第十五話 はじめての笑い声
朝のネコネコランドには、今日もやさしい光が降りそそいでいた。
木々の葉のあいだからこぼれる陽ざしは、きらきらと小さな星のように揺れ、花の香りを運ぶ風が、そっとみんなの頬をなでていく。
小鳥たちは楽しそうに歌い、遠くではパンの焼ける香ばしい匂いがふわりと流れてきた。
世界はこんなにもあたたかくて、こんなにも穏やかなのに――
ひとりだけ、まだ小さく体を縮こまらせている子がいた。
マロンだった。
朝ごはんの時間になっても、みんなの輪の少し後ろで、そっと座っている。
目の前には、ふわふわのミルクパンと、魚のかたちをした小さなクッキー、それから甘い香りのする温かなミルク。
どれもおいしそうなのに、マロンはちらりと見るだけで、小さく首を振った。
「……ぼく、あとでいい……」
その声は遠慮がちで、まるで「ここにいてごめんなさい」と言っているように聞こえた。
リオンの胸が、きゅっと痛くなる。
ルナは悲しそうに耳を伏せ、チャイは持っていたパンを食べる手を止めた。
インクも静かに本を閉じる。
そして――
ぴょこんっ。
テーブルの上へ飛び乗ったミルクが、王冠をぴかりと光らせながら高らかに宣言した。
「本日は――」
前足を高く掲げる。
「マロンを笑顔にする大作戦にゃーー!!」
その声に、庭の木で休んでいた小鳥たちまでびっくりして飛び立った。
リオンは思わず吹き出す。
チャイは「おおー!」と拍手。
ルナは目をきらきらさせる。
インクだけが静かにひとこと。
「……また始まった」
けれど、その声は少しだけやわらかかった。
こうして、マロン笑顔大作戦が始まった。
最初の作戦は――
チャイの・パン大食い対決!
「ぼくに勝てるかな!」
なぜか胸をどんっと叩くチャイの前には、山のように積まれたパン。
しっぽパン。
チーズパン。
星パン。
魚パン。
ふわふわクリームパン。
「よーい、どん!」
その合図と同時に、チャイはものすごい勢いで食べ始めた。
もぐもぐもぐもぐ――
ぱくぱくぱくぱく――
あっという間に山が消えていく。
「すごい……」
マロンが思わず目を丸くする。
ところが次の瞬間。
ぴたり。
チャイの動きが止まった。
お腹が、ぽんっ、と丸くふくらんでいる。
「……た、食べすぎた……」
よろっ。
ころん。
まるでボールみたいに転がった。
ころころころころ――
花壇へ、ぽすん。
花の冠を頭にのせたまま、目を回している。
その姿があまりにもおかしくて――
「……ふふっ」
小さな笑い声がこぼれた。
みんなの目が、一斉にマロンへ向く。
マロンはびっくりして口を押さえる。
でも、その頬はほんのり赤く、口元が少しだけゆるんでいた。
リオンの胸が、じんわりあたたかくなる。
次の作戦は――
ルナの・お花の冠づくり!
ルナが庭いっぱいの花を集めて、かわいい冠を作った。
白い花。
黄色い花。
小さな青い花。
春の光を集めたみたいな、やさしい冠。
「マロンに似合うかな……」
そっと頭にのせると、マロンは目をぱちぱちさせる。
「……わぁ……」
その時だった。
横からミルクがずいっと顔を出す。
「ぼくにもにゃ!」
ルナはにこっと笑って、ミルクにも花冠をのせた。
――けれど。
王冠の上に花冠。
さらにその上に蝶々が止まる。
なんだか、ものすごく盛られている。
「……重いにゃ」
真顔のミルク。
その姿に、マロンは肩をふるわせた。
「ふふっ……あは……」
笑った。
今度は、はっきりと。
鈴みたいな、かわいい笑い声だった。
みんなの目が、うれしそうに細くなる。
最後の作戦は――
インクの・読み聞かせ。
古い木陰の下で、インクが静かに本を開く。
低く落ち着いた声が、やさしく流れていく。
風が葉を揺らし、木漏れ日がきらきら踊る。
とても心地よくて――
……静かで――
……あたたかくて――
すぅ……
リオンが寝た。
すぅ……
ルナも寝た。
すぅ……
ミルクまで王冠を傾けて寝ている。
ころんと転がっていたチャイも、そのまま寝ている。
気づけば、みんなすやすや眠っていた。
残っているのは、ぽかんとしたマロンだけ。
インクが本を閉じて、静かにひとこと。
「……寝かせる本だった」
その真面目な顔が、あまりにもおかしくて――
「あははっ!」
マロンが、声をあげて笑った。
心の底から。
胸の奥の氷が、とけて流れていくみたいに。
その笑い声は、あたたかな風になって、みんなの心をふわりと包んだ。
夕暮れ。
空がオレンジ色に染まり、長い影が石畳にのびるころ。
マロンが、そっとリオンの服をつまんだ。
小さな声で、でも今度はちゃんと前を向いて言う。
「……ぼく、ここにいてもいい?」
その瞳は、もう怯えていなかった。
そこにあったのは、小さな希望だった。
リオンはしゃがみこみ、まっすぐ目を見て微笑む。
そして、やさしく抱きしめる。
「もう家族だよ」
そのひと言に、マロンの瞳がきらりと揺れる。
少し離れたところで、ミルクがえっへんと胸を張った。
「最初からそうにゃ」
チャイが寝ぼけながら手を上げる。
「家族は……パンも半分こ……」
「半分じゃ足りないにゃ」
ミルクがすかさずつっこむ。
ルナがくすくす笑い、インクも小さく目を細めた。
その真ん中で、マロンがまた笑う。
今度はもう、寂しい笑顔じゃない。
ちゃんと心から笑った、あたたかな笑顔だった。
ネコネコランドの空には、今日もやさしい風が吹いている。
泣いていた子の心に、小さな灯りがともるように。
その灯りが、もう二度と消えないように。




