「魂の檻」の物語
崖から身を投げたはずのコレットは黄昏の野へ導かれる。
そこでとある者と出会う。
クオレマと共に崖から身を投げ、その下を流れる冷たい川に叩きつけられるはずだったコレットは、
気が付けばたった一人で見知らぬ野原に座り込んでいた。
日の沈みかけた黄昏の空の下で、金色の穂が優しい風に揺らされて、その心地よい音だけが響く。
それ以外は何も聞こえない。クオレマの姿もない。
ここは、天国だろうか。
でも、自分は天国に来れるような善なる人間だっただろうか。
これからここで、何もないここで、永久の静寂の中で、たった一人過ごすのだろうか。
それでもここは美しい。なんて暖かい。
ここがどこであるかなど、コレットにはもう考えることはできなかった。
足元に落ちていた金色に光る穂を拾い、柔らかな風に身を任せて、何も考えずにただぼうっと過ごした。
しばらくそうしていたコレットの耳に、風のささやき以外の音が聞こえ始める。
誰かが穂を踏みしめて、ゆっくりと後ろから近づいてくる。
でもそれは不気味な音とも、恐ろしい気配とも感じなかった。
コレットは、誰かがこんなところまで自分を迎えに来てくれたのではないかと、ゆっくりと後ろを振り返る。
「……あなたは、誰?」
そこに立っていたのは、コレットが見たこともない銀髪の男。
ここが死の国だったとしても、とても天使や悪魔には見えない、
白いシャツに少し汚れたブラウンのコートを着た、平凡な普通の人間。コレットの目にはそう映った。
風がその長髪を静かに揺らしていた。
「私の人形を、友としてくれてありがとう。
私はあの人形を作った人間の、もう一つの魂。ここは私が囚われている檻の中」
「檻…」
なぜ、自分がここに?
あの人形を作った人間とは誰の事?
その疑問は、コレットが口に出さなくても、思っただけでその男には伝わるようだった。
「クオレマを作った人形師、ティルグ・ベルヴェルグ。
そして私は彼が「ティルグ」になってしまう前の魂。
クオレマのために流した君の涙が、君をここに誘った」
コレットはその名前を覚えていた。ティルグとは、あの赤い瞳のクオレマが名乗ったもの。
人形師が、クオレマ自身になったということなのか。どうやってそんなことが出来たのだろうか。
でもあの人形が持つ願いと呪いの力の事を考えれば、そう不思議ではないとも思った。
この銀髪の男の目は、ちょうどこの空のような不思議な色をしている。
けれどもあの赤い瞳の人形の面影があるように感じた。
「私がここに呼ばれたのは何のためなの?私はクオレマのために何ができるの?」
「君は、あの人形のために何をしたい?」
「…私は……」
コレットはその続きを口にすることを、少し躊躇った。
ティルグのもう一つの魂だと名乗るこの男は、果たして自分の味方なのだろうか?
自分の願いを言ってしまっても良いのだろうか?
三つ目を願った瞬間、死の呪いに囚われるのではないだろうか。
でも、もしかしたら自分はもうとっくに死んでいるのかもしれない。
あの崖から落ちて、硬い岩肌に打ち付けられるか、冷たい川の中に落ちて溺れ死んだのかもしれない。
いくらクオレマがその身で守ってくれたとしても、どちらとも無事で済む筈がないのだから。
コレットは、覚悟を決めて願いともいえるそれを目の前の男に告白する。
「私は、クオレマを助けたい…そして、クオレマの中にいる、青い瞳のあの人も。
きっと、あの人は……私の知っている人。何かから私を守るために命を捨てて、
そのために今でもずっと、ずっと自分を傷つけ続けている。そうなんでしょう?」
銀髪の男は静かに頷く。
「あの青い瞳の者は、君の思っている通りの人物……ノエル。
彼は自らの願いによってあの人形の一部となり、そしてそのせいで自分を失いつつある。
あの者は自分の意思によってクオレマを動かしていると思っている、でもそうではない。
クオレマの中にいる限り、ティルグに操られ続けるだけです」
あの青い瞳のクオレマはコレットの思った通り、兄のように慕っていたノエル。
でも同時に、ノエルではない存在。だがこの銀髪の男はどうも核心に触れない。
ティルグとは何者なのか?何のためにクオレマを作ったのか?なぜ自らクオレマとなったのか?
なぜ善なる心を持ったクオレマに人を殺させているのか?
「…教えて、ここに私を呼んだ理由がきっとあるのでしょう。私は何をするべきなの?」
「君は救えるかもしれない。クオレマと、君の大切な人を」
その言葉と同時に、コレットが拾った金色の穂が輝きを増し、彼女を包む。
「それは私の記憶の欠片。
ティルグになってしまう前の人形師……ルアクスの欠片です」
コレットは光の中で、再び意識を手放した。




