「守るべき者」の物語
人形の正体を知った無力な少女に出来ることは何であろうか。
無力な人形が少女を守るために出来ることは何であろうか。
クオレマの器の中で、人形師ティルグの笑い声が響いた。
もはやあの者は完全に悪魔に取り憑かれた!
お前に善なる願いを口にした者は消え去り、自らの力で人間の生き死にを審判する快楽に溺れている。
そして、それに気づいてもいない。
そこまで墜ちてしまった者は……お前が持つ心や力ではどうにもできぬ。この私のように!
あと一手だ。あれを私の作品に仕立て上げるにはあと一手が必要となる。
ああクオレマよ、その時お前はどうなるのだろうか?
あの死神人形の中で、この私に捨てられ必要とされなくなった作品となってもなお、永劫に苦しみ続けるのだろうか?
復讐に燃えるかの者に完全に体を奪われ、止めることも呼びかけることもできなくなったクオレマは、
無様なものだと人形師にあざ笑われる。
既にクオレマは、ティルグ・ベルヴェルグの最高傑作として扱われることもなくなったのだ。
傷つき、壊れた、哀れで無力な人形。
呪いの力はノエルに継承され、ティルグはこの体を神の化身の如き姿に生まれ変わらせ意のままに操れる。
やはりあの者は、願いと呪いのために死んだ、コレットの話していた「ノエル」なのですね。
コレットをあんなに強く守りたいと思う彼は、本当に私にこんな事を望んだのでしょうか?
人の思いに干渉する願い、結末のわからないそれが彼自身を変えてしまったのでしょうか?
すべてが、私のせいなのでしょうか?
だとすれば、最も罪深いのは私です。私は私自身を裁くことはできない。
では誰が私を罰してくれるというのか?
ここでこうしてあなたと彼が呪いを振りまくのを黙って見ていることが、私への罰なのでしょうか?
人形師ティルグ、あなたはなぜ私を作ったのか、なぜ心を与えたのか、
あなたは本当は誰に裁きを与えたかったのか。
この長い旅の中で、もう、そんなことは忘れてしまったというのですか。
クオレマの嘆きはこの人形師には少しも届かない。
せいぜい特等席でこの先の惨劇を見ていろと、彼は鼻で笑うのだった。
コレットの前で再び顕現した青い瞳の死神人形、ノエル・クオレマ。
彼の目的は一つ、コレットを利用した罪深き者への断罪。
この人形はティルグ・ベルヴェルグが定めた「クオレマの呪い」の範疇にはもういない。
コレットが赤い瞳のクオレマに願い救ったトリスタンの命も、この死神は自らの意思で刈り取ることができる。
「やり残したことを、終わらせてくる」
ノエル・クオレマはコレットに背を向けて、静かにつぶやく。
せめて、怯える少女に呪いの化身としての顔を見せないように。
コレットはもう彼を止めることはできないと悟っていた。
ティルグが去り際に放った言葉は現実となる。自分の力ではトリスタンを助けることはもうできない。
かける言葉も出てこない。茫然自失のまま、力の入らない足は膝から崩れ落ちる。
大鎌に変化した杖を携え、あの古屋へと向かって歩き出す彼を、黙って見つめる事しかできなかった。
また、自分の周りで人が死ぬ。いや、自分のせいで人が死ぬ。
この望まぬ悲劇はなぜ起こってしまうのか。何がそうさせているのだろうか。
コレットはしばし失望の中で呆然とし続けたが、やがて空が白んで来た事に気が付く。
このままこうしているわけにはいかないと、せめてもう一度だけでもあの人形に懇願しようと、おぼつかない足取りで古屋へと向かった。
しかし、そこで少女が見たものは、世にも悍ましい光景。遅かったのだ。
血の海の中で、鋭い刃のようなもので無残に幾度も切り裂かれ絶命しているトリスタン。
その体は見せしめのように、腕を乱暴に杭で貫かれて壁に磔にされてる。
そして、鮮血を浴びて床に倒れている人形。あの青い瞳の人形ではない。
コレットを助け出そうとしたクオレマだ。その傍らには、ノエルの杖。
現実のものとは到底思えない、思いたくないこの惨劇に、再びコレットは動くことも話すことも出来なくなる。
目の前に倒れているのが心優しきクオレマであるとわかっていても、この惨劇を起こしたのは間違いなく彼の中に眠るあの青い瞳の人形。
あの者が「やり残したこと」を終わらせたのだ。
あの時早く人形を追っていれば、現れた時にすぐにでもトリスタンの命乞いをすれば。なぜそうしなかったのか。
コレットの心にあるのはもう、起きてしまった悲劇や人形への恐怖ではない。自分への激しい罪の意識。
きっと自分がこの人形を動かした。ドラクロワ家の主たちを死に追いやり、屋敷を焼いたのも恐らくそうだ。
村を出ようとした時にクオレマが言った通り、もうこの人形と自分は一緒に居てはいけない。
「彼」を止めることはもう自分にもできない。悲劇は必ず繰り返されるだろう。
コレットは自然と、その場から後ずさる。その気配と足音が、クオレマの意識を取り戻させた。
「コレット……私は……」
恐らくクオレマもこんな事は望んでいなかっただろう。
顔や服を血で汚し、動かない右足を引きずり杖を頼りに懸命に立ち上がろうとする。そのあまりに痛ましい姿に、コレットの目に涙が浮かぶ。
「ごめんね、私のせいで、ごめんなさい……何もできない私を……絶対に、許さないで」
それはコレットの精一杯の謝罪と別れの言葉。
少女は人形に背を向けて、血にまみれた古屋を出て走り出す。
「コレット!」
クオレマは杖をついて必死に後を追う。
駆け出したコレットがこれから何をしようとしているのか、クオレマにはわかってしまった。
少女が向かった先は、村のはずれの丘のその向こう。
その向こうには。
「いけません、あなたには何も罪はない。今までの事は全て私が犯した罪、
私の弱さが罪を犯したのです」
コレットは今、切り立った崖の上に立っている。
少女はここから身を投げて自ら命を絶とうとしている。
自分のものではない罪を背負って、死ぬ覚悟でここに来たのだ。
「クオレマ、次に私があなたに何かを願ったら、私は死ぬ。
そのためにあなたの中にいる二つの人形が争って、
人の命まで奪って、あなたを苦しめているのでしょう?
私は、あなたを助けたい……でも、あなたを救うために何を願ったらいいのかわからない。
私は自分でやらないといけない。あなたの力で私を殺させたら、あなたをもっと苦しめてしまう」
「その苦しみは、私が殺そうとあなたが自害しようと、何も変わらない。
本当に罪を清算しなければならないのは私です。
それでもあなたを守るために、今の私は存在している。お願いです、私は……」
コレットは涙を浮かべながら、精一杯微笑んだ。最期の別れのために。
「ノエル。私の大切な友達でいてくれて、ありがとう……」
言い終わらないうちに、コレットはクオレマを見つめたまま背から倒れ込む形で、崖から身を投げようとした。
クオレマは咄嗟に、少女を細くて小さな手をつかまえようと、動かないはずの足で駆け出した。
クオレマの中で同じ思いのノエルが力を貸したのだ。
「私はあなたを守りたい!願いだけではなく、この私の意思で!」
クオレマの、そしてノエルの手がコレットに届く。
その崖は高く、下には川が流れているようだった。上りつつある朝日が、水面をわずかに照らす。
コレットはクオレマに腕を掴まれ、宙づりになった。
クオレマは懸命にコレットを引き上げようともがくが、重力に任せて体はどんどん奈落へ引きずられてしまう。
「だめ……手を、離して……っ」
「嫌です、離しません!その願いは叶えない!」
「あなたまで落ちてしまう……お願い……私を、死なせて……」
クオレマの抵抗もむなしく、二人はついに崖から投げ出されてしまう。
それでも、手は固く結んだまま。
奈落への落下は一瞬の事だろう、しかし二人には、とても長い一瞬。
クオレマはコレットの体を守るよう抱き寄せて、そしてコレットは血の通わない人形にはない筈のぬくもりを感じることができた。
「ノエル……」
コレットの目に浮かんでいた涙がついにこぼれ落ちる。
その涙がクオレマの体に触れた瞬間、コレットの意識はまばゆい光に包まれて、どこへかへと連れ去られた。




