「とある人形師の記憶」の物語
これはある人形師の記憶。優しき魔法を知った人形師の記憶。
かの者は、なぜ堕ちてしまったのか。
彼の物語はレリアガルドと呼ばれていた国の、小さな人形工房から始まる。
とある人形師が、街の片隅で盗みや物乞いをして生きてきた孤児を弟子に迎えた。
銀髪の孤児は賑やかな市場の通りで、さぞや大切なものが入っているだろう綺麗な包みを持っている人物に目を付け、その荷物を奪った。
人目のつかぬ裏路地でそれを開けてみると、大事に包まれていたのは美しい人形。
孤児は自分と同じ黄昏色の瞳の人形に魅了され、売るでも捨てるでもなく、人混みの中で自分を探す人物にそれを返したのだった。
包みの持ち主は人形師のシモン。それを盗み、そして返した孤児の名はルアクス。
「ルアクス、お前は悲運の子。けれども決して人を恨んではいけないよ。
私が魔法を教えよう、この世で一番尊いものだ。
ごらん、これは私がお前のような子を思って作った人形たち。
彼らが家族や友人となり、決して一人にはしない。お前ももう一人ではない。私たちの家族になるのだ」
孤児だった少年は、師の下でその「魔法」を十数年間夢中になって学んでいった。
人形師シモンの工房で過ごす間、ルアクスは自分と同じ年頃の見習いの少年マルクと出会う。
マルクは人懐っこく、彼の暖かな人柄は口数の少なかったルアクスの心を開かせ、
やがて二人はお互いに親友と呼べる間柄になった。
師であり親のような存在のシモン、親友のマルクに恵まれて、
孤独の中で人をうらやみ人生を悲観していた孤児はもうどこにもいない。
いつか一緒に街一番の、国一番の人形師になるのだと、
ルアクスとマルクは夢と友情を誓い合ったのだった。
時は経ち、シモンの工房の「二人の優秀な弟子」の噂は広まっていった。
師の教えの通り、彼らは自らの作品が誰かの家族や友人になるように、
ひとつひとつに思いを込め、愛し愛される人形を作り続けた。
それはやがてレリアガルドの王家の者の耳にも届くようになる。
神の手を持つ人形師がこの国にいるのだと。
それは人形師ルアクスとマルクが成人を迎え、シモンもそろそろ二人に独立を
勧めようとしていたある年のこと。
シモンの小さな工房に、王室から直々に人形の注文が届いたのだった。
それはこの年に十歳を迎えるリースベット王女が、この工房の評判を聞き
「自分だけの特別な友人」を欲したためである。
この思いもよらぬ王家からの注文と、王女の誕生パーティーへの招待の手紙には、
もう一つ特別な「要望」がしたためられていた。
それは、「二人の優秀な弟子」の競合。
王女へのプレゼントで腕前を競わせ、王女が選んだ人形を作った人形師を
王家に召し抱えるというものだった。
選ばれた方は堂々と自分の工房を持ち、王家のお抱えという偉大な名誉を与えられる。
シモンにとっても、弟子たちにとっても、突如として舞い込んできた、
夢にも思っていなかった出来事。
しかしそれが彼らの運命を大きく、歪なものに変えてしまったのだ。
王女への特別なプレゼントを、二人は誕生日に間に合うようそれぞれの作業場に籠り
懸命に造っていた。二人の競合であるがゆえに師であるシモンもそこに介入することはなく、
彼らが一体どんな作品を造り上げるのかは当日の楽しみとしていた。
これは王女への贈り物としてだけではなく、この工房から独り立ちするための特別な作品だ。
きっと今の彼らの最高傑作になるだろう。
そんな師の期待の裏で、マルクの心には影が差していた。
マルクは、シモンやルアクスの前では長年変わらぬ態度で過ごしてきたが、
いつからかルアクスと腕前に差が出始めたことに自分で気が付いていた。
その差を埋めるためマルクは懸命に仕事に励んだが、埋まるどころかどんどん離されている。
親友の作品を見るたびに、自分の作品と比べては、その心を曇らせて卑屈になっていった。
やがてマルクは完全に恐怖心に捕らわれる。
きっと自分はこの競合に負けるだろう。
それも、王女の誕生日という晴れの舞台で、そこに集まった大勢の前で、
同じ師の下で学んだ友人に敗北する。
そんな考えがマルクの精神を徐々に支配し、追い詰め、
ついには特別な人形を造るその手を止めてしまったのである。
王女の誕生日と二人の競合を翌日に控えた深夜、ルアクスの作業場の扉が小さくノックされる。
ちょうど作品の最後の仕上げと確認を終えて、作業場を後にしようとしていたルアクスは
わずかにその扉を開けて訪問者を覗き込んだ。
そこに佇んでいたのは、マルクだった。
こんな夜中にどうしたのだろうかと思ったが、明日は競合の日。
今夜は自分たちにとって特別な夜なのだと、ルアクスは思った。
ルアクスには彼がいつになく寂しそうな顔をしているように見えたのだ。
「ごめん、邪魔だったかな」
「いいや、ちょうど終わらせたところだよ。君も準備は万端かい?」
ルアクスは普段、自分の作業場に人を入れない、人に見せないようにしていた。
仕事に集中し、作品に思いを込める。
師から学んだ「魔法」を使うには、自分だけの聖域が必要だった。
けれども、特別な夜に訪ねてくれた親友を追い返してしまうなど、そんな無粋な思いを抱く事はない。
マルクはきっと、幼い頃から同じ工房で過ごした親友に別れを伝えにきた。
そう思ったルアクスは、親友のためにその聖域の扉を開けた。
「マルク、明日の競合で私か君のどちらかがこの工房を去る。
だから君にだけ特別だ、私の作業場を見せるよ」
「ありがとう、最後にどうしても……ここでお前に会いたかったんだ」
小さな明かりに照らし出されたルアクスの作業場。
設計図やメモの走り書き、それから仕事道具があちこちに乱雑に置かれ、
とても整頓されているとは言えない。ありきたりな職人の部屋だ。
それでも明日披露されるであろう作品は、部屋の一番奥の机の上で、
上等な箱に大切に仕舞われていた。
その箱に視線を釘づけにされているマルクに、ルアクスは声をかける。
「……見るかい?」
マルクは黙ったまま頷く。
ルアクスは師にすらまだ見せていないその特別な作品を、マルクに披露する。
箱の中から現れたのは、まさにこの若い人形師の最高傑作と言える、
これまで見たこともないような美しいドールだった。
美しく整えられた艶やかな髪、不思議なきらめきを持つ透き通ったガラスと瞳と、
穏やかな微笑みを湛えた口元。肌は繊細に化粧が施され、まるで生きているような
血色を帯びている。白で統一されたドレスには細かな刺繍や装飾が丁寧に施されて、
王女への贈り物としては申し分ない、いや、それ以上の作品だった。
こんなものを、この男は誰の手も借りずに一人で作り上げたというのか。
マルクは恐怖すら感じた。
勝てない。
こんなものには自分だけではない、師であるシモンもほかの職人も、誰も勝てやしない。
この瞬間、人形職人マルクの心は完全に折られた。
神の手を持つ親友によって。
ルアクスは人形を再び箱に収めると、黙ったままのマルクを外へ誘い、
風にあたりながら思い出話などをしはじめる。
適当な相槌を打つマルクが上の空であることには気づいていたが、
彼の深い心の闇まで読み取ることはできなかった。
「君の作品も楽しみにしてる。きっと今まで見たこともない最高のドールに違いないよ」
そして訪れた王女の誕生日。
幼い王女の前に披露された二体の作品に、謁見の間は騒然となった。
右のドールは天使のように美しく、左のドールは無残に切り裂かれた醜い未完成の作品。
「これは王家への侮辱である!左の人形を造った者を捕らえよ!」
大臣の声が響くとともに、兵士達に捕らえられたのは人形師ルアクスであった。
右のドールはマルクの作品、左のドールはルアクスの作品として、
この場にお披露目されたのである。
「どうして……私の作品は、右のものです!左の人形は、マルクの作品でもない!
一体これは、誰の陰謀で……」
混乱の中でルアクスは必死に親友に呼びかけたが、マルクは動じない。
捕らわれ押さえつけられるルアクスを冷たい目で一瞥し、険しい顔で玉座に座る国王に、
跪きながら告げる。
「いいえ。右の作品はこの私、マルクのものです」
予想もしていなかった親友の言葉に、ルアクスは驚愕の声を小さく声を漏らし、
一瞬にして抵抗する力を失う。兵士たちによって完全に制圧されたルアクスの前で、
マルクは声を一層大きくして続ける。
「この者は、我が師シモンの後継者を勝手に名乗り、幾度も私や他の職人たちの作品を
盗んできた!だから彼は友人の私にさえ作業場を見せなかった・・・証拠ならここにある!」
立ち上がったマルクがコートの内側から取り出し、証拠として床にばらまいた紙束。
それはルアクスが作った、王女への贈り物の設計図やメモ書き。それだけではない、
過去の作品のものもいくつも。あの夜、作業場に散らばせていたもののすべてだった。
そしてその書類には、すべてあるはずのないマルクの署名が書き込まれていた。
「そんな……」
マルクの心を長年蝕んで来た影は、あの日完全なる闇となった。
それは努力では勝てない才能への嫉妬、そしてそれを見せつけられ打ちのめされる恐怖。
その闇を払うために、マルクはこれらの「証拠」をあの部屋から盗み出し、親友を売ったのだ。
「お待ちください!」
誰もがマルクの言葉を信じ、今や偽りの人形師となったルアクスを冷ややかな目で見つめる中、
たった一人だけルアクスを信じる者がいた。
それは彼を自らの弟子として、息子として育ててきた人形師、シモンであった。
「この者は決してこのようなことをする男ではありません!幼い頃から見てきた私だからわかる、
もしも罰するならば師であるこの私を……」
ルアクスの無罪を訴えるために、王の前に飛び出してきたシモンを兵士達が捕らえる。
恩師のその姿を見てもなお、マルクは表情を変えることはなかった。
「マルク、友を陥れてまで名声を得ようとは……お前にはいずれ天罰が下る!」
マルクはシモンの言葉を気にも留めない。
目の前にある醜い人形を乱暴に掴み、床に伏せられたルアクスに投げつけた。
「ああ、我が師まで騙していたとは。ここは王女様のための祝いの場。
その不吉なものを持って去るがいい、偽りの人形師め」
ルアクスは恩師シモンの訴えによって侮辱罪の刑罰を逃れることが出来た。
しかし自由の身になっても、彼に残ったのは偽りの人形師という汚名だけであった。
ルアクスを本当の息子のように育ててきたシモンだけが彼の味方だった。
「この工房に残って、またやり直せばいい。ここはお前の家なのだから」
ルアクスはそんな師の言葉に頷くことはできなかった。
陥れられたとはいえ、自分がこの工房の看板に傷をつけた。
自分を家族として迎えてくれた師の名に傷をつけたのだ。
「お師様、私はもう人形を作れません。本当の友を失ってしまったのだから。
マルクはあんな人間ではなかった。私が彼を傷つけ、そう変えてしまったんだ。
そんな私に人形を造る資格は、もう」
遠い昔、身寄りのない孤児の少年にちょっとした偶然で出会って以来。
師として父として接してきたシモンが、その日初めて彼の頬を打った。
ルアクスが師の涙を見たのも、その時が初めてだった。
「私の言葉を忘れたのか、私はお前を一人にはしない、するものか」
「……お師様にはきっとわからない」
我が子を手放すまいとするシモンの体を、ルアクスはそっと、優しく手で押し返す。
「どれだけ大切にしていてもいつか全部この手の中で消えてゆく、壊れてゆく。
手に入れたと思っていたものすべてが幻となって、長い夢から覚める。そんな恐怖は」
お師様、あなたも私を一人にしてしまう。私たちを分かつもの、それは間もなく訪れる、
あなたの死。私はきっとそれに耐えることが出来ない。信じていた親友を失い、
私に希望と生きる意味を与えてくれた父まで失う事に耐えることは絶対にできない。
ルアクスは知っていた。シモンが病を患い、もう長くない事を隠していることを。
その日の夜、ルアクスは長年世話になった工房を後にし、二度と戻ることはなかった。




