小早川景について(前編)
人って、気になる相手のことは自然と目で追ってしまうらしい。
そんな話をどこかで聞いたことがある。
――なるほど。
あれ、本当だったんだな。
中央委員の説明会が終わってからというもの、気が付けば俺は彼女を目で追っていた。
小早川景。
真面目で、誰にでも丁寧で。
だけど、どこか周りと少しズレている女の子。
本人も「人付き合いは得意じゃない」と言っていた。
なのに、どうしてあんなにも学校のことに一生懸命なんだろう。
中央委員長にも迷いなく立候補した。
俺だったら、そんな面倒そうな役職は絶対に避ける。
……いや。
そもそもクラス委員になったこと自体、事故みたいなものなんだけど。
「春一くん!」
元気な声に振り向く。
景が鞄を肩に掛け、笑顔で駆け寄ってきた。
「帰ろ!」
「え?」
「方向、一緒なんでしょ?」
「あぁ、駅前のマンションだから。」
そう答えると、景の表情がぱっと明るくなる。
「やっぱり!」
「私も駅の近くだよ!」
「学校寄りだけど。」
「じゃあ途中まで一緒だね!」
そう言って、何の迷いもなく俺の隣へ並ぶ。
……近い。
いや、本当に近い。
「一緒に帰ろうよ!」
「送ってくれてるみたいで何か嬉しい!」
(はぁ!?)
(何そのセリフ!?)
(思春期男子を殺す気か!?)
心臓が今日一番の勢いで跳ね上がる。
(やっぱりこの人……。)
(距離感がおかしい。)
(いや、違う。)
(本人にその気がないのが、一番タチ悪い。)
(無自覚って……罪だよな。)
「えっ?」
景が不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「何のこと?」
「あ。」
しまった。
また口に出てた。
「い、いや!」
「独り言!」
「最近多いね?」
「自分でも困ってる……。」
景は口元を押さえてくすっと笑う。
その笑顔を見るだけで、さっきまでの恥ずかしさが少しだけ薄れていく。
不思議な子だ。
他人に興味なんて、ほとんど持ったことがなかった。
友達も多くない。
誰かを知りたいなんて思ったこともない。
なのに。
(もっと知りたい。)
(小早川景って、どんな人なんだろう。)
そう思っている自分がいた。
だけど、話題が思いつかない。
何を聞けばいい?
好きな食べ物?
趣味?
いや、急に聞いたら変だろ。
沈黙が流れ始めた、その時だった。
「私ね。」
景が夕焼けに染まり始めた空を見上げ、小さく笑う。
「人間関係っていうのかな。」
「ちょっと他の人と感性が違うって、自分でも思ってるんだ。」
思わず足が止まりそうになる。
景は少しだけ寂しそうに笑っていた。
「だからかな。」
「昔から変わってるって言われることが多くて。」
「距離が近い、とか。」
「空気が読めない、とか。」
その笑顔は、どこか自分をごまかしているようにも見えた。
教室では見せなかった表情だった。
「でもね。」
景は前を向く。
「高校では変わりたいって思ってるの。」
「だから、クラス委員も中央委員長も挑戦してみようって決めたんだ。」
その声には迷いがなかった。
俺は何も返せない。
ただ、素直に思った。
(すごいな。)
(俺なんて、その場しのぎの嘘でクラス委員になっただけなのに。)
そう言って笑う景の笑顔は、いつもと変わらない。
だけど。
その笑顔の奥に、ほんの少しだけ寂しさが隠れているような気がした。
その時だった。
「景?」
優しい女性の声が聞こえる。
景が振り返る。
「あ、お母さん。」
「え?」
俺もつられて振り向く。
そこには、景とは少し雰囲気の違う、すらりとした美しい女性が立っていた。
モデルのような長身に、柔らかな笑顔。
どう見ても若い。
「あら?」
女性は俺と景を交互に見て、楽しそうに微笑んだ。
「景、お友達?」
「う、うん!」
「同じクラス委員の春一くん!」
「一緒に帰ってただけだから!」
景が慌てて説明すると、女性はくすっと笑う。
「ふふっ。」
「そういうことにしておこうかしら。」
「お、お母さん!」
景が真っ赤になる。
この親子、なんだか微笑ましい。
女性は俺へ向き直り、上品に頭を下げた。
「初めまして。」
「景の母の、小早川彩香です。」
(若っ……。)
(本当にお母さん?)
(姉ちゃんと並んでも普通に姉妹って言われそうなんだけど……。)
(この世界、美人なお母さん多すぎない?)
そんなことを考えていると、彩香さんが柔らかく微笑んだ。
「春一くん。」
「もし良かったら、うちで夕飯食べていかない?」
「ちょうど隆も帰ってきてるし、作りすぎちゃったの。」
「……へ?」
あまりにも突然の誘いに、頭が真っ白になる。
いやいや。
好きな女の子の家で夕飯?
そんなイベント、漫画やラノベの中だけの話じゃないのか?
丁重に断ろうと口を開きかけた、その時――。
ブブッ、とスマホが震えた。
画面を見る。
『姉ちゃん』
(頼む……。)
(今だけは違ってくれ……。)
恐る恐る通話ボタンを押した。




