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第一章 2話 それから

 高校の一年の冬。それは一生に一度しか訪れない。少女にとって、それはかけがえのないものである。たとえどんな事があったとしても。

 

 夏可は相変わらず部活に出入りしている。冬の淋しさが強まってきた頃、絢爛豪華な人間の社会の中で、ただ少しだけの純白を携えて、じっと


何かを見据えている。


 夏可は毛糸と歯車をくるくる回しながら、部室の静かさの中に座り込んでいた。周りの本がカタカタと音を立てる。目をじっと歯車にむけて、


しっかりとした視線で、まるで凱旋の如く、悠々と、静まっていた。少女はその時だけは、実にジャンヌ・ダークであった。


「おいっす、あれ、夏可ちゃんだけ?」


 佐奈井が入ってくる。夏可は手遊びしていた毛糸を直して


「はい。」


 そう、返事をした。


 佐奈井は重そうなバッグを下ろして、鉄パイプの硬々とした椅子にドップリと座った。外は雪、まだ夕刻であるため、夕焼けに染まる雪たちが、


 血に染まる、血潮の如く、輝いていた。佐奈井は高そうなお菓子をテーブルに置く。いかにも高級そうなそれは、高校生の買う様な感じじゃなかった。ましてや、部活の皆に食べさせる様な勿体無いものでは、


 「どうしたんです?それ。」


 「もらったのよ。先輩に。OBに戸坂って人がいてね。理系の大学行ってるんだけど。その人から、何でもいい事があるんだってさ。」


 「へぇ、ずいぶん気前の良い方ですね。」


 「いや、普段はそんな事ないんだけどね。ケチだし。でも、あの時は妙に気前が良かったから、きっとそれだけいいことがあったのね。」 


 佐奈井はそう言って、アール・ヌーヴォーの装飾の様なクッキーを食べていた。夏可もパクリと食べてみる。すると上品な甘い蜜を食べた様な、何とも言えない美味しさであった。


 きっと、ジョバンニたちの食べたあの鳥は、こんな味だったに違いない。


 「今日は2人だけかもね。2人とも忙しそうだったし。」


 「何かあるんですかね。」


 「さぁねぇ。でも2人とも男だから、どっかで女といるのかもね。」


 佐奈井は意地の悪そうにそう言って、お菓子をまた一口食べた。お菓子がポロポロと崩れ、そのクズが淹れた紅茶の上に転がる。


 その紅茶は煙を立てながら、飛沫をたたずに優雅に厳と佇んでいる。部室は雪で、少し冷えていた。


 2人は紅茶で暖をとり、本の只中で、静かにしていた。もちろん談笑を添えてはいるが、しかし、それでも社会の騒音からは、明らかに隔離され、まったく、静かであった。


 「夏可ちゃんはさ、彼氏とかいる?」


 夏可は少しはにかむ


 「いえ、その、」


 「じゃあ好きな人は?」


 夏可は少し困りながら「いいえ」そう言った。本当は「好きとはどういうものでしょうか」こんなふうに聞いてしまいたかったが、しかしあまりにも失礼なので、言えやしなかった。


 「そっか、私ね、最近好きな人への愛を、諦めたの。でも、やっぱり残るのよ。


何か情熱というか愛情というか、そういうものが。もう、好きな人なんていないのに、


それでも愛は、消えないの。それが、少しだけ虚しくて、そして何だか、頭が痛くて」


 恍惚とした感覚がある。彼女はどこを向いているか分からない視線で何かを見ている。外では雪が強くなっていた。夏可は少し意外の觀を受ける。


 「でも、愛は、消えてないんですよね。その、人を諦めても。ひょっとしたら諦めきれてないんじゃないんですか?ひょっとしたら、まだ希望を捨ててないんじゃ。」


 「死んだの。その人。自殺。貴方幽霊を愛せる?」


 夏可は失言だったと悟った。しかし、佐奈井は幽玄の如しその出立をもって、凛とした感じを保ち続けたまま、生きていた。


 どうして死んでしまったのだろう。こんなに愛してくれる人がいるのに。


 「まぁ、でも仕方ないのよ。彼はきっと、死ぬしかなかったから。」


 「でも、先輩がいたでしょう?」


 佐奈井は少しほがらかに、諭す様に返事をした。


 「きっと、それじゃだめだったのね。死んでいく人間には、私なんかじゃだめだったの。彼を死なせない様にするには、愛されなくちゃだめね。」


 

 夏可は少し窮屈そうな心地がした。生きることが、そんなにも難しいのかと、そんな漠然とした問題に直面した。


 色濃く変わり、ゆくゆく世界において、1人の青年の死など、1人の少女の甘ったる恋物語の崩壊にとどまるのだろう。しかし、その物語こそが、個人の流れゆく現実であるという事実に、


 夏可は、悲鳴をあげたくなる不安を感じた。


 ガラリと扉が開く、カタカタ音が立つ。囃子の入ってゆくその部屋に、何か活気が、生が、流入してくる。


 「うん、遅くなった。」


 「ほんとね。どこほっついてたの?」


 「いや、面目ない。少しね。」


 佐奈井はウィンクを夏可に向けた。夏可は囃子が女の理不尽で遅れたという想像が瞬間湧き出て、少し面白い様な感じがした。


 「まぁ、すわんなさいよ。お菓子あるから。」


 「へぇ、今日は辛いやつだけか。」


 「あ。」

 

 夏可はOBからもらったお菓子がないことに気がついて、少しバツを悪くした。しかし、佐奈井は口に指を当て、やはり黙ってウィンクした。


 夏可は佐奈井にウィンクで返事をした。


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