朽廃のバプテスマ
慣れない船で波に揺られ、潮風に吹かれながら、着実に地獄へと近づいていた。
いや、むしろ今が地獄かも知れない。船は何故ここまで揺れるのか…
気が付くと自分しかいなかった筈の個室に、自分より少し背の高い男が入っていた。
ドアを開ける音もしなかった。恐らくこの人が「その道のエリート」なのだろう。
「よお、物好きの坊主。前に会ったことあるか?」
初対面の男は確かにそう言った。
でも、こんな男なんて見たこともない。
孤児院には自分と同じか下の子供か、自分たちよりずっと高齢な母親代わりしか居なかった。
「いいえ。会ったことないです。」
…でも、不思議だ。この男からは何故か、自分と同じような匂いがする。
「そうか?その目、その雰囲気、その匂い。全部よく見るんだが…」
その男は、困った様子も見せず、平然と話した。
よく見るのか、僕のような存在を。
「…説明の時、一番右端にいた方ですね。よろしくお願いします。」
「ここに来たということは、何かしらの挨拶か説明があるんですか?」
これ以上はもういい。さっさと要件を聞いて休みたい。
「全く…つれない奴だな。まあいい。そうだな、陸に上がってからの話だ。」
陸。これ程までに待ち望んでいたものは無い。
「陸に上がったらいきなり北京があるって訳じゃ無い。少し内陸に移動する必要がある。」
「その移動も、今回の任務…もとい訓練の一部だ。」
なるほど。確かに海岸線の都市だけではすぐに物資は尽きてしまうだろう。
「んでだ、その移動なんだが、流石に車とか乗り物があるわけじゃない。そこでだ。」
そう言うと、男は黒い物体を渡してきた。
縦長で、上にはよくわからない棒がついている。
「…これは?」
「おいおい、こんなのも知らない…ああ、そうだよな…失敬、これはトランシーバーだ。」
男は何かを察したらしい。…さっき言ったことだろうか?
「このボタンを押してだな…こうすると…ほら、耳に当ててみな。」
男がトランシーバーを操作し、部屋を出た。
言われた通りにしていると、声が聞こえてきた。
「…聞こえるか?物好きな坊主?」
あの男の声が聞こえる。
どうやらこれで連絡を取り合えるらしい。
「はい。聞こえます。」
「使い方分かってんじゃねえか!…まあいい。これで連絡を取る。他のボタンを押すんじゃないぞ。押しちまったら他の奴に繋がっちまう。」
…実際には、男のしていた事を真似ただけだが…
「はい。ありがとうございます。…ええと、」
「俺の名前か?うーん……そうだな、夜杯…夜杯と呼べ。」
少し悩んだ後に、こう答えた。
初めて聞く名前だ。でも、そう言うのならそうなんだろう。
「分かりました。夜杯さん。他に何かありますか?」
「いや、大丈夫だ。後は現地で説明する。それじゃあ、ゆっくりと休めよ、物好きな坊主。」
…船に慣れてないのを見抜かれていたらしい。これ以上何もなさそうだ、休んでおかなければ…




