俺はまだ彼女のことを何も知らない(後編)
「天野、もういいんじゃね?」
毛利が静かに声を掛ける。
「……元基が言うんなら。」
天は不満そうに舌打ちすると、鞄を肩に掛けた。
「ゆあ、トイレ行こ。」
「え!? ま、待ってよ天!」
渡辺ゆあは慌てて後を追いかけ、二人は教室を出て行った。
教室には、何とも言えない空気だけが残る。
「……何事だよ、これ。」
思わず呟くと、景が申し訳なさそうに頭を下げた。
「春一くん、ごめんね。」
「先生から預かったプリントを配ってたんだけど……天野さんの前で落としちゃって。」
「どんくせぇな、まったく。」
宍戸が腕を組んだままぶっきらぼうに言う。
「優、それは言い過ぎ。」
秋平が苦笑しながら宍戸をたしなめた。
「吉川くん、お騒がせしたね。」
「プリントを拾おうとした小早川さんが天の足につまずいて、その拍子にまたプリントを散らかしちゃってさ。」
「それ……。」
俺は思わず口を開いた。
「先に足出してた天野さんも悪くないか?」
教室が一瞬静まり返る。
(……あ。)
(また口に出た。)
(最近、小早川さんが絡むと、本音がダダ漏れなんだけど俺。)
秋平は困ったように笑う。
「まぁ、確かにそうなんだけど。」
「天のやつも意地になっちゃってさ。」
「小早川さんが素直に謝るもんだから、逆に引けなくなったっていうか。」
「私が足元を見てなくて……。」
景は困ったように笑った。
「だから、ごめんなさいって言ったんだけど……。」
「怒らせちゃったみたい。」
そう言って俯く景を見て、俺は首を傾げる。
(女子同士ってよく分かんねぇな。)
(謝られたら普通は終わりじゃないのか?)
(愛想笑いでも気に食わなかったのか……?)
そんなことを考えながら、俺は景の方へ歩み寄る。
「小早川さん。」
「怪我とかしてない?」
「……え?」
景が驚いたように顔を上げる。
「だ、大丈夫。」
「そっか。」
ほっとした勢いで、俺は無意識に景へ手を差し出していた。
「立てる?」
「う、うん……。」
景は少し照れたように笑い、その手を取る。
……って。
(あれ?)
(俺。)
(今、小早川さんの手、握ってね?)
教室がシンと静まり返る。
全員の視線が、俺たちの手元へ集まっていた。
(え。)
(何この空気。)
(やばくね?)
その沈黙を破ったのは、毛利だった。
口元を少しだけ緩め、面白そうに俺たちを見る。
「……なんかさ。」
「王子様とお姫様みたいじゃね?」
「「「おぉーー!!」」」
一斉に教室がどよめく。
「確かに!」
「絵になる!」
「めっちゃお似合いじゃん!」
「いやいやいや!」
(違う違う違う!!)
(そんなつもりじゃねぇから!!)
慌てて景の手を離す。
景も顔を真っ赤にして慌てて手を引っ込めた。
「ご、ごめん!」
「う、ううん!」
二人してしどろもどろになる。
すると宍戸がニヤリと笑った。
「おいおい。」
「朝っぱらから青春してんじゃねぇぞ。」
「違うって!」
「誰が青春だ!」
俺が全力でツッコむと、教室は一気に笑いに包まれた。
(……ったく。)
(最近、小早川さんが絡むと、俺の脳みそ絶対バグってる。)
(平穏な高校生活って、どこに売ってますかね。)




