第34話 どこで間違えたのか ※アレクシス視点
処分が言い渡されたのは、エリザベスを取り戻すことに失敗して、王都から戻って来て、いくらも経たぬ頃だった。
届いた書面には、罪状が淡々と連ねられていた。王族への不敬。ローズフェル侯爵家に対する無礼。再三の要求を無視して、謝罪を拒み続けたこと。リゾート地開発の失敗によって、領地に大きな損害を出してしまったこと。その他にも、数々の問題が隙間なく書き並べられていた。
それらすべてによって、アレクシスは罰せられた。
その結果、公爵位は剥奪された。ヴァルモント公爵家は解体され、男爵位だけが辛うじて残された。資産の大半は没収され、行使できる権限は見る影もなく削られていく。
本来であれば、もっと重い処分もあり得たという。男爵位が残されたのは、ひとえに温情であると、そう告げられた。
だが、屈辱だった。
なんで私が。
その思いだけが、胸の内で行き場もなく渦を巻いた。書面を握る指が、震えている。公爵家の当主代理として、采配を振るってきた自分が、今や、ひとりの男爵に成り下がる。輝かしい未来が待っていたはずなのに、何もかも、音もなく崩れていく。
病に伏せる父のもとへ、処分の次第を報告に行った。
家のことは、とうにアレクシスが握っていた。父が床に就いて以来、当主代理として采配を振るい、いつしか、爵位はもう自分のものだという気でいた。父も、それを咎めはしなかった。好きにしろ。療養の床からそう言ったきり、目まぐるしく移ろう家の有り様を、ただ、なされるままにしていた。
その父は、公爵家の解体を聞いても、声を荒らげなかった。怒りも、嘆きもない。そうか、とひと言だけ呟いて、あとはもう、何の興味もない様子で目を閉じた。
咎めるでもなく、ただ、呆れ果てて言葉をなくしたような横顔だった。好きにしろと、すべてを委ねたあの時、まさか、ここまで何もかも失う日が来るとは、思ってもいなかったのだろう。
なんで、こうなってしまったのか。
理解が、追いつかなかった。なぜ、ここまで。次期当主として確約されていた地位を、財を、権力を、手にしていたはずのもの。それが、気づけば、指の間からこぼれ落ちている。
頭のどこかが、現実を頑なに拒んでいた。これは何かの間違いではないのか、と。
***
だけど書面はそこにあり、現実は覆らなかった。
ヴァルモント家が男爵家へと成り下がると、家臣たちは、潮が引くように去っていった。残ろうとする者は、ただの一人もいなかった。長く仕えた侍女の多くも、暇を願い出て、屋敷を後にした。
引き止めることは出来ない。傾いた家に報いるものなど、何ひとつ残っていない。
わずかに残った資産から、なけなしの金を割いて最低限の人手だけを雇い入れた。どうにか、日々の暮らしだけは立ち行くように。それが、今のアレクシスにできる精一杯だった。
ヴァルモント家を、かつての姿に立て直す。そんなことは、もはや望むべくもない。先に見えるのは、塗り潰したような暗がりばかりだった。
力を失った男爵として、切り詰めた暮らしを送るうちに、アレクシスは、ようやく過去を振り返り始めた。これまで、ただの一度もしなかったことだった。
どこで間違えたのか。
思い出すのは、断片ばかりだった。エリザベスとの、婚約の破棄。あの女を手放した日。ロザリンドとの、新たな婚約。辺境を真似て始めた、あのリゾート開発。そして、かの地で、自分の前に立ちはだかった、あの男。
ひとつひとつが、脈絡もなく、頭の中を流れていく。
どこで間違ってしまったのか。私は間違ったのか。どうにかすることは出来なかったのか。何もわからない。
考えれば考えるほど、靄が深くなるばかりだった。どの選択が、誤りだったのか。どこで、道を違えたのか。確かな答えは、どこにも見つからない。
あの頃、自分は、すべてが順調だと信じていた。正しい判断を重ね、当然の成功へと向かっているのだと、疑いもしなかった。それが、いつの間にか、こうなっていた。坂を転げ落ちるように、というのとも違う。気づいたときには、足元に何ひとつ残っていなかった。
もし、と、ふいに思う。
もし、あの時、違う選択をしていたら。
もし、エリザベスを手放さなければ。もっと、あの女の話を聞いていれば。あるいは……周りの者が、何か言っていた気もする。煩わしいと撥ねつけ、耳を貸さなかった、いくつもの言葉。あれを、聞き入れていれば。
何かが、違っていたのかもしれない。
だが、それも、ぼんやりとした影でしかなかった。何を聞くべきだったのか。何が、正しい選択だったのか。今となっては、それすら、判然としない。自分が悪かったのかもしれない、という思いが、初めて胸をかすめる。けれど、その正体を、掴むことができない。
何が正解だったのか、わからない。
ただ失ったことだけが、わかる。
地位も、家も、財も。そして、あの女も。すべてが、もう、手元にはない。それだけが、ただ確かなことだった。
***
時は、流れていった。
静かに縮んでいく暮らしの中で、それでも噂だけは、アレクシスの耳にも届いてきた。
辺境の地で生まれた、リゾートという新しい文化。それが、王都にまで広がりつつあること。次々と生み出される新たな成功。その中心に立つ者の名を、社交界の誰もが、賞賛とともに口にしていること。
エリザベス・ローズフェル。
かつて自分が手放した、あの女が。
噂によれば彼女は今や、王族と手を結んでいるのだという。王家の後ろ盾を得て、栄光を積み重ねていく。リゾート文化を生み出したという功績と、その後の目覚ましい活躍によって、彼女は、もはや手の届かないところへ行ってしまった。
アレクシスは、その噂を呆然と聞いた。
彼女の横に立っていたのは、私のはずなのに!
ありもしない未来を思い描き、それを失ったかのような喪失感。苦いものが喉元にせり上がった。本来なら、あの場所にいたのは、自分だったはずだ。あの称賛を浴びるのは私だったはずだ。彼女の成功を隣で分かち合うのは、ほかの誰でもない、自分だったのだ。
それが、どうだ。
今の自分には、何もない。地位も、名も、誇りも。隣に立つべき相手は遥かな高みへと昇っていき、置き去りにされた自分は、ただ、その輝きを遠くから見上げているだけ。
あの女を引き取ってやろうと考えた。妾として手元に置き、生涯をかけて、責めを負わせるのだと。寛大にも居場所を与えてやるのだと、そう信じて疑わなかった。
あの確信が、今思えば滑稽でしかない。手の届かなくなったのは向こうではない。自分のほうだった。
失ったものの大きさが今になって、はっきりと形を持って重く迫ってきた。
***
追い打ちは、思わぬ方向から訪れた。
ロザリンドの、本当の姿が明るみに出たのだ。
家が傾き、思うように金を使えなくなってみて、ようやく見えてきたものがあった。彼女の底の見えない浪費。見栄のためだけに、惜しげもなく金を費やす癖。
何ごとも、自分の都合を最優先にする、振る舞いの数々。そして、そもそも彼女が自分に近づいてきたのは、公爵家の財と地位を、目当てにしてのことだったらしい、ということ。
その浅ましさを今さら思い知り、アレクシスは後悔ばかりが募った。
なぜ私は、よりにもよって、あんな女を選んでしまったのか。
なぜ、気づかなかったのか。あれほど近くにいながら、その本性のひとつも見抜けなかった。唯一、自分を解する者だと、信じて疑わなかった。そんな盲信が今、こうして自分に跳ね返ってくる。
否応なく、もうひとりの女のことが思い起こされた。
婚約相手だった、エリザベスのことが。
今さらながら思い知る。あの女が、どれほど物事をよく見ていたか。気づかぬうちに、自分がどれだけ支えられていたか。彼女がいた頃に受け取っていた多くのものを自ら手放したのだと。
惜しいことをした、と、心の底から思う。
何もかもが、間違っていた。
だが、どこで間違えたのかをアレクシスは最後まで、わからないままだった。
***
エリザベスは、なおも未来を切り開き続けているという。
王族と手を取り合いながら新たな地を拓き、成功を重ねた彼女の名は、年を追うごとに、王国の隅々へと広がっていく。もはや、辺境の一令嬢ではない。王国の繁栄を担う、まばゆいばかりの存在だった。
力を失ってしまった私は、もう二度と取り戻せない栄光を、ただ眺めているしかなかった。
男爵として、細々と生きていく。失った地位は戻らない。一度損なった信用も、取り戻せはしない。手を伸ばしても届くものなど、もう何ひとつなかった。
窓の外には、変わらぬ空が広がっている。あの日、馬車で辺境へ向かったときに見上げた、あの澄んだ空と、何も変わらない。変わってしまったのは、自分のほうだけだった。
残されたのは後悔だけだった。
もし。あの時——。
その問いを、何度繰り返しても、答えは出ない。ただ、胸の奥が、鈍く痛むばかりだった。間違いだらけの人生に、アレクシスは、死ぬまで後悔し続ける。どこで間違えたのかも、ついにわからないまま。
そして、その後悔は、生涯消えることがなかった。
遥か遠く手の届かぬ高みで、ひとりの女が信頼できる人々とともに、まっすぐ前を歩いていく。婚約を破棄され、辺境に追いやられて、それでも一から立ち上がった人。もう、過去に縛られることのない人。
その背中を、力を失った愚かな男が、ただ見送っていた。
過去との決着は、ついた。
物語はもう、彼を置き去りにして——エリザベスと、ルシアンの未来へと、進んでいく。




