光すら凍る世界と希望の君
気がつけば、腰に下げた『六花』の持ち手を握っていた。
直感という名の無意識が身体を跳ばす。
前へ!
相手は、まだ、お辞儀の最中。憎たらしい程、鈍い動作ね。
正々堂々、名乗り合う?
距離は、もう無い。目の前に、迂闊な奴がいる。それが、この惨状を引き起こしたと確信できた。
だから、剣を鞘から抜き、胴へ一閃。
避けても遅い。
さらに前へ。
そして、剣を返すようにして振る。
そのままなら、届いていた。
そのままなら……。
あたしの方へ、腕が伸びてきて抵抗をする。無視すべきと理性は叫ぶ。それでも、振るう剣は、軌道を変えてしまう。
触れられるのはイヤ!
嫌悪感が全てを上回った瞬間。身体は、後方へ跳び、退いていた。
そして、先ほどの感情は、自身に向けられ唇をかむ。
目の前の彼が表情を変えた。
その微笑みは、柔和とは程遠い。冷酷や残忍の色もない、純粋な嘲笑だった。
獣の気配がする。それは、獰猛で、とても腹をすかしている。そんな感じ……。
それらが一気に動き出した。
彼らの身体を壊さぬよう、表面だけでも凍らせて……。
「無駄です。我が輩と、その眷族に、その程度の氷結は通じぬ」
遠くから聞こえる声。
その言葉とは裏腹に、獣と化したゾンビに降りた霜は、生気のない肌を覆い、氷となって動きを止めた。
その静寂は、一瞬。無数の亀裂が入り、直ぐに砕け散る。
全ては、何も変わらない。
全方位、同時に襲い掛かってきた。
「芯まで凍らせなさい」
余計な声。
そんなことしたら、このひと達の身体が粉々になっちゃうでしょ!
動きの鈍い人を見つけ、そこを、肩で押すようにして包囲を抜ける。その際、身体を爪で引っかかれた。
この手数は避けきれない。
そして、次々と襲ってくる。
大勢の獣。
「腕を斬り落としなさい」
うるさい!
避けられない一撃、あえて受け、その勢いを利用して跳ぶ。
痛いとは思わない。
攻撃は延々と続く。
死体のように生気のない人々。
「胴を斬り裂きなさい。動きが止まる」
噛みつこうと向かってくる者。
鋭い爪を振り回す者も多い。
避けて、それが出来ぬなら、受ける。
掴みかかってきたら、手で払いのけた。
多い、多いなあと思う。
理性なく、ただただ凶暴になってしまった、かつての村人。本当に、可哀想な人たち。
だから、絶対に助けたい。
そう、絶対に助ける!
痛くないし、怖くない!
諦めるのは、絶対にイヤ!!
「胴を斬り裂きなさい。動きが止まります」
遠く、遠く、群衆の奥から声が聞こえる。
「臆病者! 不死なら正々堂々と戦いなさい!」
あたしは叫んでいた。
攻撃が止んだ。
汗で濡れた前髪が邪魔なので、手でかき上げた。
肩で息を整えていると、群衆が、一筋に割れ、道が出来る。
遠くから、あれが歩いて来た。
「我が輩が、臆病とは心外です。それは貴女だ」
あら? あたしの言葉が挑発になってた?
なら、好都合ね……。
ゆっくりと歩いて来るのも都合がいい。
「人を殺せる程度の度胸はあるとの報告でしたが、そうでも無いらしい」
今は、ただ集中。
間合いに入った時、その機会を逃すな!
準備を整えろ!
ちゃんと動けるようになれ!
「たかが一人、二人、それも無価値な見ず知らずの、さらに動くだけの死体すら、斬れないなんて、我が輩は、失望をしました。氷の姫君、クラリス」
たかが一人、二人……。
その一人が、誰かにとって、全てかも知れないのよ!
無価値なんかじゃない。
死体でも、親しい人なら……、ましてや、それが動いたら、誰だって、まだ生きてると思う。
まだ我慢。
間合いの外、剣は決して届かない。
鞘に収まった『六花』を握る手に、もう違和感はない。
その時に、身体はきっと、ちゃんと動く。
速く、鋭く、決して逃しはしまい。
「もう、熟すまで待つ必要は無いですね」
あと少し。
「我が輩は、不死」
もう一歩。
「さあ、絶望を知りなさい」
一閃。
胴を斬り裂いた。
そのまま斬撃を繰り返す。四肢を斬り落とし、首をはねる。細切れに、どんな不死でも蘇れないと納得できるまで、感情のまま斬り刻む。
その感情は怒り。
許さないという決意。
変化は直ぐに起きた。
そんな……、あれを殺したら、みんなが本当に死んじゃう?
あたしは、なんて馬鹿だ。生き返らせる方法は、他力本願のスキルで、みんなを頼って、願いを叶えればいいと考えていた。
名も知らぬ、一人の村人が倒れた。
また一人、また一人と……。
取り返しがつかなくなっちゃう……。
其々の肉体が溶け、一つの塊へと融合していく。
それは、五、六人の肉体の集合体。
あとは、整然と立っていた。
膝をついたまま、肉塊の変化を見つめる。
やがて人の形を成し、不死王は、蘇った。
タキシードに蝶ネクタイ、憎たらしい程、整った顔。
「貴女は酷い女だ。復活するのに、七人の命を使いました」
七人の命……。
「我が輩は、唯一無二の存在。永遠にして、孤高。死を超越した神」
命を使った……。
「膝をつき、涙を流しながらの謝罪」
ああ、命を使ったと言ったわね。
「その態度に免じて、最後まで殺さず、四肢をもぎ取り、はらわたを食らい、脳をすすって上げましょう」
恐怖はない。
あたしには希望がある。
熱を下げる魔法が得意。氷属性ともいう。
氷の姫君の二つ名は、それが群を抜いているから。
熱の上げ下げは、其々、魔力の流し方が違う。
高熱にするなら魔力を流し込み、極寒は、魔力をうばう。
マーリン先生は、物質の核を揺らせば、熱は上がり、その逆が、下げると説いた。要するに、熱とは物質のあり様。
あたしは奪い、全てを拘束する。
不死王は、さっきから僅かにしか動いていない。
時間とは物質の運動量を測る定規。
絶対零度をマーリン先生は、教えてくれた。
でも、それは、世界のどこにも存在しないとも言っていた。
光ですら拘束され、限りなく時間が止まる世界。
さらにその先へ。絶対零度の向こう側。
光すら動けない、闇の世界。時の凍った空間。
あたしが魔力を解放し、ちっぽけな命を捧げれば、そこへ。
死にたくはない。若くして死ぬバッドエンドなんて、絶対にイヤ!
でも、大勢の人が、目の前で死んで、誰かが不幸になるのはもっとイヤ。
そんなの絶対にイヤ!
だから、あたし、命を捧げます。
だって、不死王は、命を使ったと言った。
それは、村人たちは、死体ではなく生きているということ。心臓が止まっているだけで、命は、ちゃんとそこにあるんだわ。
全てが凍ると、時間が止まり、静寂と闇が支配した。
困ったことに、あたしも動けない。
当然ね。大気も凍っているのだから……。
でも魂は、物質でないと知った。心は思い馳せることが出来た。一途に、希望が叶うことを願う。
光が闇を照らす。
もっと早く来てよ。
それは、あたしがずっと他力本願をしている相手。
もっと、もっと、早く来てほしい。
彼が、不死王を斬る。
剣神の加護、その炎が、邪悪を燃やす。
凄いなあ、あたしと真逆の力。奪うではなく、与える。物質の核を鼓舞して、高熱を発する力。
光すら動けず、時間すら凍る、絶対零度を超えた深淵を照らす光。
あたしの希望。
「もっと早く、来なさい」
彼が駆け寄って来る。
もっと堂々と、胸を張ってほしい。
みんな、あなたが救ったのよ!
そんな顔をしちゃダメ。
笑いなさい。
時間が動き出す。
唯一無二の不死王を除き、その他の全ては世界に戻る。
不死王の時間は凍ったまま、永遠にして孤高。死を超越した神に、彼は至ったらしい。
あら、でもきっと彼は、それを知ることないかしら……。それも、自業自得ね。
「クラリス、大丈夫か?」
ランスロットの顔を見たら、気が抜けてホッとした。
死んでしまった七人を思い出す。
「ごめんなさい」
「君が力を使ったのは、僕のせいだ」
違うわ。
いつだって、あなたは、ちゃんとしてる。
「七人が犠牲になっちゃった。ごめんなさい」
彼の胸に顔を埋める。革の鎧は、汗臭く、頬を伝わってきた雫は塩味がした。
「君は、いつだって、ちゃんとしてる」
そう彼は、慰めてくれると、背中をポンポンと叩く。
いろいろと思い出してしまう。あたしを食べようとしていた不死王。時間が止まらなかったら……、その恐怖。そして、犠牲になった人たちへの罪悪感。感情が爆発する。
身体が痛い……。
「誰かに、手当をしてもらおう」
「いやよ。このままがいいわ」
しばらくすれば、みんなが来るわ。
そう思うの。