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辺境で理想のリゾート地を創り上げます ~婚約破棄された令嬢の、穏やかな再出発~  作者: キョウキョウ
第一章 婚約破棄と辺境への旅立ち

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第05話 緑に佇む屋敷

 その屋敷は、緑の中にひっそりと佇んでいた。


 王都の邸宅と比べれば、ずっと小さい。けれど、木造の壁が太陽の光をやわらかく受け止め、屋根の傾きや窓の配置までもが、周囲の森と山に身を寄せるように調和していた。屋敷は自然に対して構えていなかった。ただ、その一部であろうとしているように見えた。


 玄関の前には、屋敷の使用人たちが整列していた。緊張した様子で、エリザベスを出迎える。


 少し離れた木立のあたりには、領地の人々が様子をうかがうように集まっていた。男も女も、若い者も年を重ねた者も、互いに肩を寄せるようにして、無言でこちらを見ている。皆、背筋を伸ばしすぎていた。手の置き場に困った指が、エプロンの端や上着の裾を、知らずに握りしめていた。


 「どんな令嬢が来られるのか」と、誰かが囁いたような空気があった。それは、誰かの声というよりは、場の空気そのものに刻まれた緊張の雰囲気だった。


 厳しい令嬢なのか、無茶を言われはしないか。口には出されないその問いが、固く強張った表情の端々から、静かに滲み出ていた。


 エリザベスは、馬車から降り立った時のままの静けさで、屋敷の使用人たちの前に立った。


 声に張りはなかった。夜会の夜から続く精神的な疲労と長旅の疲れが、まだ身体の奥に残っていた。それでも、姿勢を崩すことはなく、視線も逸らさなかった。


 一人ひとりの顔に、ゆっくりと目を向ける。


「しばらく、お世話になります。よろしくお願いします」


 短く、丁寧に、それだけを告げた。


 その一言で、彼らの方から、ふっと力が抜けるのが分かった。最初に表情を緩めたのは、列の端に立っていた若い使用人だった。次に、隣の年配の女性が小さく息をついた。木立の方から、「優しそうな方で、良かった……」と、誰かの呟きが風に乗って届いた。


 使用人たちの列から、一人の年配の男が、進み出た。


 背筋を伸ばし、両手を脇に揃えた、礼儀正しい立ち姿だった。長年この土地を守ってきた誇りが、その姿勢の中に確かに刻まれていた。けれど、目元には、隠しきれない緊張も残っていた。


「領地の管理を任されております、マーティンと申します」


 短く、しかし真摯な声だった。


 エリザベスは、彼の方へ静かに歩み寄った。


「マーティン。お世話になります」


 穏やかに告げて、軽く微笑む。それから、少しだけ声のトーンを落として、続けた。


「この土地の景色を、とても気に入りました。だからこそ、もっと知りたいのです。少しずつ、色々なことを教えてくださいね」


「は、はい!」


 声が、わずかに上ずっていた。自分の守ってきた土地に関心を寄せられたことが、嬉しかったのかもしれない。背筋は伸ばしたままだったが、肩に残っていた強張りが、ふっとほどけた。彼は深く頭を下げた。多くを語らず、ただ「お任せくださいませ」とだけ、低く返した。


 その後、バルタザールに促され、屋敷の中を案内してもらった。広い邸宅ではなく、見て回るのに長くはかからなかった。


 廊下の床は丁寧に磨かれ、灯のかかった壁には、季節の野花が小さな器に活けてあった。誰かが、今日のために手を入れてくれたのだろう。決して華美ではなかったけれど、心づくしの気配が、いたるところに残っていた。


 用意されていた、エリザベスの自室。その部屋の窓辺に立つと、森の緑の向こうに、遠い山並みと湖の一部が見えた。額縁に収めた絵のように、夕方の光に染まっていた。窓のすぐ下では、小さな庭園の花が、風に揺れていた。手入れの行き届いた、けれど、決して仰々しくない庭だった。


「素敵な部屋。ありがとう、とても気に入ったわ」


 エリザベスが短く呟くと、案内してくれた使用人の頬が、ほっと緩んだ。深く一礼して、彼女は静かに部屋を辞していった。


 日が、少しずつ傾き始めていた。


 夕食は、屋敷の食堂で出された。


 窓から差し込む光は、もうオレンジ色を帯びていた。テーブルの上には、地元の食材で作られた、素朴な料理が並んでいた。川で獲れた魚を、軽い塩と香草でだけ焼いたもの。甘みのある新鮮な野菜。焼きたてのパン。料理の品数は決して多くなかった。けれど、どれも、丁寧に整えられていた。


 厨房の方から、料理担当の使用人たちが、不安そうにこちらを見ているのが分かった。


 エリザベスは、フォークを取り、まず川魚を一口、ゆっくりと味わった。脂の少ない、けれど旨みの深い身が、舌の上でほどけていく。


「美味しい」


 短く、それだけを告げた。


 厨房の方から、誰かが大きく息を吐く音が、確かに聞こえた。料理担当者の顔が、満足そうにほぐれていくのが、見なくても伝わってきた。バルタザールが、少し離れた壁際に控えながら、ほんのわずかに目元を緩めている。


 パンも、野菜も、一口ずつゆっくりと味わった。素朴な味だった。けれど、その素朴さの中に、土の力と、作り手の真心が、確かに息づいていた。


 食事を終える頃には、空がオレンジから紫へと色を変え始めていた。


 エリザベスは、広間にある窓辺に立った。そこから見える景色を、飽きずに眺めていた。


 あるいは、庭に出てもよかったのかもしれない。けれど、ガラスのこちら側からでも、空の色の移ろいは、十分に届いてきた。山々のシルエットが、暗色に沈んでいく。湖の水面が、夕日を受けて、金色に輝いている。風が、木々の梢を、ゆっくりと撫でていた。


 バルタザールは、少し離れた位置に控えていた。声をかけてはこなかった。ただ、見守るためにそこにいる、その頼もしい気配が、エリザベスの背中にあった。


 夜会の夜から、ずっと身体の中に張り付いていた疲労が、夕方の光の中で、少しずつ薄れていくのが分かった。完全に消えてしまったわけではなかった。けれど、その輪郭が、確かに柔らかくなっていた。


 屋敷の使用人たちの安心した表情。マーティンの誇りを込めた立ち姿。料理担当者の安堵の息。窓辺の絵のような景色。一つひとつは、声に出して喜ぶほどのものではなかった。けれど、それらが今日一日の中で重なって、エリザベスの心を温めていた。


(ここでなら、ゆっくりと休めそう)


 胸の中で、そう思えた。


(明日からは無理をせず、ゆっくり過ごそう)


 空の色が、もう一段、深くなった。


 ふと、思った。


(この景色を、もっと心地よく楽しめる場所にできたら素敵かもしれない)


 それは、何かを決意したわけではない。将来を見据えて立てた計画でもなかった。ただ、夕焼けを眺めているうちに胸の奥のどこかから、自然と浮かび上がってきた、ふとした思いだった。


 暮らしの中で、もし手を入れたほうが心地よいと感じるものがあれば、その時に、その分だけ。慌てなくていい。一気でなくていい。日々の手触りに沿って、少しずつ。それだけのことだった。


 風が、わずかに冷たくなってきた。バルタザールが、静かに歩み寄ってきた。


「お部屋に、戻られますか」


 エリザベスは、振り向いて頷いた。


 自室に戻ると、すでに灯がともされていた。


 メイドが手早く寝支度を整えてくれる。過剰な言葉も、過剰な気遣いもなく、ただ丁寧に。一人になると、エリザベスは窓辺に近づき、夜の景色をひととき見つめた。


 王都の夜の音とは、まるで違っていた。


 虫の音が、低くいくつも重なっている。木々の梢を風が撫でる音が、その合間に静かに通り抜けていく。


 寝台に身を横たえる。


 枕に頬が触れた瞬間、意識がゆっくりと解けていった。


 その夜、エリザベスは王都を出てから初めて、深く眠ることができた。

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