心境と心情
それから数日が経ったある日、
リニはいつものように城で仕事をしていた。
食糧庫で食材を選んでいると、何やら厨房の方が騒がしくなっていた。
「ああ、またモコズが料理にオリーブオイルをかけ始めたのね…」
呆れたように独り言を呟くと、ミクリモが豊満な体を揺らしながらリニの元へとやってきたのだった。
「リニ!女王様があんたをお呼びだよ!
…一体何をやらかしちまったんだい?女王様がこんなとこにまで来るなんてよっぽどの事だよ…」
そう言うミクリモの意外と高い声が聞こえ、リニは不思議そうに首を傾げた。
「え?…別に私は何も…」
女王が厨房の外に上品に立って、リニを待っていたのだった。
リニの姿を確認すると、女王は柔らかく微笑んだ。
「お忙しいところごめんなさいね、リニ。実はあなたにお話があるの」
「…女王様が私に?」
一体、何事だろうと、女王の目を見つめた。
「明日、お仕事の予定入っていたでしょう?それをお休みに変えてほしいの。お話と言うのはそれだけなのですけれど…。それでは失礼いたしますわ」
優雅にお辞儀をすると、女王はその場を去っていったのだった。
「…え?それだけ?」
それにしてもなぜ休日の変更だけで女王が登場しなければならないのだろう。
リニは再び首を傾げた。
「あ、分かった。きっと美しい私に会いたかったのね。あれ?でも…どうしてだろう?何だか、ずっと前から女王様のこと知ってる気がするのよね…」
不思議に思ったが、王女だった頃に王族の集まりなどで見かけた事があるのかもしれない。
だから、この時はあまり気にもならなかった。
仕事を終え、家へ帰るとすぐに台所へと向かった。
そして、料理長からもらったレシピとにらめっこしながら包丁を強く握りしめる。
「今日もウィルが喜んでくれるような料理、頑張って作らなくちゃ」
そう言った時、リニの手がぴたりと止まった。
「…あれ?そういえばウィルって何の料理が好きなんだろ」
思い起こせば、夫は自分の事を語るような人間ではなかった。
彼の年齢も誕生日も、訊かなければずっと知らないままだった。
「自分の夫の好きな食べ物も分からないなんて…。私、ウィルの事知ってるようで何も知らないのかも…」
半年も一緒に暮らしていたのに。
そんな事を考えていると、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「ただいま」
帰宅した夫は、リニが贈った新しいローブを着ている。
「あ、おかえり、ウィル」
振り返ってリニが言う。
夫はローブを脱いで椅子に座ると、リニを見つめていた。
「どうしたの?ぼーっとして。珍しいわね」
不思議に思って訊ねると、夫はにこりと微笑んだ。
「料理を作ってるリニの姿もいいなと思って」
「なっ、突然何なのよ…!」
すぐさま顔を真っ赤に染めてリニは言う。
「僕も何か手伝うよ」
夫がそう言って立ち上がったとき、リニが口を開いた。
「…ねえ、ウィル。ずっと不思議に思ってたんだけど…どうして、あなたは私を妻に選んだの?私の一体どこがいいの?」
急な質問に、夫は戸惑ったような顔を見せた。
「リニ…?どうしてそんな事…」
「だって私、すごく美人だけど口は悪いしわがままだし、簡単な料理だってまともに作れないし…。しかも頭は悪いし、城も追い出されるし、美しさ以外に良いところなんて何もないのに…。
でも、あなたは私に無いものをたくさん持ってる。家事も何でも出来ちゃうし、すごく頭良くて物知りだし、少しの文句も言わないし、優しくていつもにこにこ笑ってて誰も傷付けない。それなのに…私は…」
そう告げる彼女に近付こうとした夫だったが、リニが包丁を強く握りしめているため、何となく近付けない。
「リニ、少し落着いて。それに、そんな顔しないでくれ。…僕は、君の事がとても羨ましいと思っているんだ」
夫のその言葉に、リニは怪訝な表情を見せた。
夫が続けて口を開く。
「君だって、僕が持っていないものを持ってる。
自分の感情にとても素直で、言いたい事をはっきりと言えるところも、芯が強いところも、一生懸命なところも。こんな事を言ったら怒るかもしれないけれど、不器用なところも、ずっと昔から全て愛おしいと思ったんだ。…だから僕は…」
そう言いかけて、彼は口をつぐんだ。
「…ウィル…?…え?ずっと昔からって…?」
いつも微笑んでいる夫の、こんな表情を見るのは初めてだった。
「…いや、この話をするのは今じゃないんだ。
リニ、明日仕事は?」
「…休みよ。仕事を休んで欲しいって、女王様が直接私に言いに来たわ。なぜか分からないけど」
「…ああ、そうか。もう、明日なのか……。
さっきの話の続きは、近いうちにきっとするから。そろそろお腹空いただろう?僕も夕食作るの手伝うよ」
「え?う、うん…」
ウィルが何を言っているのか、何を言いたいのか、リニにはよく分からなかった。
それに、夫と自分を比べても彼の足元にも及ばない事くらいは分かっている。
ただ、少しでも彼の支えになりたいと思っていた。
だから、自分は自分で出来る事をやればいい。
今は、夫に料理を作る事。
リニは包丁を持つ手に集中して、斧のごとくそれを振り下ろしていった。
手伝おうとして隣に立つ夫の笑顔は、彼女のありえない包丁さばきを見て見事に引きつっていた。
それでも彼はリニの下手な手料理を、とても喜んで食べてくれるのだ。
リニもその度に嬉しくなるのだった。
その夜、ウィルは居間でリニが贈ってくれたローブを見つめていた。
「……時間が過ぎるのは早いな」
彼はひとり、そう呟いた。
そしてしばらくすると、彼は寝室へと入って行った。
ベッドの中では、とても美しいリニがふやけた顔でいびきをかいて眠っている。
おまけに涎も垂らしている。
しばらくの間、ウィルは彼女の寝顔を眺めていた。
「…リニ、愛しているんだ君を。
君がいるだけで、毎日がとても楽しいんだ。
…この家で僕と一緒に暮らしてくれて、ありがとう」
彼は静かにそう言って居間へ戻ると、ローブに身を包み、家を出て行ったのだった。




