疑念
紂王伝 第113話 傅華の死亡報告を受けて、朝歌へと向かっていた九国の使節団のうち、およそ半数が国許へと引き返したという。九侯から遣わされた使者の説明によれば、引き返した者たちは九国使節団の中でも商に対して強硬な姿勢を取り、今回の件を激しく追及しようと息巻いていた主戦派の家臣たちである、とのことだった。さらに九侯の使者は、この度の悲劇を商との決定的な決別や全面戦争へと発展させないために、平和的な措置としての直接会談を望む、という九侯の真意を伝えてきた。(――ああ、助かった……)説明を聞き終えた私は、胸の内で大きく安堵の息を漏らした。もし九侯が娘の死に狂い、国を挙げての報復戦争を仕掛けてくるようであれば、この中原は再び血の海に沈むところだった。だが、九侯が冷静に大局を見極め、平和的な解決を望んでくれていると分かった。それならば、王たる私も彼の痛みに全力で応えねばならない。私は一刻も早くこの九侯の意向を比干叔父上や箕子叔父上へと伝え、商側の受け入れ方針を定めた。私は九侯に対して、傅華を死に追いやった商王朝側の管理責任を全面的に認める。そのうえで、彼への賠償として領地や権益の大幅な譲歩を行い、国賓に対するものとしては破格の、多大なる下賜品の数々を用意することを決断した。この私の意向を受け、二人の叔父上はすぐさま朝廷の重鎮たちへの徹底的な根回しへと動いてくれた。最高権力者である私と、宰相たる比干、箕子の両名が完全に一致して下した決定だ。事前にこの方針が隅々まで行き渡った朝議の場においては、当然ながら誰一人として異を唱える者などおらず、議論は極めて円滑に、非の打ち所のない平和的な解決へと向けてまとまっていった。もう五日もすれば、九侯の使節団がこの朝歌へと到着する。それまでに、彼を最大限の礼を以て迎えるための会談の準備を急いで調えなければならない。王としての政務は一気に多忙を極めていった。しかし――激しい事務作業の手を止めるたび、私の胸にはどうしても拭い去れない『疑問』が首をもたげるのだった。なぜ、傅華は自殺などという最悪の選択をしてしまったのだろうか。王后の風も、そしてあれほど仲の良かった妲己も、彼女の屋敷へ何度も足を運んで「陛下に処刑するつもりなど毛頭ない」という私の本心を伝えてくれていたはずだ。命が助かると分かっていながら、なぜ。(……何かがおかしい。一体、彼女の謹慎中の屋敷のなかで、何が起きていたというのだ)すべてが不気味なほどに順調に進む朝廷の裏側で、私は目に見えない不穏な闇の気配を感じながら、迫り来る九侯との対面に向けて、ひたすらに木簡へ筆を走らせ続けるのだった。




