崇侯虎
紂王伝 第30話 近隣の諸侯たちが一堂に会する、賑やかな宮廷の宴。その喧騒から少し離れた物陰で、西方の有力な諸侯であり、崇国を治める崇侯虎と二人きりになった。「なあ、なあ、辛ちゃん。聞いたよ? 新しく諸侯に列して冀州侯に任命した有蘇国に、戦車と青銅製の武具をあげたんだって?」周囲に人がいないのを見計らい、虎はいつもの馴れ馴れしい調子で、しかし目を輝かせて話しかけてきた。私より少し歳上の虎とは昔から気心が知れており、二人だけの時はいつもこの遠慮のない距離感なのだ。「ああ、我が商に全面臣従し、大量の貢物を送ってきたからな。その正当な返礼品として、戦車三台と、青銅の武具一式を二十組下賜した」隠すようなことでもないため、私は正直に答えた。「か〜、まじか! ねぇねぇ、ちゃんと見合うだけの対価は用意するから、虎にも欲しいな、その戦車。青銅の武具もさ」そう簡単には首を縦に振れない。我が商の最新兵器の流出は、軍事的なバランスを崩しかねないからだ。私が断ろうと口を開きかけた瞬間、虎は真剣な顔になって私の袖を引いた。「いや、聞いてよ辛ちゃん。最近、うちの崇国のさらに西にある『周』の国がさ、急速に勢力を伸ばしてきてて正直ウザいんだよ。だから、あいつらに対する抑止力として、どうしても商の最新の武力が必要なんだ。お願い」周の伸長――。虎の言葉に、私の脳裏に微かな警戒の火が灯った。即答はできないが、西方の防衛線を維持するためにも、これは国家として真剣に検討すべき案件だろう。後で比干叔父上や箕子叔父上の二人とも深く謀らねばならない。「……考えておこう。ところで、そっちの崇国の様子はどうだ?」私が話を振ると、虎は一転して破顔し、私の肩をぽんと叩いた。「それがさ、最高なんだよ! 辛ちゃんが始めた貝貨や塩の塊が、うちの周りの諸侯国の間にもどんどん流通し始めてさ。民たちが『働いて作れば作るだけ、いつでも物品と交換できる』って気づいて、自発的に働く時間を増やし始めたんだ。おかげで上から下までみんなが豊かになって、うちの税収も大幅に増えたよ。本当に感謝してる、ありがとうな!」虎からの真っ直ぐな感謝の言葉が、私の胸に温かく染み渡っていった。(……ああ。我が商だけでなく、周辺の諸国にまで豊かさの循環が波及し始めたか)私が泥をすすり、暴君と呼ばれ、呪われながらも突き進めてきた改革は、確実にこの天下を救いつつある。溢れる民の活気と諸侯たちの笑顔を眺めながら、私は久しぶりに、心の底から「この宴は良かった」と、満ち足りた心地よさに浸っていた。




