0198
Side:足利尊氏
近江の方の仙太郎と高がどうなったのかは分からぬが、オレ達は逃げた楠木殿を追う。
とはいえ既に逃げられてしまっている以上、このまま追撃をしても無駄であろう。
なので十分に兵を休ませた後に出発する。
それにしても楠木殿に勝てたのはよいが、それは向こうが苦手な平地で大軍を使ったからだ。
そして策も然してない力押しで勝ったに過ぎぬ。
正直に申せば褒められたものではない。
それでも勝ちは勝ちであるがな。
オレ達は軍勢を整え、そして京の都へと進軍。
そのまま進んで行くも、京の都までに罠などは無かった。
相当に警戒していたのだが、楠木殿は負けると思っていなかったのか?
それともどこか別の場所で罠に嵌める気であろうか?
「それは分からないけど、京の都からは撤退したっぽいね。
おそらくだけど比叡山に逃げたんじゃないかな?
帝が都に居るなら守っただろうけど、居ないところを見るに、帝が比叡山に逃げたからそっちに行ったんだと思う」
「だろうな。オレもそう思う。
それよりも、オレはやるべき事をすぐにせねばならん。
黒金と桜はついてきてくれ」
「光厳院の所へ行くんだね? あの密勅は光厳院に渡しておいた方がいいよ。
後醍醐帝に奪われたら、必ず潰されるだろうし」
「ああ。だからこそ今の内に光厳院にお渡ししておかねばならん。
すまぬが直衣に着替えて準備してくれ。
オレも預けてある所へ取りに行く」
そう言って黒金達と別れたオレは、先に知り合いの公家の所に行き、光厳院にすぐにお会いしたい事を伝えてほしいと頼む。
急ぎでと頼んだので、重要な事だと分かるはずだ。
その間にオレは六波羅の屋敷に行き直衣に着替える。
その後は黒金達と合流し、再び公家の家を訪ねると、光厳院はすぐに会って下さるとの事であった。
良かったわ、ここで警戒されて会えないとなればマズかった。
オレ達は案内されて光厳院の下へと行き、無事にお会いする事が叶った。
結構な公卿や公家が周りを囲んでいるが、それはむしろオレにとって都合が良い。
「足利武蔵守。急に会いたいとの事であったが、いったい如何した?」
「はっ!
京の都にて、新田左兵衛督が護良親王殿下を殺したのは、それがしだと吹聴しておると聞きました。
院はお聞きになられた事はございますか?」
「ふむ。確かに聞いた事はあるが、それが如何した?」
「それは誤りだとか申すのではおじゃりませぬか?
わざわざ院にお会いしたいと言うておきながら、それが下らぬ弁明とは……」
院の近くにいる公卿が茶々を入れて来たが、後醍醐帝と繋がっておるのか?
別にそれならそれで構わんがな。
ここで公卿や公家が密勅を検めればオレの勝ちだ。
なのでオレは懐から密勅を出す。
「弁明ではございませぬ。
先程それがしが懐から取り出したこれは、後醍醐帝からの密勅でございます。
ここには護良親王殿下を密かに暗殺せよと書かれておりますれば」
「「「「「「「「「「なっ!?」」」」」」」」」」
「そんなバカな事があるはずなかろう!!
ええぃ! これだから武士という山猿は困るのだ!
さっさと叩き出してしまえ!!」
「院が言われるのであれば分かりますが、何故そちら様が慌てておられるので?
それがしは院にこの密勅を届けに参ったのです。
後醍醐帝に近き者であれば“握り潰されて”しまいますからな」
「うっ……くっ…………」
「その密勅とやらを近うへ」
「ははっ!!」
公家の方がオレの目の前にある密勅を持って行き、そして光厳院にお渡しした。
先程必死になって喚いていた公卿の顔が苦虫を噛み潰した顔になっておる。
白塗りだから顔色までは分からぬが、かなり良くないというのは簡単に分かろうというもの。
「………ふむ、これは間違いないの。後醍醐の帝が記された物だ。
花押も含めて本物で間違いない。
まさか自らの子である護良親王を暗殺せよと命じるとは……」
「そ、そのような事はありますまい!
それは偽物! そう、偽物でございまする!!」
「後醍醐帝はあの時、叡山が親政に口を出してくる事を苦々しく思うておられたようでございます。
それがしにも愚痴として溢されておりましたし、叡山は護良親王殿下を利用して口出しをしておったようで……」
「なるほど。
彼の者の元は天台座主であり、生きていた頃から頻繁に叡山と文のやり取りをしていたのは知っている。
さらには叡山の坊主から、武士を悪し様に語られ続けたという事も聞く。
それ故に足利武蔵守に嫌がらせを続けていた事もじゃ」
「その後醍醐の帝は、今叡山におられますがな。
これは皮肉と申し上げて宜しいかと」
「まことにその通りでおじゃりますなぁ。
叡山を邪魔者扱いしておきながら、足利武蔵守が迫るや、その叡山に逃げ込むとは……」
「しかも足利武蔵守に手を汚させておきながら、自らは知らぬ存ぜぬですからな。
この事で後醍醐の帝が何かを仰られたという事を、麿はとんと聞いた事がございませぬ」
「後醍醐の帝は何を考えておいでなのか……
下の者を悪し様に扱えば、民心と同じく離反するも仕方なかろうに」
「<二十分の一税>の重さで、既に民心は離反しておりますからな。
京の都の中ですら、怨嗟の声が聞こえるとも聞きまする。
後醍醐の帝はこの世を地獄に変えたいのでおじゃりましょうか?」
「これ、そなた達。そこまでにせよ」
公家が一斉に頭を下げたが、間違いなく後醍醐帝の側の公卿や公家に対する嫌味だな。
どうやら公卿や公家にも相当の鬱憤が溜まっておるようだ。
直接的に<二十分の一税>を受けておる訳ではないが、その税の所為であらゆる物の値が上がっておるからな。
当然か。
公卿や公家が値を下げろと言うたところで、<二十分の一税>の事を出されたらどうにもなるまい。
帝の所為で値上がりしておるのだから、公卿や公家も文句の言いどころが無いのだろう。
とはいえ税を免除されておるだけ楽であろうが、としか思わんがな。
「足利武蔵守。これは我が預かる、それでよいのじゃな?」
「はっ!
それがしが死ぬまで持っておれば、足利家を悪う言いたい者どもの好きにさせてしまいまする。
それを防ぐ為には院にお渡しするしかございませぬ。
よろしくお願いいたしまする」
「相分かった。それでは我が持ちておこう。
これで終わりかな?」
「ははっ!」
「それでは、これで終わりじゃ」
その光厳院の言葉でオレは下がる。
あれが証で云々と思ったら大間違いよ。
オレにとって最も大事なのは、この場で密勅を暴露する事にある。
ここに居た多くの公卿や公家は、必ず屋敷に帰って日記に書くであろう。
それがオレにとって最も大事な事なのだ。
後醍醐帝が躍起になって密勅を潰しても、公卿や公家の日記には残る。
<吾妻鏡>や<水鏡>だけが古きを残す書物ではない。
オレも京の都に来て知ったが、平安当時の関白であられる九条兼実公が残された日記に<玉葉>というものがあるのだ。
そこには当時の事が書かれておるのだからして、公卿や公家の日記には当時の事が残るのだと知った。
だからこそオレの本当の狙いは、公卿や公家の日記となるのだ。
そちらが何百年と残れば、オレが私欲で暗殺した訳ではないと後世に残る。
なのでこれだけは今の内にやっておかねばならなかった。
楠木殿もそうだが、必ずや京の都に攻めてこよう。
そしてそこでオレが死んだとしても、必ずや真実は残る。
それこそが大事なのだ。
後醍醐帝は密勅の事を否定するであろうが、そう簡単にオレや足利家だけを悪者にはさせんぞ。




