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辺境で理想のリゾート地を創り上げます ~婚約破棄された令嬢の、穏やかな再出発~  作者: キョウキョウ
第四章 嫉妬と自爆

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第33話 部外者ではないよ ※ルシアン視点

 アレクシスの吐き捨てるような言葉に、ルシアンは特に何も感じなかった。投げつけられた罵りそのものは、彼の心を波立たせはしない。理に詰まり、思いどおりにならぬ苛立ちを、手近な相手にぶつけているだけのこと。


 そういう類いの言葉にいちいち傷つくほど、ルシアンは弱くもなければ、暇でもなかった。


 ただ。


 今のは、聞き流していい言葉ではなかった。


 個人の感情として、許す許さないの話ではない。投げつけられたのが、王族その人であった以上、それは王国の秩序に関わる。たった今この男は、王族に対して、公然と無礼を働いた。不敬罪の要件は、満たされてしまっている。


 引き返す機会は、あったはずだった。先ほど穏やかにたしなめた時点で、この男が一言詫びていれば、すべては何事もなく済んでいた。けれど彼は自ら言葉を重ねて、越えてはならない一線を踏み越えた。


 ならば、見過ごすわけにはいかなかった。


 ここには、守りたい人がいる。


 ルシアンは、ひとつ息を整え、口を開いた。


「部外者ではないよ」


 声を荒らげはしない。ただ、はっきりと、相手の目を見て告げた。


「私は、ヴェルデニア王国の王子、ルシアン・ヴェルデニアだ」


 アレクシスの顔から、表情が抜け落ちた。


「……なに?」


 吐き捨てかけた言葉の続きが、行き場を失ったように宙に浮く。王子、という一語を、頭の中で何度も転がしているのだろう。その目が、忙しなく揺れていた。


 ルシアンは、相手が呑み込むのを待ってから、続けた。


「王位継承順位が低いので、知らないのも無理はないだろう。だが、それでも君は、許されないことをしてしまった」


 責めるでも、嘲るでもない。ただ、起きてしまった事実を、そのまま告げる。


 いつもの自分なら、あまりしないことだった。身分を明かし、それを盾に人を退かせる。そんな振る舞いを、ルシアンは避けてきた。


 けれど、今この瞬間だけは、躊躇いはなかった。


 この地は、エリザベスが築いたものだ。傷を負った者を癒し、立ち直る力を取り戻させる、争いの似合わない穏やかな場所。沈んでいた自分を、何も言わずに掬い上げてくれた、大切な土地。


 その彼女を、この男は傷つけようとしている。


 ならば、振りかざせばいい。自分が持っているものが、彼女を守る助けになるのなら。



***



「な、なぜ……」


 ルシアンの言葉で、ようやく事態を理解したらしい。アレクシスの声は、掠れていた。自らの失態に気づいて、慌てているのだろう。


「なぜ王子が、こんな場所に?」


 その問いには、答えてやる義理もなかったが、ルシアンは穏やかに応じた。隠すことでも、もったいぶることでもない。


「ローズフェル家の取り組みを視察するために訪れていたんだよ。それを、君が邪魔した」


 言葉を継ぎながら、ルシアンは事の次第を、ひとつずつ確かめるように並べていった。感情を込める必要はない。事実だけで、十分だった。


「予定も取り付けていないのに、やって来たそうだね。それだけでなく、この土地を預かっているエリザベスを呼びつけて、愚かな要求を突きつけていたようだが」


 約束もなく押しかけ、業務を妨げ、威圧で人を従わせようとした。女性に対して、高圧的に振る舞った。そして、王族に向かって暴言を吐いた。


 どれひとつをとっても、看過できるものではない。声を荒らげる必要も、糾弾する必要もない。事実を並べていけば、それだけで彼の立つ瀬は、もうどこにもなかった。


「……」


 アレクシスは、何も言い返さなかった。いや、言い返せなかったのだろう。口を開きかけては閉じ、また開きかけては、言葉を失う。反論の糸口を探して、見つけられずにいる。その沈黙こそが、何よりの答えだった。


 ルシアンは、その様子を見つめていた。


 こうして人前に立ち、身分を明かして、責任をもって相手を諭す。そんなことに、かつての自分は、とても自信が持てなかっただろう。失敗を恐れ、波風を立てぬよう、ただ息を潜めて生きていた頃の自分なら。


 けれど、今は違った。


 不安がないわけではない。完全に立ち直ったわけでもない。それでも、為すべきときに、王族として為すべきことを為す。その重みを、今は、きちんと両肩で受け止められている。


 この土地が、自分にそれを思い出させてくれた。沈んでいた心に、もう一度、前を向く力を戻してくれた。


 ならば、その力を、こういうときにこそ使うべきだ。



***



 ルシアンは、最後の言葉を告げた。


「君に、そんな権力はない。大人しく帰り給え」


 エリザベスを引き取る権利も、彼女に何かを命じる資格も、この男にはない。意のままに人を従わせる力など、誰にも与えられてはいないのだ。


 その一言が、応接室の空気を断ち切った。


 アレクシスは、なおも何かを言おうとするように見えた。けれど、その口から、声が出てくることはなかった。彼が振りかざしてきたものが——公爵家の当主代理という肩書きの威光が、本物の王族を前にして、音もなく崩れ落ちていく。その様が、ルシアンの目には、はっきりと映った。


 長い、沈黙があった。


 やがてアレクシスは、ゆっくりと腰を上げた。


 一度だけ、その視線がエリザベスの方へと向けられた。何か言いたげに、けれど言葉にはならない。恨めしげな色が、その目の奥に滲んでいるように見えた。それも一瞬のことだった。


 結局、彼は何も言わなかった。


 捨て台詞のひとつもなく、抗弁の一言もなく。ただ、唇を引き結んだまま、踵を返し、応接室の扉から出ていった。


 遠ざかっていく足音を、ルシアンは聞いていた。


 この男の暴走は、ようやく止まった。もう、彼女を脅かすことはできない。



***



 扉が閉まり、応接室に本来の静けさが戻ってくる。


 ルシアンが、ふっと息をついたそのとき、エリザベスが彼の前へと歩み出てきた。


 そして——地面についてしまいそうなほど、深く頭を下げた。


「ルシアン殿下。本当に、申し訳ありませんでした!」


 張りつめた声だった。自分の過去に、王族を巻き込んでしまった。その負い目が、低く下げられた頭の角度に、痛いほど表れていた。


「頭を上げて」


 ルシアンは、慌てて言った。


「君が気にすることじゃないさ」


 謝られるようなことは、何ひとつない。むしろ、頭を下げるべきは、割って入った自分の方ではないかとさえ思う。余計な気苦労を背負わせてしまった。


 ルシアンは、エリザベスに深く恩を感じていた。


 重い足取りでこの地を訪れた自分を、彼女は、何も言わずに癒してくれた。沈んでいた心を解きほぐし、もう一度前を向くきっかけを、そっと差し出してくれた。見返りを求めるでもなく、ただ、当たり前のように。


 そのとき、心に誓ったのだ。この恩は、いつか必ず返そうと。彼女が何かを必要とするときが来たなら、今度は自分が助ける側に回りたいと。


 それが、こんなにも早く巡ってきた。


 だから、嬉しかった。彼女の助けになれたのなら、それ以上のことはない。これで恩を返しきれたとは思わない。けれど、その一歩を踏み出せたことが、今は素直に嬉しかった。


「悪いのは、あちらの方だ。君の対応は何も間違っていない」


 ルシアンはもう一度、穏やかに繰り返した。


「だから、気にしないでほしい。本当に、君が詫びることなど何ひとつないのだから」


 顔を上げた彼女の表情から、強張りがわずかにほどけていくのが見えた。



***



 この件を、ここで終わらせるつもりはない。


 アレクシスは去った。だが、彼が為したことは、消えてなくなるわけではない。王族への不敬。ローズフェル侯爵家の令嬢に対する、目に余る無礼。この地への無断の来訪と、引き起こした騒ぎ。


 そして——何よりも。


 公爵家の当主代理という立場にありながら、その振る舞いはあまりに拙く、領地の事業を、大きな損害とともに傾けてしまったと聞く。実は、すでに調査済みだった。ヴァルモント公爵家の取り組みは大失敗。私的な暴走に留まらず、公の責任を問われるべき失政が明らかになった。


 それらすべてに対して、相応の罰が、突きつけられなければならない。


 恨みを晴らすためでも、痛めつけて溜飲を下げるためでもない。ただ、正当な責任を取らせるため。乱された秩序を、あるべき形に戻すため。個人の感情ではなく、王族として、国家として、見過ごすわけにはいかないからだ。


 その場で叩きのめすことはしない。怒りに任せて、すべてを終わらせてしまうのではなく、然るべき手続きに委ねる。それが、王族としての責任の取り方だった。


 アレクシスにも、責任を取ってもらう。当主代理とはいえ、実権を握っているのは彼なのだから。



***



 ルシアンは改めて、エリザベスへと目を向けた。


 彼女を守れて、よかった。


 心の底から、そう思えた。あの日、胸の内で交わした誓いを、今日、行動として果たせた。受けた恩を、ようやく少しだけ、返すことができたのだ。満ちてくるのは、勝利の高揚などではない。もっと穏やかで、満ち足りた何かだった。


 婚約を破棄され、辺境へ移ることになり、それでもこの地で、一から立ち上がった尊い女性。誰かを信じ、誰かに必要とされ、自分の足で立つ日々を、彼女はもう取り戻している。


 彼女はもう、過去に囚われてはいない。


 その横顔を見つめながら、ルシアンは、まだ終わっていない責任を胸の奥で見据えていた。


 王都へ送られる報告書。すでに明らかになった失政の数々を、正式な裁定の場へと運ぶ流れ。そして、これから始まっていくであろう処分の手続き。


 これからアレクシスは、大変なことになるだろう。


 けれど、それは、彼自身が選び取った道の果てにあるものだ。誰かに嵌められたわけでも、理不尽に貶められたわけでもない。積み上げてきた無礼と慢心が、自らの足元を崩しただけのこと。


 ルシアンは、窓の外へ目をやった。


 穏やかな光がこの地を、変わらず明るく照らしている。


 守るべきものを守れた。前を向き始めた自分に、それができた。


 それで十分だった。

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