序章 2 まえはなしのつづき
風の強い、日であった。空は青く、風だけがどこまで強い、そんな日のことである。夏可は自転車を漕いでいた。春実と、それと春美の妹と共に。自転車は風で揺れ、感覚を失っていた。
ふらふらと揺れる車輪は今にも崩れそうで、けれどその車輪はがっしりと田んぼ道をしがみついて離さなかった。
山が雄大に厳として丹波を見下ろす。元来、日本で山は神であった。私は囃子の音が、山の風から聞こえてくるような気がする。きっと、間違いではない。
「綱渡りしてるみたい。」
「そうね。でも縄より道が太いから平気。落ちても田んぼだから、泥だらけになるだけだしね。」
姉妹はそう話しながら、悠々とした入道雲に向かい、自転車を走らせる。夏可はというと、少し疲れが見えてきた。
風がまだ強くなる。木々がしなび、田んぼが蠢き、大地が、振動するかの如く、強い衝撃を受けてしまう。3人は流石に自転車を降りて、風が弱まるのを待ってみる。
一匹のサギがいる。田んぼのサギは極めて偏屈な顔をしているもんだ。私は、サギほどひどい鳥はついぞ見たことがない。夏可の方を向く。この鳥は、非道にも、どうやら少女に興奮しているようだ。興奮して羽を広げる。
けれど風で羽がバタつくので、羽を仕方なしに畳んでしまう。今度は足をバタバタさせる。次に嘴を、次に体を、そしてとうとう夏可の方に寄ってくる。
夏可は、この興奮する鳥を見て、全く哀れに思った。彼女は風に怯えているものだと思ったのだ。鳥は近づき、少女を視姦する。ジリジリと寄って行く。愛撫する如く。やさしく、ねっとりと。
しかし、春実が鳥を怖がり、自転車のベルをちりちり鳴らしたら鳥は一目散、どこかへ飛んで行ってしまった。風が強い中、風をばたつかせるサギほど、見ていて気色悪いものはない。
「ああ、よかった、私サギっていまだになれないのよね。でかいし。怖いし。」
「そうね。でもさっきのサギは何だか怯えてたみたい。」
「怯える?何に?」
「わかんないけど。でもなんというか、生きようと必死というか。何かを求めてるというか。」
春実の妹はそれを聞いて笑いながら言う。
「それなら、きっとあのサギ恋してたのね。」
大きな入道の雲が天にいてくれる。山が雄大さを保ち、植物が私を生かしてくれるのなら、私はどんなにありがたいことだろう。私はそれで生きてゆける。風だけが妙に強い日のことだった。
しかし少女3人はそれをもろともしない。彼女らに風がまとわりつくのは、実に艶めかしく、彼女らの汗は、妙に熟れたにおいをしていた。夏可は少しくらくらしてしまった。
「変な風ね。」
春実が時計を気にしながら、何気なくそう言う。
「春実、時間は大丈夫?」
「うん、大丈夫、彼やさしいから。」
春実の妹がしゃしゃりでる。
「総士さん、相当な紳士だからね。」
春実は苦笑する。夏可はしかし、春実のこの表情にどこか満足そうな感じを見出す。恋というものは、どうしてこうなのだろう。
「姉ちゃんいっつも総士さんのこと褒めるのよ。」
「しぃちゃん。そう言うの人に言うのやめて。」
不満そうに「はーい」と口にする。夏可は苦笑くらいしかすることがなかった。
姉妹とは道で別れ、夏可は己れの帰路に沿う。夏可は総士と春実がキスをしていた記憶を思い出した。少し頭痛がする。嘔吐と眩暈が夏可を潤沢にする。夏の気持ちの良い陽の心地が、夏可の吐き気を強まらせる。
「いったいどうしてなんだろう。」
夏可は一夏の不安を覚えながら、強い風と共に凱旋の道を進みゆく。少し、汗が生臭い。
夏の夕涼みをしている。するとあのサギが見えてきた。夏可は恍惚とした匂いを感じ感じ、サギの微睡の姿の中、こんな記憶を呼び起こす。
「それなら、きっとあのサギ恋してたのね。」
サギはニタリと笑いながら、鏡の中を乱反射する。鏡が無数に置かれ、鏡は私の体をうつす。体は艶かしく、実に色とりどりで、服と肌の境目が、なんとも言えぬ快感的なエロティズムを与えた。
ここにシャワーがある。シャワーは水を溢れだす。浴槽とカーテンがあって、カーテンがぺたぺたと夏可の肌に触れている。サギはますますニヤケ顔になる。興奮したように羽をばたつかせる。
夏可は微睡の中浴槽のふちに手を置き、頭を休め、光の眩さに目を細めながら、色気のある視線をサギに向ける。もう何が何だかわからない。ここは浮世か虚か。




