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ネコネコランドへようこそ  作者: 香月 深青
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第九話 名前の贈りもの

ネコネコランドにやってきてから、しばらく経ったころ。


朝の風はやわらかく、花の香りを運びながら、町のあちこちを優しく吹き抜けていた。


そんな穏やかな日でも、一匹だけ、まだどこか遠くを見つめている猫がいた。


あの黒猫だった。


夜をそのまま毛並みにしたような、つややかな黒。


光を受けると、毛先がほんのり青くきらめく、美しい毛並み。


けれど金色の瞳には、まだ少しだけ寂しさの影が残っている。


みんなが笑っていても、少し離れた場所から静かに見つめていることが多かった。


近づきたい。


でも近づくのが怖い。


そんな心の揺れが、リオンにはなんとなく分かった。


その日の午後、リオンは庭の木陰で、黒猫の隣にそっと腰を下ろした。


無理に話しかけない。


ただ、一緒に風の音を聞く。


葉っぱが揺れる音。


遠くで笑う猫たちの声。


どこかでパンを焼く、香ばしい匂い。


静かで、あたたかな時間。


しばらくして、黒猫がぽつりとつぶやいた。


「……ここ、変だね」


リオンは小さく笑う。


「うん。すごく変」


「みんな、近い」


その言葉に、少しだけ胸がきゅっとなる。


きっと今まで、近づいてくる優しさより、離れていく寂しさの方をたくさん知ってきたのだろう。


「嫌だった?」


リオンがそう聞くと、黒猫は少しだけ首を横に振った。


「……あったかい」


その小さな本音が、何より嬉しかった。


その時だった。


遠くから、ばたばたばたっ!と勢いのいい足音が近づいてくる。


「見つけたにゃーー!」


飛び込んできたのは、もちろんチャイだった。


口には大きな葉っぱ。


頭には花。


なぜか背中に小さな木の枝を一本さしている。


完全に森の妖精……ではなく、ただいっぱいくっついただけだった。


「どうしたの?」


リオンが聞くと、チャイは得意そうに胸を張った。


「宝物を集めてきたにゃ!」


ぽんっと地面に広げる。


丸いどんぐり。


きれいな羽。


光る小石。


ハートの形の葉っぱ。


そして、なぜか煮干し一本。


「最後のいる?」


「非常食にゃ!」


元気いっぱいである。


チャイは黒猫の前に、ハートの葉っぱをそっと置いた。


「これ、あげるにゃ」


黒猫が目を丸くする。


「……ぼくに?」


「そうにゃ。ひとりでいる顔してたにゃ」


まっすぐすぎる言葉だった。


黒猫は戸惑いながら葉っぱを見つめる。


その時、風がふわっと吹いた。


葉っぱが舞う。


チャイが追いかける。


転ぶ。


転がる。


そのまま坂をころころころ――


池に、ぽちゃん。


「にゃーーー!」


盛大な水しぶき。


頭の花だけ、ぷかぷか浮いていた。


一瞬の静けさ。


次の瞬間――


くすっ。


小さな笑い声が聞こえた。


リオンが振り向く。


黒猫が笑っていた。


ほんの少しだけ。


けれど確かに、嬉しそうに。


その笑顔は、春の日だまりみたいにやわらかかった。


リオンの胸があたたかくなる。


「笑ったね」


黒猫は少し恥ずかしそうにうつむく。


でも、その瞳の奥の寂しさは、前よりずっと薄れて見えた。


リオンはそっと言った。


「ねえ、名前を探そうか」


黒猫の耳がぴくりと動く。


「前の名前じゃなくてもいい。これからのあなたに似合う名前」


金色の瞳が、まっすぐリオンを見た。


黒くて、美しくて。


静かで、でも優しい。


夜みたいな毛並みなのに、その目にはちゃんと光がある。


リオンはふっと微笑んだ。


「――ルナ、ってどうかな」


「ルナ……?」


「月って意味。暗い夜を、やさしく照らす光」


黒猫――ルナは、その名前を小さく口の中で転がした。


「……ルナ」


もう一度。


「ルナ」


三度目には、少しだけ嬉しそうに。


その時、池からずぶ濡れのチャイが顔を出して叫んだ。


「ルナ! かっこいいにゃ!」


そして次のひと言。


「じゃあチャイは太陽にゃ!」


誰も聞いていないのに名乗った。


その後ろからミルクがのんびり歩いてきて言う。


「じゃあミルクは王女にゃ」


それは最初からそうである。


リオンは吹き出した。


ルナも、小さく笑った。


笑い声が広がる。


風がやさしく吹く。


その日、一匹の黒猫は、新しい名前をもらった。


それは失くした名前の代わりじゃない。


これからを生きるための、あたたかな贈りもの。


ネコネコランドは今日もやさしい。


ちゃんと、明日も。

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