第30話 立派でした ※アレクシス視点
「は?」
届いた報告書に目を落として、アレクシスは戸惑いの声を漏らした。あまりに唐突で、その内容を呑み込むのに、しばらく時間がかかった。
工事責任者からの書面を開いて、アレクシスは初め、何かの間違いではないかと思った。記されていたのは、工事が遅れているということ。
当初の予定から大幅な変更が生じ、資材も人手も足りず、追加の予算が必要だということ。このままでは、予定どおりの完成は難しいということ。
読み間違いではないか。手にした報告書を、彼はもう一度、初めから読み直した。
作業が遅れている。追加の予算が必要。予定日までの完成は難しい。何度目を走らせても、書かれていることは変わらなかった。
「くそっ」
漏れ出た怒りの声に、控えていた家臣たちが身をすくめた。
前回の報告では順調だと、確かにそう聞かされていたはずだ。それが、何がどうなって、こんな急に問題が噴き出すというのだ。
机の隅には、これまで積み上がってきた報告書の束がある。順調。問題なし。予定どおり。そう告げてきた紙が、幾枚も重なっている。それが、ここへ来て、これだ。
家臣に問いただしても、返ってくるのは知らぬ存ぜぬの一点張りだった。現地の責任者の落ち度であって、自分たちに非はない。そう言い訳を並べるばかりだった。
埒が明かない。
冷たいものが、腹の底からせり上がってきた。
なぜ今になって、こんな話が出てくるのか。これまで、何ひとつ問題はないと言い続けてきたではないか。順調だと、自分はそう聞いていた。それを信じて、任せてきた。なのに、完成を目前にして、今さら遅れているという。追加の予算がいるという。
話が違うだろう。
アレクシスは、書面を机に置いた。叩きつけはしなかった。喚き散らしたところで、何も変わりはしない。込み上げる苛立ちを抑えつけ、冷えていく心地のなかで、彼は状況を整理した。
自分は、正しく指示したはずだ。何をどう進めるか、必要なものはすべて与えた。場所も、予算も、人員も。当主代理として、するべきことはした。それでなお遅れが出ているというのなら、原因は指示にあるのではない。
現場だ。
与えられたものを、与えられたとおりに動かせなかった現場の落ち度だろう。順調だと報告しておきながら、その実、滞らせていた。しかも、それを隠していた。できると言ったことが、できなかった。隠しきれなくなってから打ち明けてくるだなんて。
責任の所在は、明らかだった。
アレクシスは家臣に、工事の責任者を更迭するよう命じた。なぜそこまで遅れたのか、どこに無理があったのか、問いただしはしなかった。順調だと偽り、計画を狂わせた。それだけで、更迭する理由としては十分だった。
失態を犯した者を、いつまでも同じ場所に据えておくわけにはいかない。失敗した責任を負うべき者に負わせる。それが筋というものだ。
責任者を替えても、遅れそのものが消えるわけではなかった。問題は、まだそこに残っていた。
なんとかしなければならない。
***
アレクシスは追加で資金を投入し、リゾート地の完成を急がせた。
公爵家の資産から、さらに資金を投じることを決めた。足りないというのならば、足せばいい。人手が要るというのなら、雇えばいい。元手なら、いくらでもあった。ヴァルモント家の財をもってすれば、できないことなど、何ひとつないはずだった。とにかく今は、予定の日までに完成させればいい。
ロザリンドが社交界でヴァルモント家の新たなリゾート地について触れて回った手前、いまさら遅れは許されなかった。
新たに据えた責任者へ、アレクシスは強く命じた。とにかく、予定の日に間に合わせろ。何をしてもいい、必ず完成させろ。急げ、と。
アレクシスの号令を受けて、現場は慌ただしく動き続けた。日の出から日の入りまで、労働者たちは休む間もなく働かされた。
にわかにかき集められた職人たちは、互いの段取りも飲み込めぬまま槌を振るい、整えるべき手順は幾つも飛ばされていった。本来なら据えるべき労働者の数も、慎重に進めるための時間も、足りてはいなかった。とにかく完成させろ。その号令だけが、現場を急き立てていた。
そんな現場を、アレクシスが自分の目で見ることはなかった。
彼が見ていたのは、日を追うごとに「進んでいる」と告げてくる報告だけだった。資金は投じた。号令もかけた。あとは、形になるのを待てばいい。そう思っていた。
そうして、せかされるままに工事は無理やり前へと押し進められていった。
やがて、完成予定の日が来た。
***
ヴァルモント家の領地に造られたリゾート地は、予定の日になんとか完成を見た。
報せを受けて足を運んだアレクシスは、目の前に整った建物を眺め、ひとつ、満足の息をついた。
なかなか見事なものだ。
白い石を組んだ外観は堂々として、見栄えがする。庭も整えられ、調度の一つひとつも贅を凝らしてある。遠目にも、近くで見ても、なるほど公爵家の事業にふさわしい構えだった。これだけのものを、よくぞ期日までに仕上げたものだ。
やはり、自分の判断は正しかった。
アレクシスは、そう己に言い聞かせた。途中、少々の問題はあった。遅れも出た。だが、自分はそれを、金と号令で乗り切ってみせた。代理の身であることは不満だが、当主代理として、難局をきちんと裁いたのだ。
ひとたび権限を握れば、こうして事は成る。多少のつまずきなど、結局は些細なことだったのだ。
豪華に整った施設を前に、一瞬崩れかけた彼の確信は、すっかり元どおりに戻っていた。あとは、これを貴族たちに披露するだけだ。
***
お披露目の日。アレクシスは、関わりの深い貴族たちを、完成したリゾート地へと招いた。
初の試みの営業を兼ねた、内輪のお披露目だった。これだけのリゾート地だから、招かれた者は皆、目を瞠るに違いない。アレクシスは、期待に胸を膨らませながら、貴族の客人たちを迎えた。
もっとも、当日の運びは、彼の思い描いたとおりにはいかなかった。
到着した客を案内する人手が足りず、玄関で待たされる者が出た。食事の席では、料理がなかなか運ばれてこない。ようやく出てきたものも、段取りの悪さが透けて見え、味のほうも、これといって心に残るものではなかった。
アレクシスは、そんな事態を深刻には受け止めなかった。
初日の混乱だ。些細なことだ。受け入れを始めたばかりなら、こうした行き違いの一つや二つ、あって当たり前だろう。そう思って、彼は大らかに構えていた。
***
招かれた貴族たちの受けた印象は、主人のそれとは、ずいぶんと隔たっていた。
広間の隅で、扇の陰に、低い声が交わされた。
「……立派ね。でも、それだけだわ」
金をかけたのは伝わる。けれど、それだけだった。
この土地に来たという心地が、どこにもない。あの辺境の地を訪れたとき、誰もが感じた、あの癒やし。そこでしか味わえぬという、あの特別な手応え。土地の風物を活かした料理も、景色に溶け込むもてなしも、ここには何ひとつなかった。
地元の食材を使うでもなく、外の景観を活かすでもない。これではまるで、王都にいくらでもある高級な宿を、そっくりそのまま地方へ移し替えただけではないか。
話題になっていたものの、外側だけを真似たにすぎない。そう感じた者は、一人や二人ではなかった。立派な建物を建て、贅を凝らせば、同じものになると思ったのだろう。けれど、人を惹きつけていたのは、そんなところではなかった。肝心の中身を、何ひとつ考えていなかった。
あちらは、また訪れたいと思わせる場所だった。こちらは、二度と来たくないと思わせる場所だ。
もっとも、それを口に出す者はいなかった。公爵代理の催しである。その失望は、皆、扇の陰へとしまい込まれた。客人たちは、礼儀正しく微笑み、当たり障りのない言葉だけを、控えめに口にした。
***
お披露目は滞りなく終わった。少なくとも、アレクシスの目にはそう映っていた。
彼は、客人たちの率直な感想を、ぜひとも聞いてみたいと思った。
そこで食事会の席で、アレクシスは、招いた貴族たちに水を向けた。
いかがでしたか。忌憚のないご意見を、ぜひ聞かせてほしい。
返ってきたのは、こんな言葉だった。
「立派でした」
「ええ、たいそう立派なリゾート地で」
「今後が楽しみですな」
「これは、可能性がありますね」
貴族たちは、口々にそう言って、杯を傾けた。
アレクシスは、満足げにうなずきながら、その言葉を受け止めた。だが、胸の隅に、ごく小さな引っかかりが残った。
立派でした。今後が楽しみ。可能性がある。――どれも悪い言葉ではない。けれど、どこか物足りない。彼が思い描いていたのは、もっと熱のこもった称賛だった。これは素晴らしい、ぜひまた来たい、と。具体的に何がよかったと、身を乗り出して語ってくれるような。そういう手応えが、なぜか返ってこなかった。
だが、とアレクシスは即座に思い直した。
まだ、リゾート地は完成したばかりではないか。今日はいわば、試みの営業のようなものだ。人手も運びも、これから慣らしていけばいい。一つずつ良くしていけば、評判は、おのずと後からついてくる。
称賛が控えめなのも、まだ多くの者の目に触れていないからだろう。そのうち話が広まれば、貴族たちも我先にと押し寄せ、口を極めて褒めそやすに違いない。今はまだ、その手前にいるだけのことだ。
そう考えれば、何も案ずることはなかった。わだかまりは、すぐに溶けて消えた。
そのうち、ヴァルモント家は評判を得る。そう信じて、アレクシスはその夜を終えた。
お披露目のあと、彼が待ち構えていた称賛は、いつまでたっても訪れなかった。
***
アレクシスは、その後も幾度となく、貴族たちへ招きの手紙を送った。
あれだけの施設だ。一度足を運んだ者は、また来たいと思うだろう。よい評判が、その者からまた次の者へと伝わっていくだろう。そうして訪問者は増え、いずれ我がリゾート地は、貴族たちで賑わうはず。投じた資金も、やがて回収できるはずだった。
ところが。
一度訪れた貴族たちは、二度と、その地を踏まなかった。送った招きの手紙に、色よい返事はほとんどなく、あれこれと理由をつけて、やんわりと断られた。施設は、いつ訪れても、ひっそりと静まり返っていた。
王都でも、ヴァルモント家による新たなリゾート地が、噂に上ることはなかった。社交の場でも、誰一人、進んで話題にしようとはしなかった。それどころか、その話に触れること自体を、貴族たちはそれとなく避けているようにさえ、彼には感じられた。
なぜだ。
執務机の前で、アレクシスは不審に思い、初めてはっきりと疑問に向き合った。
なぜ、誰も来てくれない。なぜ、評判にならない。あれほど豪華な施設を建てて、これだけの資金を注ぎ込んだのだ。計画は、何ひとつ間違ってはいない。成功して、当然のはずなのだ。なのに貴族は来ず、話題にもならない。
アレクシスの胸の奥に、これまで覚えたことのない、冷たい不安がよぎった。
何かが、おかしい。
彼は、その原因を探そうとした。どこかに間違いがあったはずだ。何かが、うまくいかなかったはず。それは、一体どこにあるのか。
けれど、その疑いの視線は自分自身へは向かなかった。
自分の判断は正しかった。指示も、采配も、誤ってはいない。資金も惜しまず投じた。ならば原因は、自分の外側にあるはずだった。
誰かが、しくじったのだ。
その考えは、彼のなかで、もはや疑いようのない事実になっていた。自分が与えたものを、正しく形にできなかった誰かがいる。任せた仕事を、まっとうできなかった誰かがいる。そいつが、すべてを台無しにしたのだ。
自分ではない。他の誰かが失敗した。果たすべき役割を、果たさなかった者がいる。その責任を、追及しなければならない。




