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辺境で理想のリゾート地を創り上げます ~婚約破棄された令嬢の、穏やかな再出発~  作者: キョウキョウ
第五章 王国規模のリゾート開発と幸福な未来

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第37話 君の力を貸してほしい ※ルシアン視点

 石畳を踏む馬車の音、立ち並ぶ尖塔に、整然と区切られた街区。隅々まで人の手が行き届いた、洗練された景色。けれど、辺境の地で胸いっぱいに吸い込んだ、森林の匂いや湖の美しい景色、ゆるやかに流れる時間は、ここにはない。


 帰ってきたのだと、ルシアンは思った。視察を無事に終え、学んだ知識を携えて。


 ルシアンは持ち帰った資料を整理する。書き留めた覚書に、図面の写し、心に刻みつけた光景の数々。それらを順序立てて整理しながら、報告の言葉を頭の中で何度も組み立て直す。


 これを無事に報告できるか。仕事の要として大事な部分。失敗はできない。緊張が、胸の奥にあった。けれど、それに押しつぶされたりすることはない。


 伝えたいことがある。だから、緊張ばかりしていられない。


 かつての自分なら、こんな感覚は持てなかっただろう。何を為しても役には立たぬと、ただ失敗を犯さないように、問題から逃れようとしていた頃の自分。だが今は、得た知識を、しっかりと言葉にして届けたい。任された仕事をちゃんと成し遂げたいと、素直にそう思えた。


 ルシアンは整えた資料を手に取り、立ち上がった。父王たちの待つ場所へ。



***



 謁見の間には、父王アルベリクが上座に座し、その傍らには兄王太子セドリック、彼らの他にも数名の王族や重臣が居並んでいた。


 ルシアンは一礼し、口を開いた。


「ローズフェル領で見てまいりましたことを、ご報告いたします」


 出した声は、思いのほか落ち着いていた。


 彼は語った。湖畔に築かれた湯治の館のこと、訪れる者を癒す温かなもてなしのこと、辺境の地が人を呼び、賑わいを生み、領そのものを豊かにしていく様を。誰かの受け売りではない。自分の目で見て、肌で感じ、心を動かされたことを、自分の言葉で。


「あの地には、人を惹きつける力がございました。美しい景観、心を解きほぐす静けさ、そして何より、訪れた者を労わろうとする確かな志が」


 報告を続けるルシアンには、ひとつの確信があった。あの場所で得たもの。荒んだ心がほどけ、再び前を向けたという、あの実感が言葉の一つひとつに力を与え、聞く者を惹き込んでいった。


「これは一つの領にとどまる話ではないと、私は考えます。人が集い、土地が潤い、文化として根を張っていく。その萌芽を、私はあの地に見てまいりました」


 報告を終えると、間に、しばしの沈黙が続いた。それは、ルシアンの報告内容を各々が冷静に吟味する時間。


 やがて、父王が頷いた。


「よく報告してくれた。お前の言葉には、確かな手応えがある」


 その声には、威厳とともに隠しきれない温かさが滲んでいた。


「机上の数字ではなく、自らの足で確かめてきた者の言葉だ。よくぞ、それだけのものを持ち帰った」


 兄セドリックも、口元に笑みを浮かべて言った。


「見違えたな、ルシアン。お前がこれほど雄弁に語る姿を見るのは、初めてかもしれない」


 からかうような響きの奥に、弟の働きを喜ぶ色が、確かにあった。


 ルシアンは、黙って頭を下げた。


 胸の奥が、じんわりと熱を持っていく。けれど、舞い上がりはしなかった。ただ、ゆっくりと噛みしめていた。


 王国の発展に貢献する力なんて自分にはない。そう諦めて、息を潜めていた頃が、つい先ごろのことのように思える。その自分が今、王家の前で、確かに評価されている。


 これほど確かな手応えを得ることなど、これまでの彼の人生には、ほとんどなかった。だからこそ、その実感をルシアンは深く味わっていた。



***



 けれど、父王の言葉は、そこで終わらなかった。


「ルシアン」


「はい」


 名を呼ばれ、ルシアンは返事をしながら顔を上げた。視線が交差する。


「お前が持ち帰ったもの、机上に眠らせておくには惜しい。その知識を活かしてみるつもりはないか」


 その言葉の意味を、ルシアンが計りかねていると、父王は静かに続けた。


「王家の領地にて、かの地に倣ったリゾートを興すのだ。王家が主導し、観光政策として国に根づかせる。お前の見てきた成果を、現実の事業として形にせよ」


 謁見の間の空気が張りつめた。


 それが王命であると、ルシアンは理解した。


 王家領でのリゾート開発。王家主導の観光政策。視察の成果を、国家の事業として結実させること。それはこの上ない栄誉だった。そして同時に——かつて心に抱いていた願いが、いよいよ現実の形を取ろうとする、その瞬間でもあった。


 リゾートの文化を、王国の各地へ広げたい。それが、自分の使命ではないか。あの地で芽生えた、確かな志。それが今、王命という、思いもよらぬ大きさで、目の前に差し出されている。


 けれど。


 同時にルシアンの中で、冷静な判断も働いていた。これは慎重に考えねばならないことだ、と。


 王家領での開発。王家主導の事業。国家の未来にも関わる計画。


 それは、辺境の一領地とは規模が違う。動く人も、金も、背負う責任も、比べものにならない。


 自分に、務まるのだろうか。


 本当に、成功させられるのか。期待をかけられ、評価された、その勢いのままに頷いて、もし、何ひとつ形にできなかったとしたら。


 不安が、確かに胸をかすめた。



***



 けれどルシアンは、その場で止まることはなかった。


 以前の自分なら、どうしていただろう。


 きっと、目を伏せていた。自分には無理だと、できない理由を並べて、その大役からそっと身を引いていた。波風を立てず、責任を負わずに済む場所へ。失敗して、何かを失うくらいなら、最初から挑むべきではないと。


 けれど、もう、あの頃の自分ではなかった。


 ルシアンの脳裏に、いくつかの光景が浮かんだ。


 心を癒してくれた、あの湖の景色。沈んでいた自分を、何も言わずに掬い上げてくれた、穏やかな時間。そして——傷を負いながらも立ち上がり、何もなかった土地に理想を形にしていった、一人の尊敬できる女性の姿。


 婚約を破棄され、辺境で療養が必要なほど消耗していた彼女。でも、彼女はいつまでもうつむいていなかった。顔を上げて、自らの足で立ち、一から築き上げた。その姿が、どれほど自分を勇気づけたか。


 不安は消えなかった。きれいに拭い去られたわけではない。胸の奥には、確かにそれが残っている。


 それでも、ルシアンは思った。


 逃げたくない。やってみたい。やり遂げたい。


 諦めて立ち止まっていた自分は、もういない。不安を抱えたままでも、前へは進める。むしろ、不安があるからこそ慎重に、誠実に事を運べるのかもしれない。


 ルシアンは、深く息を吸い、父王の目を見て答えた。


「王家領でのリゾート開発。謹んで、お受けいたします」


 声に迷いはなかった。



***



 その決意は、勢いに任せたものとは違う。


 謁見の間を辞し、再び一室に戻ったルシアンは卓の上に広げた資料を前に、冷静に考えを巡らせていた。


 受けると決めた。だが、自分一人の力で突き進めば、どうなるか。


 答えは明らかだった。


 失敗する。おそらくは無残に。


 志があれば事が成るわけではない。あの辺境のリゾートが形になったのは、確かな知識と、幾多の経験と、現場を回す手腕があってこそだ。自分には、そこまでの実力はないだろう。視察で学びはしたが、見てきたことと自ら興すことの間には、深い隔たりがある。


 この事業には、経験豊富な専門家が要る。実際にリゾートを築き、それが噂になり、土地を潤わせた、本物の知見を持つ者が。


 その答えは、ルシアンの中で、すでに一つに定まっていた。


 エリザベス・ローズフェル。


 ほかに、いるはずもなかった。すべては彼女から始まったことだ。何もない辺境を、貴族の集う地へと変えてみせた彼女以上の専門家など、どこにもいない。


 彼女を頼ろう。それは、ルシアンの冷静な、最も理にかなった判断だった。


 一人で抱え込んで潰れるより、最も信頼できる者の手を借りて、事を成す。それは逃避ではない。責任を引き受けた上での賢明な選択だ。為すべきことを為すために、必要な力を借りねばならない。


 助けを求めたいと、心から思える相手がいる。それはむしろ幸運なことだった。


 ルシアンはペンを取った。エリザベスへ正式に協力を要請するために。その文面を、一字ずつ丁寧に綴り始めた。



***



 返事は、ルシアンの予想を、はるかに超える早さで届いた。


 いや、返事ではなかった。


 手紙を送ってから数日後。応接室へ向かうと、そこに、エリザベス本人が立っていたのだ。


「エリザベス殿……っ」


 つい先日、別れたばかりだった。また訪れてもよいかと、彼女が穏やかに告げた、あの別れから、そんなに時間は経っていない。それなのに、こうして取るものも取りあえず、王都まで駆けつけてくれたのだ。


 申し訳なさが、込み上げた。


 領の務めも、山ほどあるだろうに。それを放り出させるように呼びつけて、長旅の負担まで背負わせてしまった。


「すまない。別れたばかりだというのに、こちらの都合で呼び立ててしまって。さぞ、無理をさせただろう」


 ルシアンが詫びると、エリザベスは首を横に振った。そして、ふわりと優しく微笑んだ。


「いいえ、ルシアン殿下。どうか、お気になさらないでください」


 張りのある、けれど柔らかな声だった。


「殿下からお声をかけていただけたこと、むしろ光栄に思っております。私の知るものが、お役に立てるのでしたら……これほど嬉しいことはございません」


 王族への礼を、彼女は少しも崩さなかった。それでいて、その言葉の一つひとつには、心からの真心が宿っていた。義理でも、世辞でもない。本当に、力になりたいと願ってくれているのだと、ルシアンには彼女の真意が真っ直ぐに伝わってきた。


 その瞬間、胸のつかえがほどけていった。代わりに広がったのは、温かな何か。


 彼女が来てくれた。ただ、それだけのことで、こんなにも心が軽くなる。重く構えていた肩から、ふと力が抜けていくのを、ルシアンは感じていた。


 不思議だった。一人で向き合っていたときには大きく見えた不安が、彼女がそこにいるというだけで、ずいぶん小さくなったように思えるのだ。


「ありがとう」


 ルシアンは、そう告げてから、改めて姿勢を正した。


「王家領で、ローズフェルに倣ったリゾートを興すことになった。王家が主導して、観光を国の政として根づかせる——そういう話だ。正直に言えば、私一人では、とても背負いきれない」


 ルシアンは、まっすぐにエリザベスを見つめた。


「だからぜひ、君の力を貸してほしい。君の知識と経験が、どうしても必要なんだ。共に、この事業を成してくれないだろうか」


 エリザベスは、ほんの一瞬だけ目を見開いた。力になれるのかと問うような色が、その面差しをよぎる。けれど、すぐに彼女は、瞳に決意の光を灯して、深く頷いた。


「謹んで、お引き受けいたします。微力ながら、全力を尽くさせていただきます」


 こうして、王家領のリゾート開発は、二人の名のもとに正式に動き出した。


 逃げずに挑むと決めた王子と、心から力を貸そうとしてくれる女性。二人が並んで、この大きなものへ踏み出していく。


 窓の外には、王都の空が広がっていた。


 その下で新たな挑戦が今、幕を開けようとしていた。

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