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「深紅の瞳の者」の物語

親友に裏切られ、絶望を抱いた人形師は魔なる者に導かれる。

数百年に及ぶ復讐劇の幕があける。


ルアクスが選んだのは、自らの死。

耐えがたい道を選ぶくらいならば、夢が覚める前にこの人生を自ら終わらせる。

幸福だった。いい人生だった。誰にも必要とされずに捨てられた惨めな孤児にとっては、

あまりに過ぎたものだった。明るく優しかった親友の心を変えてしまい、

実の子として育ててくれた師を拒絶した自分の罪を償わなくてはならない。

ルアクスが銀の刃を手にし、自らの死に場所と選んだのは、打ち捨てられた古城。

この城もかつては、大勢の者が華やかに暮らしていて、華美で輝きに充ちていた事だろう。

それが今は、誰も近づくことのない寂しく暗い静寂の城。


ここが、今の私の死に場所に相応しい。


ルアクスは古城の朽ちた扉を開き、吸い寄せられるように闇に包まれた礼拝堂へとたどり着く。


さようなら。私に魔法を教えてくれた大切な恩師よ。

親友だと思っていた者よ。思いを込めた私の作品たちよ。

絶望も苦悩も恐怖も、この刃一つで終わらせることが出来る。

そして私にはもったいないくらいの人生を、終わらせることが。


ルアクスは震える手で、刃を首に押し当てた。

痛い、苦しい、生ぬるい血がじわじわとしたたり落ちるのを感じる。

この程度では死ぬことは叶わない。

覚悟を決め、手に力を込めて一気に搔っ切ってしまおうとしたその時だった。




人の子よ。ようこそ我が城へ。




誰もいるはずのない古城に突如として何者かの声が響く。それは少し甲高く澄んだ、女のもの。

朽ちた礼拝堂を飾る大きなステンドグラスに、赤い月の光が妖しく差し込む。

かつてここで崇め祈られていたであろう、救いの神のシンボルはひび割れ崩れ落ち、

床には赤薔薇の絨毯が広がっている。

声の主は講壇に腰掛け長い足を組み、頬杖をついているように見えた。




「絶望を抱えてこんな所まで来たのに、いざとなってみれば怖気づいて死にきれない。

哀れで弱き者。己の悲運に酔っているのだろう。悲劇の主人公でいるつもりだろう。

その悲劇を終わらせる気は、本当にあるのか?」




その者の姿と言葉にあっけにとられたルアクスの手は、覚悟をすっかり失い、

その刃を首から離してしまう。礼拝堂を照らすのは月明かりだけ。

わずかに見えるその女は足を大きく露出させた深紅のドレスを身に纏い、

長い長い銀髪は薔薇の絨毯の上に美しく煌めき広がっている。

女は足を組みなおし、言葉を続ける。




「我は夜の支配者、不死の女王。この城の主リーリム。

お前たち人間は我を悪魔やら吸血鬼と呼ぶ。だが恐れることはない、喜ぶがいい。

お前はこの城に呼ばれた、我に選ばれたのだ」




リーリムと名乗る女が片手で長い銀髪を優雅にかきあげる。

その瞬間、開け放たれていた礼拝堂の扉が大きな音を立てて勢いよく閉まる。

ルアクスは悪魔の支配する城に閉じ込められたのだ。

あまりの出来事に口を利くことも動くことも出来ずにいたルアクスの手から銀のナイフが滑り、

硬い床に落ちて鋭い金属音が響く。その音を合図に我に返ったルアクスは、

血が流れ続ける首を押さえてその痛みのあまり膝をついて呻いた。




「痛いか?苦しいか?お前はそのまま血を流し続けて、

長い時間をかけて苦しみながら死ぬこともできるが、我がお前の命を預かることもできる」




悪魔は講壇を降り、靴音を響かせながら苦痛に呻く弱き者にゆっくりと近づく。

ルアクスの体を恐ろしいほどの寒気が襲う。それは人ではない、邪悪なる者が放つ見えない力。

弱き者を屈服させる力。その力に操られるように、ルアクスの視線はリーリムを追う。

目の前まで来てようやく全貌が明らかになったその女悪魔は、なんとも美しい容姿で、

赤く輝く瞳を細めて蠱惑的に微笑む。

そして長い爪を持つ人差し指でルアクスの首からわずかに血を掬い、舐めてみせた。




「かわいそうに。……ふっ、そう言われたいのであろう?我が何度でも言ってやろう。

お前は罪なき哀れなる者。欲深き狩人に翼を折られ、血を流している白い鳥。

我はその血と引き換えに、お前に新たな翼を与えることができる。言っている意味が分かるな?」




悪魔はルアクスの眼前に青白い手の甲を差し出す。

それは不死の女王に平伏し、忠誠を誓い、口づけをしろという意味だ。




「契約せよ、悲劇の主役にはまだ役目がある。そのために我が手を貸してやる。

お前の物語はここでは終わらせぬ。我にその血を差し出すのだ」 


「私の、役目……」




もはや死の覚悟をすっかり失ったルアクスは、自分の心を裏側を全て見抜いているこの悪魔に、

完全に魅入られてしまった。悲劇の主人公に差し伸べられた手。

ひとつは善なる魔法を教えてくれた師の暖かな手。もうひとつは、

血を求める魔なる者の氷のように冷たい手。

甘い言葉に唆された白い鳥は、間違った手を取ってしまったのだ。


悪魔に誘われるままその手に契約の口づけをした瞬間、ルアクスの全身を

内側から焼くような激しい苦痛が襲った。首の傷から血が大量にあふれ出し、

二人の足元に血によって魔法陣が描かれる。リーリムは甲高い笑い声を、ルアクスは悲鳴をあげ、

ほんの少し前まで静寂に包まれていた礼拝堂は狂乱の場と化す。

陣を描いた血は、終わることなく流れ続ける血は、やがて妖しく輝きながら、

薔薇の花弁となってあたりを舞い踊る。




「頂くぞ、お前の血、お前の命。そして約束通りお前に力を与えよう」




リーリムの長い銀髪が翼のようにはためく。

彼女はそのうちの一本を引き抜いて、苦しみ喘ぐルアクスの首の傷を指で抉り、それを押し込んだ。

すると首の傷がひとりでに塞がり、出血は止まる。

しかしそれと同時に別の苦痛がルアクスを襲った。口から黒い血が噴き出て、呼吸が出来なくなる。

そのうち苦しみに耐えかね、四つん這いになり大量の血を吐き続けた。

悪魔に力を与えられた者は、代償として人としての何かを失わなければならない。

今この男が吐き出しているものがそれだ。

リーリムは指についた血の味を舌で楽しみながら、この男が魔に墜ちるのを待った。


礼拝堂に再び静寂が訪れる。

悪魔と契約し人ではなくなったその者は、捧げた命の分だけ歳を重ねた姿へと変化していた。

それが一体何十年分なのかははっきりとわからないが、リーリムに平伏すのは

皺だらけにやせ細った老人。

契約の証は悪魔と同じ、深紅の瞳。




「どうだ?真に人を超えた者になった気分は?」




もはやルアクスでなくなったその男の心を支配するのは復讐心。悪魔に与えられた悍ましい力を、

今すぐにでも使いこなしたいという渇望。湧き上がる邪悪な意欲に、その者は笑みを見せる。




「悪魔よ、悟ったぞ。私の役目、私が成すべきことを」


「ならば行くがよい。お前はもう我らの同胞。あるいは死人。

人の名を捨て、人であったことは忘れよ」




閉ざされていた礼拝堂の扉が不気味な音を立てて開く。

新たな道をリーリムの操る深紅の薔薇が作り、導く。魔なる者となった男は振り返ることなく、

茨を踏みしめてその道をゆく。こうして、かつては神の手を持つとも言われた人形師、

ルアクスという人間はこの世から消え去ったのだ。


かの者を魔の道へと堕とし、人間の血と命によって不死の女王であり続けるリーリムはほくそ笑む。




「お前がその力で奪った命は、我が美味しく頂こう。お前はこのリーリムの奴隷となった。

せいぜいその力に溺れて我のために働くがよい、神にでもなった気でいる哀れで愚かな者よ」







とある小さな寂しい村に、風変わりな老人が一人暮らしていた。

彼はかつては高名な人形師だった。子供たちにかけがえのない友を与え、

まさか人の手で作られたとは思えない、その人形の美しさで大人たちすらも魅了した——



一体誰が作ったのか、そんな一説から始まる伝説じみた噂を囁かれる、どこの誰ともわからぬ老人。

悪魔が住まうと言われている古城の傍にある、小さな村のはずれにいつの間にか住みつき、

常にその素顔を仮面で隠している。

美しくも不吉な人形を造り続ける謎の人形師、ティルグ・ベルヴェルグ。

彼が手掛ける作品の題材は、すべて「死」であった。

不気味ながらも魅力のある人形に物好きな商人やコレクター達は興味を抱き、

一方で彼の作品は呪いの人形として扱われることもあった。

持っているだけで不幸に見舞われる、呪われる、命を吸われる。そのように噂は広まる。

やがて人形だけではなく、それらを造った人形師そのものが邪悪なる者として扱われるようになった。


実際、彼の作品には本当に「呪い」が込められていた。

それこそが血と引き換えに悪魔リーリムに与えられた能力。

彼は限りある残り短い命を、人の世に呪いを振りまくためだけに使う。

一度は人形師であり続けることを諦め拒んだ彼だったが、魔なる者の宿命なのか、

その創作意欲は止まることはない。

しかしかつて師に教えられた「愛される人形」を、彼は二度と作ることはなかった。



「ベルヴェルグ、あの古城の名前だ。

だがあの人形師が何者なのかは誰も知らないよ。不気味な爺さんさ」



村人たちもその老人の正体は知らない。関わることもない。

そしてティルグ・ベルヴェルグもそれを望んではいない。

彼は人を憎み続ける存在となったのだから。





時はあっという間に過ぎ、「王女の誕生日」の事件から十三年が経った。

王家のお抱えとなり、自分の工房を持ち、そして結婚もして幸福な家庭を築いたマルクの元に、

ある日差出人のわからない美しい包みが届く。添えられていたのは

「プリンセスへ 十歳の誕生日おめでとう」とのメッセージカード。


マルクには妻との間に、その日十歳になる娘、ドリスがいた。

誰かが娘のために誕生日プレゼントを送ってよこしたと思ったマルクは、

妻と娘の前でその荷を解く。

しかしそこに現れたのは、あの日「王女の誕生日」に披露した、

未完成の「悪魔の人形」そっくりの不気味な人形。


恐れおののいたマルクは急いで暖炉にそれを放りこみ焼いてしまったが、

失踪したとも死亡したともいわれているルアクスの仕業ではないかと恐怖を抱いた。


それから間もなくしてマルクの工房は出火し、一家は全員その炎によって死亡した。

こうしてティルグ・ベルヴェルグの復讐は遂げられたのだ。


老人形師が呪いで奪った命は、かつて契約を交わした悪魔に捧げられる。




ああ旨い、やっぱり無垢で若い女の命が一番だ。お前の命もそこそこだったがな。




かつて自分を陥れた裏切り者への復讐を果たした狂気の人形師が次の獲物に選んだのは、

人間そのもの。死の間際に至高の傑作、呪い人形「クオレマ」を完成させ、

自分の魂をその人形に預けた。彼は死を拒んだ。

人間を呪い続ける存在として、自らが死の化身となり、生き続けることを選んだのだ。




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