諒闇
紂王伝 第9話 父上が、病に倒れた。その報せを聞いた時、私の頭を真っ白な後悔が満たした。私はこれまで、国を良くするための政務や改革に没頭するあまり、自身の婚姻すら結んでこなかったのだ。このまま父上の病状が回復しなければ、初孫の顔を見せることすら叶わずに逝かせてしまうことになる。(せめて……せめて嫁を貰い、父上を安心させねば)婚姻を機に父上が活力を取り戻し、奇跡的に回復して、いずれ生まれる孫の顔をこの手で抱いてくれれば――それが一番の願いだった。本来であれば、地方の有力な諸侯の娘を貰い受けて外戚の繋がりを強化すべきなのだろう。だが、今はそれだけの手続きを踏む時間が圧倒的に足りない。ならば、婚姻という強力な「餌」を宮廷内にぶら下げ、家臣の有力者を私の味方に引きずり込む方が合理的だ。私は比干さまと箕子さま、二人の叔父上や家臣の重鎮たちと緊急の協議を重ね、速やかに相手を定めて婚儀を執り行った。「我が商の偉大なる先祖・湯王よ、武丁様よ。どうかこれをご転機に、父上の病をお救いください」私は神の唯一の代理人として、天に座す偉大な先祖の霊たちへ、心の底から強く願った。だが――その願いが天に届くことはなかった。婚儀から、わずか二ヶ月後のことだった。父上・帝乙は、静かにこの世を去り、天の先祖たちの元へと旅立たれた。「父上……、父上……!」悲しみに暮れる暇もなく、私は次代の王として、古来の厳しい喪礼に身を置くこととなる。私は王としての決済をすべて止め、外界との連絡を断つ『亮陰』の館へと籠もった。父の死を悼み、一切の贅沢を断って喪に服す『諒闇』の期間――。その期間は、およそ二年に及ぶ。その間、私は信頼する比干叔父上を最高権力者である「宰相」に任命し、我が商の国政のすべてを託した。叔父上であれば、私が籠もっている間も国を盤石に守り抜いてくれるはずだ。ふと、自分の都合で急遽宮廷に迎え入れられ、新婚早々に夫と引き離されて放置されることになった妻の姿が脳裏をよぎる。(すまない……。新婚早々、本当に悪いことをした)申し訳なさが胸を締め付ける。だが、今の私の心は、天へと昇り「商を守る新たなる神」となった父上を想う涙と、二年後に訪れる「本物の王」としての重圧だけで、完全に埋め尽くされていた。暗い亮陰の館のなかで、私はじっと耐えていた。この果てしない静寂の闇の先で、私は本当の孤独な王へと脱皮するのだ。




