第三十七話 魚屋さんは大さわぎにゃ!?
「楽しそうだから採用にゃ」
丸いお腹を揺らしながら、魚屋の店主はにこにこと笑った。
そのひと言に、みんなは顔を見合わせる。
本当に働くことになった。
しかも、思っていたより、ずっとあっさりと。
チャイは目をきらきらさせながら、その場でぴょんと飛び上がる。
「やるにゃーーー!」
耳はぴん。
しっぽもぴん。
さっきまで「ミルクのコップを返すにゃ」と真剣だった顔はそのままに、そこへわくわくが全部のったような表情だった。
ミルクは、そんなチャイを見てくすっと笑う。
「気合いだけは満点にゃ」
「だけじゃないにゃ!」
胸を張るチャイ。
「ちゃんと働くにゃ!」
その横で、シロップは魚が並ぶ氷の台をじっと見つめていた。
銀色に光る魚。
ぴちぴちとした海の香り。
鼻先が、ぴくりと動く。
ひげまで、そわそわしている。
「……いいにおい」
ぽつりと落ちた声が、妙に真剣だった。
リオンがすかさず前に立つ。
「だめだよ」
「……まだ何もしてない」
「顔が食べる前の顔だよ」
シロップは魚を見る。
リオンを見る。
また魚を見る。
そして、小さく言う。
「……ひとくち」
「だめ」
「……半分」
「減っただけでだめ」
「……においだけ」
「近い近い」
鼻先が魚に触れそうになるたび、リオンが押し戻す。
そのやりとりを見て、チャイがけらけら笑う。
「シロップ、お魚と恋してるにゃ」
「恋じゃない」
シロップは真顔で答える。
「本気」
「もっとだめ!」
店のあちこちから笑い声がこぼれた。
そのころ、ルナは店先に静かに立っていた。
背筋をすっと伸ばし、やわらかな笑顔でお客さんを迎える。
「いらっしゃいませ。今日のお魚、とても新鮮ですよ」
落ち着いた声。
丁寧なしぐさ。
やさしくて、どこか上品な空気。
その声に引かれるように、お客さんたちの足が自然と止まる。
「この子におすすめを聞きたいにゃ」
「また来たくなるお店にゃ」
気づけば、ルナの前には小さな列ができていた。
店主が目を丸くする。
「すごいにゃ……看板娘にゃ」
ルナは少し照れくさそうに目を伏せる。
「……そんなつもりじゃ」
それでも、しっぽの先だけはうれしそうに小さく揺れていた。
その隣では、マロンが胸の前で手をぎゅっと握っていた。
小さく深呼吸。
勇気を出して声を出す。
「い、いらっしゃ……」
でも、自分の声の小ささに自分でびっくりする。
「ひゃっ」
ぴょん、と飛び上がった。
その様子に、お客さんたちから笑い声が広がる。
「かわいいにゃあ」
「守りたくなる声にゃ」
マロンは顔を真っ赤にして、耳まで赤くしてうつむいた。
けれど、その姿がますます人気を集めてしまう。
別の意味で、立派な看板猫になっていた。
そして――
いちばんみんなを驚かせたのは、インクだった。
店の奥で静かに包丁を握る。
光る刃先。
落ち着いた目。
次の瞬間。
とん。
ととん。
とととととん。
迷いのない手さばきで、魚がみるみる美しく整えられていく。
無駄がない。
流れるようになめらかで、見ているだけで気持ちがいい。
まるで包丁が踊っているみたいだった。
店主も、お客さんも、思わず見入ってしまう。
「すごい……」
その声に、インクはほんの少しだけ視線を上げる。
「……昔、少しだけ」
短いひと言。
でも、そのひと言だけで、妙に深い。
「何があったの」
リオンが思わずつぶやく。
誰も答えを知らない。
謎だけが、静かに増えていく。
そのリオンに、最大の事件が起きたのはその直後だった。
大きな氷の箱を運ぼうとして、足元の水に気づかなかった。
つるっ。
「あ」
前につんのめる。
次の瞬間――
どしゃっ。
氷が飛ぶ。
魚が飛ぶ。
ひとつは頭へ、ぺちん。
ひとつは肩へ、ぺちん。
さらに胸元へ、ぺちん。
足元にも、ぴちぴち。
気づけば全身、魚まみれだった。
頭からしっぽまで、見事に魚のにおい。
リオンは、その場でゆっくり顔を上げる。
「……ぼく、魚になった?」
チャイが目をまんまるにして見つめる。
それから、ぽつりと言った。
「魚が服を着てるにゃ」
そのひと言で、みんなが吹き出した。
ルナは肩を揺らして笑い、マロンは口元を押さえながら小さく笑い、シロップは魚より魚のにおいがするリオンのまわりをくんくん回る。
「……いちばんおいしそう」
「ぼくは売り物じゃないよ!」
笑い声が、魚屋いっぱいに広がった。
夕方。
にぎやかな一日が終わり、空がやわらかなオレンジ色に染まるころ。
みんなの前に、小さなお給料袋が並べられた。
チャイは、それを両手で大事そうに抱え、ミルクの前へ歩いていく。
朝よりも少しだけ、頼もしい顔になっていた。
ミルクの前まで来ると、そっと差し出す。
「……新しいコップ、買ってにゃ」
まっすぐな声だった。
失敗したことから逃げずに、ちゃんと向き合った声だった。
ミルクは、その顔を見てやさしく微笑む。
「ありがとうにゃ」
そう言って、近くの棚を開けた。
そこには、白いコップがもうひとつ置かれていた。
青い小さな花模様。
つやつや光る、見慣れたお気に入りのコップ。
チャイの目が、みるみる丸くなる。
コップを見る。
ミルクを見る。
もう一度、コップを見る。
耳がぴくりと動く。
しっぽの先が、ぴたりと止まる。
口を小さく開けたまま、しばらく固まっていたけれど、ようやく声がもれた。
「……あるにゃ」
ミルクは、くすっと笑う。
「予備にゃ」
その瞬間、チャイの耳がぴーんと立った。
「早く言ってにゃーーー!」
大きな声が、夕焼けの広場いっぱいに響く。
ルナが肩を揺らして笑う。
マロンは声をこらえきれず、小さく吹き出す。
シロップは楽しそうにチャイのまわりをくるくる回り、リオンはお腹を抱えて笑っていた。
インクの口元まで、ほんの少しだけやわらかくなる。
ミルクは、そんなみんなを見渡して目を細めた。
夕陽が、ひとりひとりをあたたかく照らしている。
失敗してもいい。
転んでもいい。
大切なのは、そのあとに一生けんめい向き合うこと。
今日みんなで流した汗も、笑い合った時間も、全部が宝物になる。
ネコネコランドには今日もまた――
にぎやかで、やさしくて、忘れられない思い出がひとつ増えたのだった。




