戦戈の理由
紂王伝 第122話 父(先代九侯)は死を覚悟し、次の君主として叔父を指名した。意外にも、商は父の遺骸を丁寧に送り返し、入内していた四十九名の侍女たちも無事に本国へと送り返してきた。父が死を覚悟して紂王に仕掛けたのだと、共に朝歌から帰ってきた家臣たちに聞かされた時点で、国元の家臣たちも皆、娘たちの死を覚悟していた。だからこそ商のこの寛大な対応は予想外であり、一同は胸を撫で下ろし、安堵していたのだ。――それなのに、新君主となった叔父は違った。「君主や姫が死んでいるというのに、なぜ貴様らは五体満足で帰国している? そこに忠誠の心はあるのか? 申してみよ!」叔父は帰国した娘たちを激しく詰問したのち、彼女たちを無残にも全員処刑してしまったのだ。ああ、何ということか。あの子たちは我が国の忠義心ある家臣たちの、大切な娘たちだというのに。しかもその直後、叔父はこともあろうに商に対して融和姿勢をとることを決定した。ならば、あの侍女たちの処刑は一体何のために必要だったというのだ。ただの無駄死にではないか。朝廷内、そして我ら大夫たちの間には、新君主に対するどす黒い不満と怒りが急速に溜まっていった。そんな折、私の元へ姜族の使者が極秘裏に接触してきた。「姜子牙」と名乗るその若者は、私に不敵な笑みを向けてこう囁いた。もし九国が商に対して復讐を誓い、兵を挙げるというのであれば、周囲の犬戎や龍方の動きを我らが完全に抑えてみせましょう、と。それだけではない。彼は戦力強化のためにと、軍馬二百頭を破格の安値で提供することまで申し出てくれたのだ。愚かにも叔父は、この商への復讐の提案を拒絶した。「今さら商と争って国を滅ぼす気か」と、怯え震えるばかりの腑抜けた叔父。そんな男に、九国の舵取りを任せておくわけにはいかない。私は大夫たちと共に兵を動かし、叔父を玉座から引きずり下ろして即座に幽閉した。急ぎ私が新たな君主の座に就くと、全土へ向けて「商に対して戦戈を交える」と堂々に宣言した。父と妹の無念を晴らすべく国内の兵士を総動員し、四万の兵を集めその半分の二万の精鋭を率いて朝歌への進軍を開始したのだ。道中、進軍ルート上に位置する唐国と蘇国に対しては、あらかじめ使者を派遣してこちらの意図を明確に伝えておいた。「我らはあくまでも商に対して行動するものであり、貴国に対して牙を剥く意図はない。こちらの進軍を邪魔せぬならば、お互いに不干渉で行こう」唐国からは色よい返事を得られた。しかし、蘇国から返ってきたのは、冷徹な一言であった。「我らはあくまでも商の諸侯である。そちらへ積極的に攻勢を仕掛ける真似はせぬが、商を敵に回すということがどういうことか、しかと覚悟はされよ」フン、邪魔さえせぬというのならそれで十分だ。我が九国軍は破竹の勢いで直進を続け、朝歌まであと三日の距離に迫った。――その時、前方に地平線を埋め尽くす商の漆黒の軍勢が布陣しているのが見えた。その数、およそ三万から五万といったところか。決戦を前に、私たちは古来からの慣例に則り、両軍の間で最後の会談を行うことにした。互いに二十名ほどの供回りのみを連れ、中間地帯に設けられた天幕の席に着く。対面に座る商の王――帝辛を正面から見据えた瞬間、全身の肌が粟立つような凄まじい圧力を感じた。だが、私は新君主としての意地を張り、その威圧感を撥ね退けて声を張り上げた。「側室となった我が妹・傅華の不義を理由に父を朝歌へと呼び出しながら、その途上で妹が自殺したなどというおぞましい知らせを届け、さらに会談を申し入れた父を無残に殺害した! ――紂王、この場を借りてその理由を説明してもらおうか。私を、九国の皆を納得させるに足る、正当なる理由をな!」実の父と妹を立て立て続けに奪われた怒りをぶつける私を、紂王は冷徹極まる眼光で見つめ返し、重々しい地響きのような声で反論を突きつけてきた。「傅華は自殺した。我が国から無罪放免で返した四十九名の侍女たちから、事の顛末はすでに報告を受けておろう? ――さらに私は、最愛の娘を亡くした先代九侯に対して哀悼の意を示し、正式に謝罪をした。そればかりか、領地や権益の破格の譲歩までも提示したのだ。だが九侯は、まるで最初から予定を組んでいたかのように家臣たちに外で暴動を起こさせ、その一瞬の隙を突いて私へ背後から襲いかかってきたのだ。……そちらの方こそ、王を謀殺せんとしたその大逆の不実を、私に説明されよ」紂王の口から語られた言葉は、私が国元で家臣たちから聞かされていた「商の卑劣な罠」という大義名分とは、あまりにもかけ離れた事実であった。確かにその通りなのだろう。しかし、ここで引けば我が九国の誇りは完全に地に落ちる。私は拒み、憎悪を込めて言い返した。「ふん……ならば聞こう。西の伯たる姫昌殿を幽閉し、その解放を願い出た伯邑考殿を無残に殺害した理由をな! ――傷を負った我らもまた、同じように朝歌へ呼び出されたのだ。それが商の仕掛けた罠でなかったという証明を、一体どこで立てるというのだ!」そうだ。周の悲劇という前例がある以上、父が最悪の事態を想定し、王の首を狙って覚悟を決めたのは当然の選択だったのだ。さあ、どう反論する、帝辛――!私が勝ち誇った目で睨み据えた、その瞬間。紂王の傍らに控えていた悪来という巨漢の家臣から、周囲の空気が一瞬で凍りつくような、とてつもない圧迫感が放たれた。(く、来るか……っ!?)襲撃を警戒し、私を護衛する大夫たちが一斉に身構える。だが、その一触即発の緊迫を破ったのは、他でもない紂王の低く冷え切った一言だった。「よせ、悪来」主君の静止を受け、悪来は殺気を孕んだ目を伏せて一歩退いた。紂王は私を見据えたまま、地獄の底から響くような声音で冷酷な宣告を突きつけてきた。「九侯よ。――お前が誰に唆されてこの場に及んだかは知らん。だが、その言葉の代償は、高くつくぞ」「……っ」「その覚悟だけは、すでに出来ているようだな。――話は終わりだ。後は戦場で、互いの戈を交えるのみ」紂王はそれだけを告げると、私の反論を待つことなく一方的に席を立ち、漆黒の外套を翻して自軍の陣へと戻っていった。「上等だ、帝辛……!」あの傲慢な暴君め、自ら前線へとしゃしゃり出てきたことを、その身を以て後悔させてやる。私もまた激しい闘志を燃やしながら立ち上がり、自陣へと引き返した。名門たる我が九国の武、決して甘く見るなよ。




