表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/15

第8話「※新しい音と、新しい恋」(後編)

「西村美鈴が、好きです。付き合ってください!」


告白と同時に動いた噴水の水音が、夕暮れの空に柔らかく溶けていく。


玲央の言葉は、まっすぐだった。

嘘じゃない。臆病でもない。

誰よりも誠実で、誰よりも勇気のある“告白”。


でも――


(……どうしてやろう)


(“うれしい”って、ちゃんと思ってるのに……

 “ありがとう”って、心から感じてるのに)


(――蓮くんの顔が、浮かぶ)


水面に揺れる光を見ながら、西村美鈴はそっと目を伏せた。


そして、思い出した。


あの春。入学したての頃。

玲央のことは、正直「危ない人」だと思っていた。

イケメン側の中心人物で、近づかない方がいい——そう、どこかで決めていた。


でも一度だけ、放課後の廊下でひとりクラリネットを持っていた美鈴に、

玲央が何気なく声をかけてきたことがあった。


「クラリネットの音、好きなんだ。

うるさくなくて、落ち着いてて、でも芯がある感じ」


それだけだった。

その後もふたりの関係は変わらなかった。


でも——その言葉だけは、ずっと消えなかった。


野中くんに初めて興味を持ったのも、

その少しあと。

玲央と話しているときに、ふと見えた少年の影が、

部活帰りの自販機の前で、誰にも気づかれずに空を見上げていた――あのとき。


(……あの言葉が、ずっと残ってたんだよね)


美鈴は静かに顔を上げた。


玲央は、真剣に、けれどどこか緊張した面持ちで彼女の答えを待っていた。


(ほんとに、ずるいくらい優しいよ、玲央くん)


(たぶん、誰よりも女の子の気持ちに敏感で、

 誰よりも“嫌われたくない”って思ってて)


(でも、だからこそ――“誰よりも、誰かを想って傷ついてきた人”)


「……ありがとう、玲央くん」


「……っ」


「でも、ごめんなさい。

 ……今は、答えられない」


玲央の目が、わずかに伏せられる。

けれど美鈴は、言葉を続けた。


「玲央くんの、そういうまっすぐなとこ、

 誰にでも優しすぎるとこ、

 でもちゃんと“わたし”として見てくれるとこ――すごく、好きです」


「……」


「これから先、きっといろんなことがあると思う。

 迷ったり、誰かに揺れたりするかもしれない」


噴水の水が、少しだけ強くなる。


「でもね――その優しさと、まっすぐな気持ちだけは、絶対に忘れないでいて。

 そしたら、きっと……

 いつか、ちゃんと振り向いて、戻ってくる人がいると思うから」


それは、“わたし”じゃないかもしれない。

でも――きっと、“それでも愛されるキミ”でいてほしいから。


玲央は何も言わずに、美鈴を見つめていた。


水の音だけが、ふたりの間を静かに満たしていた。


金曜日、放課後。

大講堂。


「ラストセッション、通しで行きます!」


部長の声に、各パートの音が一斉に立ち上がった。

この日が、コンクール前の“最終通し練習”だった。


タブレットに記録されたスコアは、

冒頭から驚異的な数字を更新し続ける。


(……みんな、すごい)


指揮者の手の動きに合わせて、

美鈴のクラリネットが深く響いた。


芯のある音。

伸びやかで、情緒のある旋律。

その全てに“迷い”はなかった。


(“音”で伝えたいことが、ようやく見えてきたんだ)


演奏終了と同時に、涼子と中等部の後輩からの拍手と歓声があがる。

部長がタブレットを見て、目を見開いた。


「全体……94点!? 今期最高記録だ!」


「マジか……」


「え、すご……」


ざわつく部内に、顧問の篠原先生も満足そうにうなずいた。


「ここで仕上がったのは素晴らしい成果です。

 この状態を維持するために、今日はここで切り上げます。

 本番は日曜、体調管理も演奏のうちですよ」


「「はい!」」


──部室を出たあと。

夕焼けの光が校舎を照らし、美鈴はクラリネットケースを肩にかけながら、

隣を歩く涼子に声をかけた。


「……涼子ちゃん、今日一緒に帰ってもいい?」


「ん? もちろん。……っていうか、珍しいね。

 美鈴ちゃんの方から“帰ろう”って」


美鈴は、歩幅を合わせながら小さく笑った。


「うん。ちょっとだけ、話しておきたくて」


二人で並んで、歩道を歩く。

しばしの沈黙のあと――


「……ちょっと前の話なんだけど、

 東條くんに、告白されたの」


涼子は歩きながら、少しだけ目を丸くした。


「へぇ……。

 あの東條が“告白する側”って、かなりレアケースじゃない?」


「うん。わたしもびっくりした。

 でも、嬉しかった」


「じゃあ……OK、したの?」


美鈴は、少しだけ空を見上げた。


「……ううん。

 ありがとう、って言って、断ったの」


涼子は、表情を崩さないまま、ほんの少しだけ足を止めた。


「……そっか」


「うん。でも、“そのままの玲央くんでいてほしい”って、そう伝えた」


それは、“終わり”ではなかった。

でも、“はじまり”でもなかった。


ただ――選んだ音と、選ばなかった言葉の余韻が、ふたりの間に静かに残っていた。


坂道を降りるふたり。


歩道を照らす街灯が、ひとつ、またひとつと灯りはじめていた。


クラリネットケースを抱える美鈴の足取りは軽く、

隣を歩く涼子の視線は、前を向きながらも何かを見透かしているようだった。


ふいに、涼子が口を開いた。


「ねえ、美鈴ちゃん」


「うん?」


「蓮のこと……どう思ってた?」


その問いに、美鈴の足がわずかに緩む。


答えはすぐに出なかった。

けれど、逃げるような沈黙でもなかった。


「……どう、って……うまく言えないな」


「いいよ。うまく言わなくて」


風のない坂道。

ふたりの靴音だけが、静かに響く。


「最初は、なんとなく“気になる”人だったの。

 無口で、でも、たまに目が合うと、すぐ逸らすくせに、

 こっちが困ってるときは自分のことは省みずに手を差し伸べてくれる――そんな人…かな」


「ふふ、確かに」


「そういう“言葉にしない優しさ”って、

 最初はただの偶然だと思ってた。

 でも、いつの間にか、そういうところばっかり、目で追ってたんだと思う」


「……」


「ちょっと前にひとりで練習してた時、蓮くんがあのとき吹いたクラリネットの音を

“好き”って言ってくれたの、 すごくうれしかった。

 “あの人にまた聴いてほしい”って……自然に、そう思えた」


美鈴は、胸元をそっと押さえた。


「だからきっと、好きだったんだよね。

 “自分の音が、届いてる”って、本気でそう思わせてくれた人だったから」


涼子は、それを最後まで聞き届けてから、

ゆっくりと立ち止まった。


信号が赤になっていた。


そして――静かに言った。


「“身の程”ってさ」


美鈴が、視線を向ける。


「自分がどこにいるのか、ちゃんと分かってて、

 それでも“好き”でいられる強さのことだと思うの」


沈黙。

けれど、その言葉の響きは、空気を切るように真っすぐだった。


「誰かと比べるんじゃなくて、“今の自分”をちゃんと見つめて、

 それでも誰かの隣に立ちたいって思えること」


「……」


「それを、あたしは“誇り”って呼んでる」


信号がまだ変わらない。


涼子はほんの少し微笑んで、

右手でそっと、自分の前髪をかきあげた。


「だからあんたが、“音で想いを伝えたい”って選んだなら――

 その音、ちゃんと信じていい」


「……涼子ちゃん……」


「挑んでくるなら、受けて立つよ。

 それくらいの覚悟、あたしにはあるつもり」


そして、言った。


「だって、あたしは“選ばれた自分”を信じてるから」


信号が青に変わる。


ふたりは並んで、横断歩道を渡った。


その途中で、美鈴がぽつりとつぶやいた。


「……ありがとう、涼子ちゃん」


「どういたしまして。

 “音で勝負する”ってことは、あんたも“宣戦布告”したんだからね?」


「うん。わたし、逃げないよ」


歩道の先。分かれ道が近づく。


ふたりは立ち止まり、互いに少し照れくさそうに目を合わせる。


「じゃあ、また当日ね」


「うん。ちゃんと、お互い“戦える音”で会おうね」


そして、美鈴は笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ