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ネコネコランドへようこそ  作者: 香月 深青
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第十四話 もう、ひとりじゃないよ


にぎやか通りの灯りが、ひとつ、またひとつと夜の中にやさしく浮かびはじめるころ。


昼間の笑い声が少しずつ静けさへと溶けていき、石畳の道には月の光が淡く降りそそいでいた。


お店の窓からこぼれるあたたかな灯り。

どこかの家から聞こえる楽しそうな話し声。

夕ごはんのいい匂い。

そして、誰かを待つように揺れる小さな窓辺の花。


そんな優しい景色の中で――


かすかに、かすれるような泣き声が聞こえた。


「……みゃ……」


小さくて、細くて、今にも消えてしまいそうな声だった。


リオンはぴたりと足を止める。


胸の奥を、何か冷たいものがそっとなぞったような気がした。


「……今の声……」


ミルクも耳をぴくりと動かし、まっすぐ路地裏へ顔を向ける。


チャイは口元についていたパンくずをぴたりと止め、ルナはぎゅっと胸の前で前足を重ねた。


インクの金色の瞳も、夜の奥を静かに見つめている。


薄暗い路地の奥。


古い木箱のかげで、小さな茶色の子猫が体を丸くして震えていた。


毛並みは雨に濡れたように乱れ、小さな体は痩せている。


首には古びた赤い首輪。


けれど名前の札だけが、どこかでちぎれてなくなっていた。


その首輪だけが、かつて誰かに愛されていた時間を、静かに語っていた。


リオンはそっとしゃがみこみ、驚かせないように小さな声で話しかける。


「どうしたの……?」


子猫はびくっと肩を震わせる。


大きな瞳には涙がいっぱいにたまっていた。


唇がかすかに震え、消えそうな声で言う。


「……ぼく……待ってたの……」


そのひと言だけで、胸が締めつけられる。


「迎えにきてくれるって……ずっと待ってたの……」


ぽろり、と大きな涙が石畳に落ちた。


「いい子にしてたの……鳴かなかったの……ちゃんと待ってたの……」


声が震える。


「でも……来なかった……」


リオンの喉の奥がぎゅっと苦しくなる。


何も言えない。


ただ、その小さな声が痛いほど胸に刺さる。


やがて子猫は、少しだけ顔を上げた。


「ぼくの名前……マロンっていうの」


その名前を口にする声だけが、少しだけあたたかかった。


大好きだった記憶に触れるみたいに。


「マロンって呼ばれると……うれしかった」


小さく笑う。


けれど、その笑顔があまりにも寂しい。


「でも、もう誰も呼ばないの」


その言葉に、ルナの目から涙がぽろぽろこぼれた。


チャイも何も言わず、いつものように「お腹すいた」とも言わず、ただ静かにマロンのそばへ座る。


インクは少し離れた場所から目を伏せ、長いしっぽを静かに足元へ巻きつけた。


そしてミルクが、いつになく静かな声で言った。


「この子は、ぼくが向こうの世界から連れてきたにゃ」


リオンが顔を上げる。


ミルクの青い瞳の奥には、深い悲しみが揺れていた。


「冷たい雨の夜だったにゃ」


風の匂いまで思い出しているように、ミルクはゆっくり話しはじめる。


「ダンボールの中で、小さく丸くなって震えていたにゃ」


「お腹もぺこぺこで、声も出なくなるまで泣いていたにゃ」


ミルクの声が少しだけ震える。


「それでも、この子はずっと信じてた」


そっとマロンを見る。


「『迎えにきてくれる』って」


静かな夜に、その言葉だけが深く落ちる。


マロンはうつむいたまま、小さくつぶやいた。


「ぼく……嫌いになられたのかな……」


「いらない子だったのかな……」


その瞬間――


リオンの胸の奥で、何かが強く痛んだ。


どうして。


こんなに小さくて、あたたかくて、ただ愛されたかっただけの命が。


どうして、ひとりぼっちで震えなければならないの。


どうして、待ち続けなければならないの。


気づけば、涙がこぼれていた。


リオンはそっとマロンを抱きしめる。


軽かった。


あまりにも軽くて、胸が苦しくなるほど。


その小さな体は、最初こそびくっと震えたけれど、やがて壊れそうなくらい静かに、そっと力を抜いた。


ぬくもりを思い出すみたいに。


リオンは涙をぬぐいながら、でもはっきりとした声で言った。


「マロンは、いらない子なんかじゃない」


月明かりの下、その言葉はまっすぐ夜へ伸びていく。


「こんなにやさしくて、こんなに頑張って、ずっと信じて待っていたんだもの」


胸の奥から言葉があふれる。


止まらない。


「もし私が、元の世界へ帰れたら――」


リオンの瞳に、強い光が宿る。


「ひとりぼっちで泣いている猫たちを、たくさん抱きしめたい」


「家族になりたい」


「寒い夜に震える子も、誰にも名前を呼ばれなくなった子も……みんな迎えに行きたい」


涙で声が揺れる。


それでも、その願いはまっすぐだった。


「寂しいまま終わる命を、もう増やしたくない」


風がやさしく吹く。


どこかで鈴の音が、小さく鳴った。


マロンが顔を上げる。


涙で濡れた瞳が、月の光を映して揺れていた。


「……ほんとに?」


かすかな声。


「ぼく……また、誰かの家族になれる……?」


リオンは、泣きながら笑った。


そして、何よりもやさしい声で言う。


「なれるよ」


マロンの頭を、そっと撫でる。


「絶対になれる」


「だってマロンは、生きていてくれたもの」


「会えてよかった」


その瞬間、マロンの瞳から大粒の涙があふれた。


声にならない声で泣きながら、リオンの胸に小さな顔をうずめる。


そのぬくもりを、確かめるように。


失くしたと思っていた居場所を、探しあてたみたいに。


少し離れた場所で、ミルクが月を見上げながら、そっと微笑んだ。


「ネコネコランドは――」


夜風に白い毛がやさしく揺れる。


「帰る場所をなくした子のおうちでもあるにゃ」


その言葉に、夜空の星たちが、ひとつひとつやさしく瞬いた。


そしてリオンは、胸の中の小さな命を抱きしめながら、静かに心へ誓う。


いつか元の世界へ帰ったら。


今度は自分が、迎えに行く人になる。


ひとりぼっちで震える命に――


「もう、ひとりじゃないよ」


そう言える人になるために。


ネコネコランドの夜は、その小さな約束をそっと抱きしめるように、今日も静かにやさしく更けていった。

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