商容
紂王伝 第14話 :祭りの裏の火花月日は静かに流れ、私の愛息たる禄父が三歳を迎えた。国法に則り、我が子の健やかな成長がようやく民たちへと発表されたのだ。王都・朝歌の広場では、国から振る舞われた酒や牛の肉を、民衆が美味そうに飲み食いして大いに盛り上がっている。その歓声を遠くから眺めながら、私は王として、そして父親として、胸の内に確かな満足感を覚えていた。だが――その平穏な空気を破るように、背後から冷ややかな声が私を刺した。「陛下。何故、かような目出度き祝いの日に、神への生贄を捧げないのですか?」振り返ると、そこに立っていたのは商容であった。彼は我が商王朝の典楽の長であり、宮廷における神職勢力の頂点に君臨する男だ。「最近の陛下は、何かと祭祀の規模を抑えようとなされる。ご自身が天の神の声を聞く、偉大なる神官の長であられることを、もっとご自覚していただかねば困りますな」商容の目は笑っていなかった。私がゆくゆくは、この国を縛り付ける神権政治そのものから脱却しようと目論んでいることを、この老獪な男は薄々感づいているに違いないのだ。「おお、商容か。何を言うかと思えば」私は内心の冷徹さを隠し、いかにも大らかな王を演じてそれらしく笑ってみせた。「西の蛮夷をどれほど切り刻もうが、引き裂こうが、ここにいる民たちが得るものは一時の娯楽のみよ。だが、代わりに牛や羊を振る舞えば、彼らの腹もしっかりと膨れよう? 余としてはな、ただ民たちに息子の誕生を腹一杯の笑顔で祝って欲しかっただけなのだ。そこに他意はないぞ?」私の巧みな言い回しに、商容は苦虫を噛み潰したような顔をして黙り込んだ。商容は古い因習の権化ではあるが、民たちからの支持も絶大であり、今の私では無下には扱えない。彼こそが、私の進める改革の前に立ちはだかる最大にして最悪の障害。だが、彼の背負う立場を考えれば、この反発もまた仕方のないことであった。「商容よ。余に対するお前の実直な諫言、いつも頼りにしている。……だが、今は堅苦しい話は抜きにして、共に祭りを味わってくれると嬉しいぞ」これ以上、奴に言葉の刃を挟ませぬよう、私は一方的に会話を打ち切ってその場を離れた。王である私から歩み寄って言葉をかけたのだ。これで周囲の家臣たちに対しても、商容の面目は十分に立っただろう。(本当に……下らん、不自由な駆け引きだ)民の歓声に包まれた華やかな祭りの裏で、私は誰にも見せぬ深い溜息を吐きながら、独り静かに奥の執務室へと引き返していった。




