体験
紂王伝 第2話 書物で得た知識など、机上の空論に過ぎない。私は父上や周囲に無理を言って許しを得ると、王都・朝歌を飛び出した。目指すは、この国を支える他の「七大都市」。そして、その周辺に無数に点在する、名もなき小さき村々――邑落である。実際にこの足で巡り、現地の人々の生きた暮らしを知る。それこそが目的だった。訪れた邑落の民は、みな穏やかだった。時の流れすら忘れたかのように、ゆったりと日々の営みを続けている。だが、その平穏の裏にある「不便」もまた、嫌というほど肌で知ることになった。「……くっ、また車輪が取られたか」都市同士を結ぶ大街道は、まだましな方だった。しかし、ひとたび邑落同士を繋ぐ細道に入れば、そこはお世辞にも整備されているとは言えない泥道だ。石に躓き、泥に足を取られ、移動だけでも並大抵ではない苦労を強いられた。だが、その泥にまみれた移動のなかにこそ、統治の真理が隠されていた。(なるほど……。こういうことか)私は深く納得した。各地を巡れば、その土地特有の便利な名産物がたくさんある。だが、それがどれほど優れた品であっても、民が自発的に遠くの街へ運ぶことはない。なぜなら、道がこれほど悪ければ、運ぶ労力が見合わないからだ。「税」という国家からの強制力がなければ、わざわざ命がけで泥道を歩く者などいるはずがなかった。さらに、民には「情報」が行き渡っていない。どこで何が不足し、どこで何が余っているのか。それを知る術が、彼らにはないのだ。民の暮らしは、基本的には自分の村の中だけで完結している。外の世界を知る必要も、広げる必要もない。では、なぜ彼らは我が商王朝に従うのか?「塩」だ。生きていく上で絶対に欠かせない塩などの必需品は、王朝が各地に配給している。税を徴収する見返りとして、王朝が生存を保障する。だからこそ、地方の民は王朝に逆らうことができないのだ。(やはり、書物を読んだり、誰かの噂話を聞くだけでは駄目だ。この目で見て、この肌で体験せねば、国の真実など見えてこない)揺れる馬車のなか、私は泥に汚れた手を握りしめ、胸の中で確信を深めていた。この国を、兄上たちが治める未来の国を、もっと盤石なものにするために。私がすべきことは、まだまだ山のようにある。若き日の私は、ただただ純粋に、国を豊かにする手段を模索していた。その効率的な思考こそが、やがて民を苦しめる「暴政」の刃へと変わっていくとも知らずに。




