第5話「※音と、気持ちの行き先(前編)」
夏休みに入って、少し経った週末。
蝉の鳴き声が激しくなり始める昼前に、
駅前の通りを並んで歩くふたりの高校生がいた。
佐藤 涼子と、藤井 拓真。
二人とも私服姿で、今日はデートをするために来たわけではない。
手にはそれぞれ紙袋。
涼子は小さな焼き菓子の詰め合わせ。
拓真は、どこかで買ったであろう地元のジュース飲み比べセット。
「……手土産、ちょっと多すぎない?」
「いや、お見舞いと違って家だし。
しかも息子の友人が二人揃って訪問って、
普通に考えて"尋問"っぽくなるからさ」
「誰が尋問よ。わたし、ただの"気になる人"だし」
「はいはい、"気になるだけ"の子ね」
涼子が横目でにらむと、拓真はすっと前を向く。
「……んで、改めて思ったけど、蓮のお母さんってどんな感じ?」
「一言で言えば、"最強のお義母さん"予備軍。
でも、会うとたぶん、ちょっとホッとするよ」
涼子は「なにそれ」と笑いながら、紙袋を持ち直した。
──
ふたりは野中家の前に到着し、インターホンを押した。
数秒の間を置いて、応答が鳴る。
「……はい?」
「あ、佐藤涼子です。あの、蓮くんの――」
「──あらあら! ちょっと待っててね、いま開けるわ!」
間もなく、玄関の扉が勢いよく開く。
出てきたのは、黒髪を後ろでまとめた、落ち着いた雰囲気の女性。
けれどその目元はキリッとしていて、笑みの奥に"侮れなさ"を宿していた。
「まあまあ……! 久しぶりね。拓真くんと、涼子ちゃん!
ふふっ……いいわねぇ、並ぶとほんとに"熟年夫婦"って感じよ?」
「い、いえっ!? そんな……!」
「ちょ、ちょっとやめてくださいよ、マジで!」
母の茶化しにふたりが一斉に動揺する。
「うそうそ。いらっしゃいな、どうぞ上がって。
蓮の部屋、散らかってるから今日はリビングね」
ふたりは靴を脱いで、リビングへと通された。
そこは、温かな木目のテーブルとソファが並ぶ、
どこか"男の子がいる家"らしい生活感の残る空間だった。
蓮の気配が、まだちゃんと残っている。
ソファに腰を下ろした涼子は、
膝の上で手土産を抱えながら、小さく息を吸った。
──ここから、"本当のこと"を、聞きに来た。
ソファには拓真と涼子が座る。
テレビでは昼ニュースを終え、地元番組が流れ始めていた。
母がリモコンで音量を少し下げながら、尋ねた。
「そういえば二人とも、お昼とかはどうしたの?」
「「私たち」はそんなにお腹空いてないので…お気になさらず」
「慌てて出たからメシh…」
「どうしたの?拓真くん」
「…ナンデモナイデス」
涼子の痛恨の一撃で黙らせたつもりだが、母はすでに察していた。
「あるもので悪いけど、軽いものなら出せるからね。
「無理する必要は」ないわ。」
「…スミマセン。やっぱりお言葉に甘えます」
(やっぱり蓮のお母さん、すごいや…てか、痛いよ。涼子)
ダイニングテーブルの上にテーブルの上には手土産と
野中母お手製のアイスレモンティ。
そして、オムライスとオニオンスープ。
二人は言葉に表わせられないほど美味しく味わっていた。
「あの!後でいいので、レシピを教えてくれませんか」
「やだねー、これ料理専門のWebサイトを真似しただけだよ」
女子トークが始まって置いてきぼりの拓真だが、オムライスを
味わう度、蓮がいないことへの寂しさが滲ませていたことを感じた。
その後会話は、病気のことには触れず、学校の話、部活の話。
そして最近のクラスメイトたちのことなど、
静かで、少しだけ笑える世間話が続いていた。
「――それでね、文化祭の時の涼子ちゃんのポスター、
職員室の先生たち、誰も"裏方"って気づかないのよ。
あれ、ほとんどあなたの設計だったんでしょ?」
「えっ……まあ、そうですけど……裏方ってそんなものじゃないですか?」
「"そんなもの"で済ませられる人は、あの規模やらないのよ」
母の軽妙なツッコミに、涼子がちょっとだけ肩をすくめる。
拓真はそんな涼子を見ながら、ニヤリとする。
「さすがだな。うちの風紀委員兼参謀」
「マネージャーじゃないです。やめてください、そういうの」
「じゃあカノ……」
そのとき――
「ただいまー……って、あれ? 客人?」
玄関の方から、低く少し眠そうな声が届いた。
リビングの空気がわずかに跳ねる。
そして数秒後、扉をくぐって姿を見せたのは――
蓮の父。
半袖シャツのカジュアル姿で、手にはコンビニ袋。
彼は涼子と拓真を見て、一瞬で状況を察したらしい。
「……なるほどな。やっぱり蓮が言ってた通りだ。"熟年夫婦"だと……」
「ちょ、ちょっと!? どこ情報ですかそれ!?」
「ちがっ……そ、それは……!」
二人の顔が同時に真っ赤になった。
「蓮がな、あいつ、なんか嬉しそうに言ってたんだよ。
"涼子と拓真が付き合ってるかもしれない"って。
まるで自分のことのように嬉しそうでな……」
父は、ぽりぽりと頭をかきながら、それでもどこか穏やかな表情だった。
その言葉に、涼子の心臓が一瞬だけ跳ねる。
(蓮が、そんなふうに……?)
黙っていた母が、お茶を口に含みながら、ふっと笑う。
「……あら。じゃあ、もういっそ婚姻届でも置いておく?
私たちが証人になってもいいのよ」
「なっ……!」
「や、やめてください!!未成年ですよ。私たち」
ふたりが一斉に立ち上がりかけると、
両親はまるで打ち合わせしたかのように、顔を見合わせて笑った。
「……いい子たちだな」
その言葉に、ふたりは照れながらも座り直した。
でも、ふたりの胸の中には、
どこか嬉しいような、でも少しだけ寂しいような――
蓮の"声"が、確かに響いていた。
日が傾きオレンジ色のに変わる頃、
テーブルには湯気のたつハーブティー。
あれほど笑い声の飛び交ったリビングも、今はすこしだけ静かだった。
涼子はそっと湯のみを置き、
真っ直ぐに野中夫妻を見つめる。
「……あの、やっぱり私たちが来たのは――」
母がふっと微笑み、
涼子の言葉をやさしく引き取る。
「うん。分かってる。世間話しに来たわけじゃないって」
「蓮のこと、知りたいんだよな」
父の声も、からかい抜きでまっすぐだった。
涼子と拓真は、静かに頷いた。
「今、彼がどこにいるのか。
元気かどうか。……私たちが、できることがあるのか」
涼子の言葉に、母の瞳が一瞬だけ揺れた。
父は少し黙ってから、カップを置いて低く言った。
「……すまない。
でも、こればかりは言えない。"蓮を転院させる"という条件に、
"場所を誰にも伝えないこと"があったんだ」
「それは……」
涼子の声がかすれる。
「わたし、何か危害を加えようとかじゃないんです。
ただ……ただ、傍にいたいだけなのに……!」
父は申し訳なさそうに目を伏せた。
けれど、その後ろから母が言葉を継いだ。
「でもね。回復したら、必ず呼ぶわ。
"ただのクラスメイト"だろうと、
"元サッカー部仲間"だろうと、彼が会いたがるなら絶対に」
涼子の手が、膝の上に拳を握ったまま、ふるえていた。
「……あの、最後に一つだけ聞かせてください」
母と父が同時に視線を拓真向ける。
「……転院の原因。
それって――西村さんが、毎日来ていたからですか?」
室内の空気が、少しだけ動いた。
母はゆっくり首を振った。
「それは違うの。
美鈴ちゃんは悪くない。
毎日来てくれて、心から感謝してる。
でも……"あの病院のICU"じゃ、それを続けるには限界だったの」
「限界、って……?」
「病床、スタッフの配置。
それに加えて、あの子のことを知ってる子が毎日来るっていうのは、
いい意味でも、悪い意味でも"特例"だったのよ。
だから……安定した治療が、何よりも優先された」
涼子は、何も言えなくなった。
「それでも、彼はちゃんと息をしてる。
生きてる。……だから、それで、今は十分じゃないかしら?」
母のその言葉に、涼子はゆっくりと頷いた。
けれど、目は――決して諦めていなかった。
夜の住宅街。
野中家の門が静かに閉じられ、
路地に出たふたりは、言葉もなく並んで歩いていた。
拓真は右手にコンビニで買い足したスポーツドリンクのビニール袋を下げ、
涼子は、小さく息をつくたび、ハーフアップの髪が揺れていた。
「……重かった?」
ふと、拓真がぽつりと呟く。
「え?」
「……家の中。
空気っていうか、さ。
"あいつの声がなくなった場所"って、想像より静かだったろ」
「……うん。
でも、ちゃんと、蓮の気配は残ってた」
涼子の声は、どこか遠くを見るように、静かだった。
「机の上、何もないのに。
椅子の位置だけ、なんか……"帰ってくる"みたいで」
拓真は何も言わなかった。
それが正解だった。
──
しばらく歩いた先、駅まであと数分の交差点。
黄色い信号が点滅しはじめた頃、
涼子が不意に立ち止まった。
「……ねぇ、拓真」
「ん?」
「わたし……どうすればいいと思う?」
「……蓮のことか?」
「うん」
少しの沈黙が流れたあと、拓真はポケットに手を入れて言った。
「お前が決めたことなら、
俺は何も言わずに"後ろ"からついてくる。
……それだけで、いいか?」
涼子は、それに小さく笑った。
「うん。……ありがとう」
──
ポケットには何もなかった。
でも涼子の指先は、あの封筒の感触を、まだ覚えていた。
《防衛省 自衛隊中央病院》
その一文を指先でなぞりながら、
彼女は小さく呟いた。
「……ねえ、拓真くん」
「ん?」
「"わたし、彼女になる"って、言ったら――どう思う?」
信号が赤に変わる。
拓真はそれを見ながら、口元だけで、
ほんの少し笑った。
「……さすが参謀。
戦うタイミングだけは、間違えないな」
返事になっていないその返事に、
涼子はふっと息をついて、先に歩き出した。
そしてその背中は、
もう迷っていなかった。
後半へ続く




