召喚
紂王伝 第35話 義父であり我が国の最高名将でもある飛廉から受けた忠言は、私の胸に冷たい楔となって突き刺さっていた。西方の雄――周の諸侯である『姫昌』を、王都・朝歌へ召喚すべきか否か。息子の禄父が必死に木剣を振るう微笑ましい姿を眺めながらも、私の脳裏では一為政者としての冷徹な計算が、ぐるぐると回り続けていた。(これほどの深い婚姻関係に、自ら罅を入れてまで、姫昌を呼び寄せるべきなのか……?)商王朝と周国は、形式上は君臣の礼をとっている。だがその実態は、この大陸の西辺を支え合う最も重要な「同盟相手」に他ならない。それだけではない。我が商王朝と周の間には、幾重にも重なる血の絆があった。先代の季歴、そして今代の姫昌。彼ら二代にわたり、我が王朝からは高貴な王女が嫁いでいるのだ。下手をすれば、西方の強国を敵に回す大反乱の引き金になりかねない。この私一人の胸三寸で決めるには、あまりにも事が大きすぎた。かと言って、この疑惑の段階で広く群臣に諮れば、宮廷はたちまち猜疑心に包まれ、不必要な混乱を招だけであった。「……やはり、私一人では決められん、か」せっかくの家族の時間を、容赦なく仕事の話で塗り潰していった仕事熱心な義父の背中に、私は内心で子供のようにべっと舌を出しつつ、重い腰を上げた。悩んだ末、私は信頼できる身内であり、国の重鎮でもある叔父上――比干や箕子たちを秘密裏に集め、相談を持ちかけることにした。「周との絆は国の根幹だ。受徳よ、くれぐれも軽率な行動だけはするなよ」「しかし、飛廉の懸念も一理ある。周の独走をこのまま放置するわけにもいくまい」叔父上たちは私の不安に理解を示し、まずは慎重に姫昌の真意を確かめるという手続きを条件として、最終的に「姫昌の召喚」に賛同してくれた。味方がいるという事実が、私の張り詰めた背中をわずかに支えてくれる。「わかった。……姫昌を朝歌へ呼ぼう」退路は断たれた。私は重い息を吐き出し、召喚の書状に王の印を捺した。窓の外に広がる、どこまでも平穏な朝歌の街並みを見つめる。夕日に向かって必死に木剣を振り下ろしていた、愛しい我が子の姿が脳裏をよぎる。(どうか、この胸を焦がす胸騒ぎが、私のただの杞憂であってくれ――)その祈りは、静かな部屋のなかに虚しく消えていった。西の周という名の巨大な火種が、すぐ目の前まで迫ってきていることを、私は強く実感していた




