天野天は彼女を知っている(前編)
「天、待ってよぉ!」
ゆあが慌てて女子トイレへ駆け込んでくる。
天野天は鏡の前に立ち、乱れた前髪を指で整えていた。
「……。」
何も答えない。
「ねぇ。」
「さっきのさ。」
「ちょっと言い過ぎじゃなかった?」
「……。」
「景、泣きそうだったよ?」
その言葉に、天の手が止まる。
「だから?」
「だからって……。」
ゆあは困ったように笑う。
「昔はあんなに仲良しだったじゃん。」
「……昔はね。」
天は鏡越しに自分を見つめたまま、小さく呟いた。
「今は違う。」
その声は、自分に言い聞かせるようだった。
◇ ◇ ◇
幼稚園。
「天ちゃーん!」
「景ー!」
二人は毎日のように一緒だった。
砂場で遊び、公園で遊び、お互いの家にも泊まりに行く。
「将来もずっと友達ね!」
小さな景が笑う。
「当たり前じゃん!」
そう答えた自分。
あの頃は、本当にそう思っていた。
◇ ◇ ◇
「……ねぇ。」
ゆあが隣へ並ぶ。
「今でも景のこと嫌いじゃないでしょ?」
「嫌い。」
即答だった。
「嘘。」
「ゆあ。」
「私、幼稚園から見てるんだよ?」
「天が景のこと大好きだったの。」
「……。」
天は黙る。
「それに。」
「景だって天のこと――」
「やめて。」
その一言だけで空気が止まる。
「その話だけは。」
ゆあはそれ以上何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
中学二年。
「景。」
「今日、一緒に帰ろ!」
「うん!」
あの頃も景は笑っていた。
だけど。
クラスでは少しずつ浮き始めていた。
「空気読めない。」
「また変なこと言ってる。」
「距離近すぎ。」
陰で聞こえる悪口。
天は何度も言い返した。
「うるさい。」
「景はそんな子じゃない。」
守ろうとした。
何度でも。
何度でも。
だけど。
「ありがとう、天ちゃん!」
景はいつも笑うだけだった。
辛そうな顔を、一度もしなかった。
……いや。
見せなかっただけなのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「天。」
ゆあが静かに口を開く。
「景は悪くないよ。」
「……。」
「分かってる。」
天は小さく笑う。
その笑顔は、どこか寂しかった。
「分かってるから。」
「余計に腹が立つの。」
「え……?」
「アイツ。」
「私のこと見ても。」
「何も思い出さないんだもん。」
ゆあは言葉を失った。
その時だった。
キーンコーンカーンコーン。
始業のチャイムが鳴り響く。
「戻ろ。」
天は制服を整え、トイレを出る。
廊下を歩きながら、小さく息を吐いた。
(景。)
(アンタは。)
(もう昔の景じゃない。)
教室の扉を開ける。
「天野さん!」
景がいつもの笑顔で手を振った。
「おかえり!」
その笑顔を見た瞬間。
天は少しだけ視線を逸らす。
「……ただいま。」
その一言だけ残して、自分の席へ向かった。
笑顔の景。
何も知らない春一。
そして。
全部知っている、自分。
(……バカ。)
(そんな笑顔、向けないでよ。)
その笑顔を見るたびに。
昔の景を思い出してしまうのだ。




