俺はまだ彼女のことを何も知らない(前編)
夕飯をご馳走になり、気付けば時計は午後八時を回っていた。
「今日は本当にありがとうございました。」
玄関で頭を下げる。
「こちらこそ。」
「またいつでも来てね。」
彩香さんが笑顔で手を振る。
「春一くん!」
景も玄関まで見送りに来てくれた。
「今日はありがとう!」
「クラス委員、頑張ろうな!」
笑顔で手を振る景。
(やっぱり。)
(この子、可愛いな。)
今日だけで何回思ったんだろう。
俺は軽く手を振り返し、門を出ようとした。
「春一お兄ちゃん!」
後ろから声が飛んできた。
振り向くと、隆が小走りで追い掛けてきていた。
「ん?」
「どうした?」
隆は俺の前まで来ると、少しだけ周りを見回した。
誰もいないことを確認すると、小さな声で言う。
「ちょっとだけ。」
「内緒の話。」
(内緒?)
(小学生がそう言う時って、大体ロクでもない。)
「何?」
しゃがんで目線を合わせる。
隆は少しだけ笑った。
「春一お兄ちゃん。」
「姉ちゃんと仲良くしてあげて。」
「え?」
「学校でもいっぱい話してあげて。」
「……まあ、クラス委員だしな。」
「うん!」
嬉しそうに頷く隆。
その笑顔を見て少し安心する。
……が。
次の一言で、その空気は変わった。
「姉ちゃんね。」
「また学校で友達ができたんだ。」
「良かった。」
その笑顔は、本当に嬉しそうだった。
だからこそ。
俺は引っかかった。
「……また?」
思わず聞き返す。
「うん!」
「前もね──」
「隆。」
穏やかな声だった。
だけど、その一言で隆はビクッと肩を震わせた。
彩香さんだった。
いつの間にか玄関へ出てきていた。
「その話はもう終わり。」
「あ……。」
隆は申し訳なさそうに俯く。
「ごめんなさい。」
「うん。」
「分かればいいの。」
彩香さんは優しく頭を撫でる。
怒っているわけではない。
でも。
どこか触れてはいけないものに触れてしまったような空気だった。
「春一くん。」
彩香さんは俺へ向き直る。
「今日は来てくれて本当にありがとう。」
「景、学校で楽しそうにしてたでしょう?」
「はい。」
「すごく楽しそうでした。」
それは本心だった。
あんなに笑う景を見られて、俺も嬉しかった。
彩香さんは少しだけ安心したように微笑む。
「そう。」
「それを聞けて安心したわ。」
「……?」
何だろう。
この違和感。
何か聞きたい。
でも、今聞くべきじゃない。
そんな空気だった。
「それじゃ。」
「おやすみなさい。」
「はい。」
「おやすみなさい。」
俺は軽く頭を下げ、小早川家を後にした。
◇ ◇ ◇
「……。」
自宅へ帰り、自分の部屋へ入る。
制服を脱ぎ、ベッドへ倒れ込む。
「疲れたぁ……。」
今日は色々ありすぎた。
好きな子の家で夕飯。
お母さんは美人。
弟は元気。
家族は仲良し。
「……。」
だけど。
最後のやり取りだけが頭から離れない。
『また学校で友達ができたんだ。』
「また……か。」
スマートフォンを手に取る。
検索画面を開く。
『小早川 景』
もちろん何も出ない。
「当たり前か。」
SNSもやっていないらしい。
俺はスマホを胸の上へ置いて天井を見つめた。
「俺……。」
「小早川景のこと、何も知らないな。」
人付き合いが苦手。
距離感が近い。
真面目。
笑顔が可愛い。
それくらいしか知らない。
「知りたい。」
自然と、その言葉が口から漏れた。
好きだから。
……いや。
好きになったからこそ。
もっと知りたい。
どんなことを考えて。
どんなことで笑って。
どんなことで泣くのか。
「よし。」
「少しずつ知っていけばいい。」
焦る必要なんてない。
これからクラス委員として、一緒に過ごす時間はたくさんある。
俺はそう自分に言い聞かせ、眠りについた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
教室へ入った俺は、いつものように窓際の自分の席へ向かう。
ふと、教室の中央が妙に賑やかなことに気付いた。
「おはよう、景。」
「おはよう!」
「クラス委員、頑張ろうな。」
「うん!」
景が楽しそうに笑っている。
その周りには――。
毛利元基。
天野天。
宍戸優。
桂秋平。
渡辺ゆあ。
クラスの中心にいる五人が集まっていた。
(……毛利グループ。)
景が、あのグループと笑って話している。
(昨日まで知らなかったな。)
俺が少し離れた場所から見ていると、景がこちらに気付いた。
「あっ!」
ぱっと笑顔になる。
「春一くん!」
その一言で。
毛利グループ全員の視線が、一斉に俺へ向いた。
(……え。)
(何この公開処刑。)
俺の高校生活は、今日も平穏とは程遠いらしい。




