夏目こころと俺の関係(後編)
病室を出たあとも、俺と景はしばらく無言で病院の廊下を歩いていた。
さっき話した昔の記憶が、まだ頭の中をぐるぐる回っている。
まさか、あの雨の日に出会った女の子が夏目だったなんて。
もしあの時、名前を聞いていたら。
もし中学や高校でもっと早く気付いていたら。
未来は少し違っていたんだろうか。
「春一くん。」
景が静かに口を開いた。
「うん?」
「さっきね。」
「夏目さんのお母さんと少しだけお話ししたの。」
俺は足を止める。
「……そうなんだ。」
「夏目さん、小さい頃からすごく優しい子だったって。」
「でもね。」
「優しすぎるから、自分の気持ちを後回しにしちゃう子だったんだって。」
その言葉が胸に刺さる。
俺は何も知らなかった。
こころがどんな思いで笑っていたのか。
どんな思いで景と接していたのか。
どんな思いで俺を見ていたのか。
何一つ。
「俺……。」
「最低だな。」
思わず漏れた本音だった。
「違うよ。」
景は首を横に振る。
「春一くんは、知らなかっただけ。」
「知らなかったことと、悪い人であることは違うよ。」
「でも……。」
「それにね。」
景は少しだけ笑った。
「夏目さん。」
「きっと春一くんに責めてほしいなんて思ってない。」
「だから、自分を責めすぎないで。」
その笑顔は、どこか無理をしているようにも見えた。
俺はそのことに気付けないまま、小さく頷く。
「……ありがとう。」
病院を出ると、夕焼けが街を赤く染めていた。
二人並んで駅まで歩く。
会話はほとんどない。
でも、不思議と気まずくはなかった。
改札が見えてきたところで、景が立ち止まる。
「春一くん。」
「ん?」
景は少し俯き、制服の裾をぎゅっと握り締めた。
何かを決意するように、小さく息を吸う。
「私ね。」
「ずっと言えなかったことがあるの。」
その声は震えていた。
いつもの景とは違う。
無邪気に笑う彼女ではなく、何かを恐れている少女の声だった。
「春一くん。」
ゆっくりと顔を上げる。
その瞳は真っ直ぐ俺を見つめている。
「あのね。」
「私のこと……聞いてほしい。」
その一言で、俺は悟った。
彼女は今から、自分の一番大切な秘密を話そうとしている。
そして俺は、まだ知らない。
小早川景という少女が、ずっと一人で抱え続けてきた過去を。




