逆撫
紂王伝 第119話 朝歌を目指して進軍を続ける九国の二万の大軍は、脇目も振らずに真っ直ぐこちらへ向かって突き進んでいた。その進軍ルートの近くに位置する蘇国から、至急の知らせが届く。「九国軍が接近中。我が国はどう対応すべきでしょうか。自国の防衛のみに専念するならば一万の兵を動員できますが、もし王朝へ援軍を派遣せよとの仰せならば、五千の兵を出撃させられます」とのことだった。私は即座に、「自国の防衛に努めよ」と蘇国へ命じた。もし万が一、九国軍から攻撃を受けたならば、すぐさま近隣の邢の都市と都の朝歌へ急報せよ。両方の都市から、直ちに一万ずつ、計二万の援軍が派遣される手筈をすでに整えてある、と書き添えて通達を返した。蘇国には目もくれず、このまま九国軍が直進してきたならば、いよいよあと五日もすれば、朝歌手前に広がる広大な平原へと到達するだろう。そこが、今回の会戦の場所だ。大軍を率いての泥縄の急行軍などしたくはない。陣形を完璧に整えて敵を迎え撃つためには、遅くとも明日か明後日には、私も朝歌の軍勢を率いて出陣しなければならなかった。――だが、出陣を目前にして、私の前には大きな壁が立ち塞がっていた。親征を渋る宰相の比干叔父上、難色を示す軍部の責任者たち、切実に私の身を案じる親衛隊の悪来。彼らを一人残らず説き伏せねば、大軍は動かせない。それどころか、箕子叔父上や、あの微子までもが、もっともらしい道理を並べ立てて私の出陣を止めにかかりおるのだ。「――よろしいですか、陛下。己の『武勇』を誇る者は兵士。巧みな『戦術』を誇る者は将。そして、大局の『戦略』を誇る者こそが王にございます。王が自ら前線で血を流すなど、あってはなりませぬ」耳元で繰り返されるその高説に、私は激しいイライラを募らせていた。何を偉そうに。兵士だ、将だ、王だと、私を枠に嵌めようとするな。かつて、我が商王朝の偉大なる始祖・湯王様も、中興の祖たる武丁様も、国難の折には自ら過酷な前線へと赴き、全軍の指揮を執られた。では、あの方々はただの兵士だったのか? それとも単なる将だったのか?――違う。あの方々は、紛れもない至高の『王』だった。安全な王宮の奥に引きこもるのではなく、泥に塗れ、将兵たちと共に戦場で血と汗を流す。だからこそ、王が下す命は兵たちの魂を震わせ、全軍からの絶対的な支持と忠誠を得られるのだ。正論なのは認めるが、現場に出ずして何がわかるものか。……いや、それだけではない。西伯の嫡男・伯邑考の変死から始まり、新妃・傅華の不敬劇と不気味な自殺、そして先代九侯による私への暗殺未遂。立て続けに巻き起こる陰惨で理不尽な事件の連鎖に、私自身の心は限界まで逆撫でされ、苛立っていた。私の中に蓄積したそのどす黒い不満と怒りは、いまや限界まで膨れ上がり、あの向かってくる九国の軍勢を跡形もなく叩き潰して、すべてを吐き出したいという猛烈な破壊衝動へと姿を変えつつあった。本人は、己が八つ当たりを欲しているというその歪んだ飢えに、まだ微塵も気づいてはいなかったが――。私は並み居る重臣たちの反対の声をその圧倒的な眼光でねじ伏せると、内に秘めた凶暴な渇きを隠したまま、出陣の号令を下すべく朝廷の壇上へと一歩を踏み出すのだった。




