気持ちを抑え、大声でその名前を呼びかけた。

 


「聞いたぞ、近衛を辞退とは、どういうつもりだ!」

「……僕には、僕にふさわしいと思った場所があると思ったまで」

 

ルークは一層怒りを覚えた。

この学校でずっとトップに君臨し続け、その結果がこれか?

自分は何のために努力をしてきたのか、この男を追い越してやろうと必死になってきたのか、根底から崩されるような言葉だった。


「馬鹿にしているのか?ああ、そうだろう、お前はいつもそうだった。

誰が何が言っても無関心で、無表情で。俺たちを見下していたんだろう?

シュヴァリエの人間はみんなそうなんだろうな、お前の様に!」


これまで頑なに守り抜いてきたシュヴァリエ家の誇りを貶されても、もはや何の感情も湧いてこない。

クリストフはやはり、興味のない顔で冷たく言い放つ。

  

「君は、僕の何のつもりでいるんだ?」

 

それは、彼をライバルとして執拗に追い続けたルーク・ローデンヴァルトのプライドを傷つけるには十分すぎる言葉。

気が付けば彼は我慢していた拳をついに振るってしまっていた。

だが、殴られた頬に痛みは感じても、口の中に血の味を感じても、クリストフの心だけは何も感じることはできないのだった。


 

結果的にクリストフ・シュヴァリエはこの出来事をきっかけに、シュヴァリエ家から追放されることとなった。

近衛隊を辞退する条件は、今後の人生で何が起こってもシュヴァリエ家を頼らない事、そしてシュヴァリエを二度と名乗らない事。


こうしてクリストフは自身の名をクリス・リベルテと改め、自分が何者かなど誰も知らない辺境の地で静かに、穏やかに暮らすことになった。

ルクレールの願いの二つはこれで叶えられたのだった。


その後彼がどう過ごしたのかは記録には残っていない。

それでも、ルクレールが命を捨てて願った事は、全て成就したに違いない。




クリストフがシュヴァリエ家から追放されたことで、ルークもまた常に自身の心に付きまとっていたものから解放されることとなった。

士官学校に入った頃から伸ばしていたシルバーブロンドの長髪、クリストフに勝ったと確信したら切るのだと心に決めていた。

近衛兵に入隊する者の慣習の一つに、金髪の者はその髪を短く切る事がある。

王国に「黄金」を捧げるという意味から行われはじめたといわれていた。

自信家で実際に実力も十分なルークは士官学校に入る前から、近衛への入隊は確信していた。

彼の最終的な目的は士官学校にいる間に、この髪を短く切ること。

しかし、一度や二度、成績でクリストフに勝ったことがあっても、ルークは一度も彼に勝利したと感じることはなく、その髪は長く保たれ続けた。


ルークとクリストフは常にトップを競い、周りからも今度はどちらが勝つのかと楽しみにされていたものだった。

ライバルとしていつも意識し続け、常に冷静な面持ちのクリストフもまた、自分に対してそうであろうと思っていた。

ところが実際には、彼の眼中にルークの姿は少しも映っていなかったのだ。クリストフが見ていたのはシュヴァリエの教えを守り続ける事だけ。

ルークが勝手に仕掛けたこの勝負は、最初から負けていたのだ。

 

クリストフ・シュヴァリエという人間は、突如としてルークの前からだけでなくこの世界から消えた。

その理由はルークには想像もつかない未知なる力によるものだったが、ルークも、そしてクリストフ自身もそれを知り得ることはない。

ルークが何年も抱えていた執念や目的は微塵にも砕かれ、その痕跡も残ることなく消滅した。

その後、彼に残されたものはなんだったろうか?


ルークはその意味なく伸ばされ続けてきた髪を、みじめたらしい未練や屈辱なんか全部捨てて、本当に己の為すべき事を探すために切り落とす。

あの学校で自分が学んだものは、誰かを打ち負かし、蹴落とし、貶すためのものではない。 


間違った努力だったかもしれない、それでも実力で手にしたこの地位を、自分にふさわしい場所にする。


〝さらばだ、クリストフ。そしてその陰に怯え続けた弱きルークよ〟



短髪の新しきルークは、誉れ高き近衛隊の制服を身にまとって、次の一歩を踏み出したのだ。

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