生贄
紂王伝 第7話 父上からこの国の未来を託され、王太子となった今でも、現現実は容赦なく私に牙を剥いた。私は変わらず、少しでもこの国の歪みを正そうと改革へ邁進した。だが、立場が変わったところで、古い伝統にしがみつく家臣たちの根強く、冷ややかな反発が消えるわけではない。私の提案はことごとく握りつぶされ、物事は思うようには進まなかった。そんな鬱屈とした日々の中、ある「祭り」の日が訪れた。宮廷の広場に足を運んだ私は、そこで目にした光景に、激しい不快感と眩暈を覚えた。――一度に、数百人もの人間が神への生贄として捧げられ、血を流している。「……これが、神に捧げる祭祀だというのか」確かに、西の姜族は獰猛な騎馬民族であり、我が商の国とは長年にわたり血で血を洗う争いを続けてきた。戦で捕らえた捕虜を生贄に捧げる慣わし自体は、この時代、仕方のないことなのかもしれない。だが――あのような、まだ武器も握れぬ幼子までもが、なぜ生贄として首を撥ねられねばならないのだ。古来、生贄とは牛や羊といった家畜を神に捧げるものだったはずだ。そして儀式の後には、その肉を民に分け与え、神の恵みを共有して民の心を慰撫する。それこそが、祭祀の持つ本来の「合理的かつ政治的な意味合い」だった。それが、時が経つにつれ、どうしてここまで変質してしまったのか。我が商王朝の王とは、天の神の声を聞く唯一の「神の代理人」である。その頂点たる王朝が主催する祭祀だからこそ、天下の諸侯も民も従うのだ。だが、時が経つにつれて神職たちの組織は肥大化し、その発言力は増し続けていた。神の代理人という絶対的な看板を背負わされながら、実権は肥大化した神職たちに握られ、思うような治世を行えない。最高権力者でありながら、組織そのものに手足を縛られている。これでは、王とは名ばかりの、ただの不自由な人形ではないか。今の商は、ただ神の機嫌を伺うため、あるいは肥大化した神職たちの権威と利権を守るためだけに、生贄を求めている。ひどい時には、生贄を確保することだけを目的に、わざわざ他国へ攻め入ることすらあるという。(なんという不合理……。なんという無駄だ!)命の無駄遣い。兵力の無駄遣い。そして、国家の資源の無駄遣いだ。伝統という美名の下で、どれほどの国力がすり潰されているか、彼らには分からないのか。これほど大規模な組織の猛反発を喰らえば、王太子である今の私が何を叫んだところで、一瞬で圧殺されるだけで手は出せない。飛び散る血飛沫を見つめながら、私は吐き気を堪え、胸の中で固く固く誓った。「私が王に戴冠した暁には、神の代理人というこの座ごと、組織を内側からぶっ壊してやる」凄惨な祭りの喧騒を背に、私は独り、次代の王としての冷徹な刃を、自らが頂点に立つはずの巨大な組織へと向けて、深く研ぎ澄ましていた。




