0175
Side:楠木正成
ワシが紀伊に部下を送って幾日か過ぎた。
この日、護良親王殿下が捕縛されたとして、弟が慌てて駆け込んできたのだ。
「兄者、如何する!?
まさか護良親王殿下が捕縛されるとは思ってもみなんだ。
疎まれておったとはいえ親王殿下なのだ。
捕縛まではすまいと思っていたのだが……」
「流石に看過できぬようになったのであろう。足利殿の邪魔ばかりしておったからのう。
片や仕事の邪魔をされる所為で訴訟の仕事が滞る。
片や仕事もせずに嫌がらせばかり。
どちらを重視するかは明らかじゃ。
むしろ帝が捕縛の勅を出すまで止めなんだのが悪い」
「それはそうじゃが、そこではない。
我ら楠木一党は護良親王殿下に近いと思われておる。
このままでは要らぬ事を言われかねんぞ」
「心配致すな、既に手は打ってある。っと、そろそろじゃから内裏へと行くぞ」
「あ、ああ。分かった」
弟は困惑しておるようじゃが、こういうときに打つ手は簡単でよいのじゃ。
難しく考えるから、おかしな事になる。
もっと簡単に考えれば、やる事は一つだけよ。
それだけで済むのだからして、慌てる必要など無いのだ。
内裏に入り、案内に従ってワシらは進む。
正装に着替えねばならぬのが面倒だが、致し方あるまいな。
これは必要な事じゃからして、我慢せねばなるまい。
おっと、平伏せねば。
「楠木か。そなたが来るとは珍しいの。如何した?」
「ハッ! 護良親王殿下が捕縛されたと聞き、それがしは全ての役を辞したいと思い参りました。
それがしは支えねばならぬ立場でありましたが、それを怠ったが此度の事に繋がったのであろうと存じまする。
故に全ての役を辞したく」
「しかしのう……。そなたがおらねば回らぬ事も多い。
足利左兵衛督もそうじゃが、そなたもまた必要な者。
他の役は構わぬが、記録所の寄人と雑訴決断所の奉行人は続けるように」
「かしこまりましてございます」
チッ! 万里小路様のように逃げる事はできなんだか。
とはいえ他の役は辞してよいとの事なので楽にはなる。
そもそもワシ一人が出来る仕事量でもなかった。これで一息吐けるというところだ。
そもそもじゃが、もっと公卿や公家を入れれば良かろうに、何故役目の数を絞っておるのであろうな?
今も数が足りんのだし、公卿や公家を優先しておるなら、もっと公卿や公家を入れるのが筋ではないのか?
帝の前から辞し、歩いて戻りながら考える。
しかし答えが出んな。なぜ公卿や公家に仕事をさせんのだ?
暇だから愚かな事を始めるのであろうに。
「どうしたのだ兄者? 先程から考え込んでおるようじゃが……」
「いや、雑訴決断所は特にそうじゃが、まったく人手が足りておらぬ。
ならば役目がなくて暇な公卿や公家の方々を入れればよいと思うのじゃがな。
なぜそれを為されぬのであろうと、そう思うておったのだ」
「そういえば、そうじゃの? なぜ公卿や公家の方々をもっと入れぬのであろうか?
そうすればもっと仕事が進むと思うのじゃがな」
………下らぬとは思うが、ふと思った。単に働かずに偉そうな事が言いたいだけではないのか、と。
ようするに己らは働きもせずに褒美を寄越せと言い、武士は野蛮だなんだと言いたいだけではないかとな。
公卿や公家の方々ならば十分にあり得るのが、何とも言えんところだ。
…
……
………
こう言うと不敬だなんだと言って首を落とされるかもしれぬが、帝は阿呆なのか?
いきなり大内裏を再建するとか言いだし<二十分の一税>を敷くと決めたのだ。
信じられんほどの税の重さであるし、しかもそれが大内裏の造営の為じゃ。
民も坊主も神官も武士も激怒しておる。
怒っておらぬのは税の負担が無い公卿や公家だけよ。いい加減にしろと思うわ。
しかも紙銭を新たに出して、労役も課すと言うたのだとか。
……頭がおかしいにもほどがあろうよ。
「兄者、これはどう考えてもマズいぞ。怨みや憎しみがワシらの方にまで向かってきかねん。
帝が言われたとはいえ、こんな事は不可能じゃ。一斉に民が蜂起するわ。
それに巷では北条の方が良かったとまで言われる始末」
「言いたくなる気持ちもよう分かるわ。
ワシは鎌倉から京の都に実権を戻さねばと思うて立ったのだ。
このように世を荒らす為に立ったわけではない。
なぜこんな事になったのか、わけが分からん」
「しかしどうする?
楠木一党の旗は立てられたのだし、逃げてもよいと思うぞ?
流石に誰も咎めまい」
「それが出来たらな。
ここまで世が乱れると、必ずや北条の残党が決起するぞ。
そしてそれを鎮圧せよと必ずワシらの方に言うてくる。
そうなったら如何する? ワシらは出るしかなかろう。
最早どうにもならぬ」
「それでも………いや、そうなればワシらの土地まで奪って誰かに与えかねんのか」
「そういう事よ。無理矢理にワシらの物だと言い張ってもよいのだが、必ず誰ぞが奪いに来る。
そしてそれが続くと防ぎ切れん。必ずどこかで敗れて奪われる。
帝だけならば諦めて下さるだろうが、欲に塗れた者は幾らでもおるからな」
「そうじゃの。……最初から間違えておったのか?
いや、楠木一党の旗を立てるには帝に御味方するしかなかったのだったな」
「致し方がないと諦めるしかないの。これもまた我らの道であろうよ」
嫌な道じゃがの、しかしそれでも歩みを止めるわけにはいかぬ。
せっかく立てた旗を下ろすわけにはいかぬし、今さら止まる事も出来ぬ。
ここまで走ってきた以上は、最後まで走りきらねばな。
…
……
………
紀伊に行かせた部下が負けて帰ってきた。
まあ勝敗は常にどちらに向くか分からぬからの、致し方ない。
それでも部下が無事に帰ってきて、やれやれじゃ。死んだら何もならぬからの。
して、今度は足利殿が部下を出す事になったらしい。
流石に連続は厳しいので助かるわ。
我が楠木は足利家と違って、そこまで銭があるわけではないからのう。
ま、元々向こうは鎌倉の時から最有力の御家人であったらしいし、そうなれば土地も多く持っておろうからな。当たり前ではある。
ちなみに行くのは足利尾張守高経という者らしい。
聞いた事がなかったが、足利尾張守家という一門衆の家らしいわ。
正しくは一門の中でも別格の家らしく、足利本家に次ぐ家の者のようだ。
ただし足利殿は勝てるかどうか分からんと言うておったがの。
家は立派でも、戦が得意かは知らぬそうだ。
そんな者を遣わすのかと思うが、足利家ほど大きいと、下の家の者にも手柄をやらねば五月蠅い。
失敗したらおのれが悪いと言えば済むが、やらせねばそれも言えぬということ。
面倒で大変だと思うが、家が大きくなるとそうなるんじゃのう。
我が楠木家もそうなるんじゃろうか? そこまで大きな家ではないので、イマイチ想像がつかん。
いちいち下の家の者に手柄を寄越せと言われる………駄目じゃ、そんな面倒なヤツは蹴り飛ばせとしか思わん。
そういう意味ではワシに大きな家を切り盛りする力は無いんじゃろうのう。子はともかく孫は分からんが。
ワシにはなくとも子孫にあれば問題ないのだから、大丈夫であろうよ。家が大きくなってもな。
どのような家も結局はそうやって繋がってきておるのであろうし、ワシが考えても詮無き事よ。
なるようになるであろうし、そうやって構えておって構うまい。後の事は子孫に任せよう。
それで子孫から恨まれたりするのかもしれぬが、それぐらいは甘んじて受けようぞ。
その時には家が大きくなって続いておるのだからのう。




