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辺境で理想のリゾート地を創り上げます ~婚約破棄された令嬢の、穏やかな再出発~  作者: キョウキョウ
第三章 王子との出会いと成長

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第26話 うつむいた日を知る者 ※ルシアン視点

 案内役を務めてくれるエリザベスと並んで歩きながら、ルシアンは、彼女の説明に聞き入っていた。


 エリザベス・ローズフェルの言葉は、とてもわかりやすい。どこに何を造り、なぜそうしたのか。土地のどの利点を活かし、訪れる者に何を感じてほしいのか。難しい言葉は使わず、それでいて要点が、すっと頭に入ってくる。聞いているだけで、この土地の輪郭が把握できた。


 聡明な人だと思う。


 知識をひけらかすのでも、相手を煙に巻くのでもない。聞く者に分かってほしいという気持ちが、言葉の選び方の隅々にまで行き渡っている。だからこそ、聞いていて心地よい。


 そして、案内されるほどにルシアンは驚かされていた。


 ここは辺境のはずだった。王都から遠く離れた、人の気配も薄い土地。そう思って来た。だというのに、目の前にあるものは、その先入観をことごとく覆していく。


 湖畔に佇む建物は、決して華美ではない。だが、隅々まで意匠が行き届いている。柱の一本、窓の配置のひとつにいたるまで、訪れる者の目に景色がどう映るかを計算し尽くしているのがわかった。木々の間に伸びる小径も、休らうための東屋も、そこにあるべくしてある。土地そのものと溶け合っている。


 これは確かに、貴族たちの間で噂になるのも理解できる。


 王都で耳にした評判を、ルシアンは半ば、誇張だろうと思っていた。辺境の小領地が、貴族の足を運ばせるほどの場所をつくった——そんな話が、本当にあるものかと疑う気持ちがあった。だが、自分の目で見た今は素直にうなずける。誇張ではない。


 単に気の重い仕事のはずだった。


 粗相なく視察を終え、情報を持って王都へ帰る。それだけを念じて来た。だというのに、知らぬ間にルシアンは引き込まれていた。義務として見ているのではなく、もっと見てみたいと思っている。失っていたはずの前向きな気持ちを、ほんの少し取り戻せたような気がした。


 そんな自分の変化に、ルシアン自身が戸惑っていた。


 説明に聞き入っていたルシアンに、エリザベスが、ふと口をつぐんだ。何か言おうか迷うように、わずかに言いよどむ。それから、ためらいを振り切るように思いがけないことを尋ねてきた。



***



「差し出がましいかもしれませんが、もしかして、お疲れではございませんか?」


 不意の問いだった。


 ルシアンは、一瞬、何を言われたのかわからなかった。施設の話をしていたはずだ。それが急に、自分のことに向けられて一瞬、思考が追いつかない。


「ん? いや、そんなことはないが。そう見えるかな?」


 軽く受け流したつもりだった。言ってしまってから、内心が、かすかに波立った。


 疲れている、と彼女の目に映ったのだとしたら。それは、いったいどういうことだろう。視察の道のりで体が疲れた、という話ではないと思う。彼女が見ているのは、もっと別のもの。自分でも、隠しているつもりだった何かだ。


 ルシアンは、人前で気を緩めることに慣れていない。王族として、いつでも穏やかに、波風を立てぬように。沈んだ心の内を、誰かに気取られたことなど、なかったはずだった。


 それを、出会ったばかりの彼女に見抜かれたのだとしたら。落ち着かない心地がする。


 でも、不思議と嫌な気はしなかった。


 むしろ……と、ルシアンは心の中で、その感覚をそっと確かめた。心配してくれている。ただ、それだけのことが、どこか凍えていた気持ちを温めてくれた。


 父や兄たちが案じてくれているのは感じていた。だが、彼らはあえて距離を取っていた。腫れ物扱いというわけではない。自分の力で立ち直るのを、信じて見守ってくれていたのだろう。その思いはありがたかった。


 だからこそ、こんなふうに踏み込まれたのは久しぶりかもしれない。


 王族として、頭を下げられることは多い。敬意を向けられ、丁重に扱われることにも理解している。けれど、あれはどれも、ルシアン・ヴェルデニアという肩書きに向けられたものだ。そうではなく、ただ目の前にいる一人の人間として、疲れていないかと案じられる。


 悪い気はしない。むしろ、慣れないぶん、こそばゆいような心地よさがあった。


 ルシアンが、そう見えるかな、と返したきり黙っていると、エリザベスは少し迷うように目を伏せた。それから、意を決したように、自分のことを語り始めた。



***



「実は私も、少し前にひどく落ち込んでいた時期がありまして」


 彼女の声は、静かだった。


「恐れ多いことですが、ルシアン様の様子を見ていると、なんだか、その時の自分と同じような気がして……」


 少し前に。その言葉で思い当たることがあった。


 彼女の言葉に、ルシアンの記憶が、ひとつの情報を手繰り寄せた。この地へ発つ前に耳にしていた、先ほども脳裏によぎった、例の婚約破棄の件。


 彼女が王都の夜会で、大勢の貴族が見守る中、公衆の面前で婚約を破棄された。そういう出来事だ。


 そんな話の当事者が彼女である。苦しい思いをしたのだろう。


 だから、彼女は落ち込んでいたのだ。「少し前に」というのは、きっと、その頃のことを指している。傷つき、王都から離れて辺境のこの地へ来た。今、こうしておだやかに微笑みながら土地を案内している彼女の内側にも、心がすり減るほど疲れていた時期があったのだろう。


 自分と同じように、自信を失った出来事。ルシアンの胸の内に、静かな何かが広がった。


 彼女も、同じように、心をすり減らした者だったのだ。


 そして今、その時期を乗り越えたらしい彼女が、自分を見て、かつての自分と同じだと感じ、案じてくれている。


 ルシアンの沈黙を、別の意味に受け取ったのだろう。エリザベスは、はっと我に返ったように、慌てて頭を下げた。


「申し訳ございません! 出過ぎた真似をしてしまいました」


 その慌てぶりに、ルシアンは思わず問題ないと伝える。


 踏み込みすぎたと、本気で悔いている。気遣ってくれたこと自体が、もう十分すぎるほどありがたいというのに。


「いや、大丈夫だ。謝らなくていい」


 穏やかに、首を振る。咎める気持ちなど欠片もなかった。



***



 それよりも、と、ルシアンは続けた。


 口をついて出た問いだった。


「君は、その時、どうやって落ち込んだ気分を上向きにしたのかな?」


 言葉にしてから、自分でも、なぜそんなことを尋ねたのか、はっきりとは分からなかった。気遣ってくれた相手への、ただの会話のつもりだった。話の流れで、ごく自然に出た問い。そのはずだった。


 けれど、口にした後で、胸の奥が、ほんの少し張り詰めているのに気づいた。


 自分も変わりたい。そのために答えを、知りたいと思っている。


 どうやって立ち直ったのか。沈みきった心をどうやって、もう一度動かしたのか。それを問う自分の声に、切実なものが混じっていた。なぜ、と問い返す前に、エリザベスが、淡く微笑んだ。


「この土地が、癒してくれたんです」


 その言葉は、まっすぐだった。


「私も、心がすっかり疲れてしまって、休むように言われてここへ来ました。急に失って、これからどうすればいいのか、わからないままで」


 彼女は、湖の方へ、ゆるやかに目を向けた。


「でも、この土地の風や、水の音や、朝の光に触れているうちに、少しずつ、心がほどけていったんです。誰かに励まされたわけでも、無理に元気を出そうとしたわけでもなくて。ただ、この場所で過ごしているうちに」


 その横顔に、嘘や飾りは、なかった。


「だから、思ったんです。同じように疲れてしまった人に、ここで心から休んでもらえたら、と。私が癒されたこの場所を、必要としている人に、届けたい。それが、この土地をつくっている、いちばんの理由なんです」


 ルシアンは、彼女の言葉を聞いて理解する。


 今まで感心していた、この施設の完成度。隅々まで行き届いた意匠も、訪れる者の心を計算し尽くした造りも——その裏に、こんなにも深い思いが流れていたのか。


 これは、成果を求めた事業ではない。


 誰かを救いたいという、一人の人間の願いが、形になったものだ。彼女自身が救われたからこそ、同じ痛みを抱えた誰かを、救おうとしている。だから、これほどまでに、人の心に寄り添った場所になっている。


 外側の見事さの理由が腑に落ちた。


 そして、その言葉は、ルシアンの心に深く沁みた。


 うつむいていた者が、この土地に癒された。沈んでいた心が、ここで、もう一度動き出した。


 ならば、自分も——。


 そこまで思って、ルシアンはその先を胸の内へと押し戻した。いや、と。そう簡単な話ではない。自分の抱えているものが、美しい光景や自然だけで癒えるようなものだとは、思えない。


 それでも。


 言葉にならない、淡い期待のようなものが、静かに芽吹き始めていた。長いあいだ凪いでいた場所が、また、わずかに揺れ始めていた。


 ルシアンが言葉もなく聞き入っていると、エリザベスが柔らかく微笑みながら、こう切り出した。



***



「せっかくなので、体験してみますか?」


 ルシアンは、顔を上げた。


「体験……?」


「はい。ルシアン様は、これまでずっと、視察する側として、この土地をご覧になっていました。けれど、ここは本来、訪れた方に、休んでいただくための場所です。少しだけ、その立場から、過ごしてみるのはいかがでしょう」


 そう言われて、ルシアンの中に、ひとつの好奇心が芽生えた。


 この土地が癒してくれたという彼女の言葉を聞いた後だからこそ、なおさらだった。その癒しを、ただ解説として聞くのではなく、自分の身で体験して確かめてみたい。彼女を立ち直らせたものが、いったいどういう効果をもたらすのか、この目で、この体で、実感したい。


「……そうだな。ぜひ、頼みたい」


「かしこまりました」


 エリザベスは、ほっとしたように、けれど嬉しそうに頭を下げた。


「それでは、今度はお客様として、ご案内いたしますね」


 その声に導かれて、ルシアンは湖畔の方へと歩き出す。


 同じ疲れを知る者が、もう一人を、そっと導いていく。彼女が救われたこの土地で、自分の凍りついた何かが、ほどけることはあるのだろうか。まだ、分からない。けれど、確かめてみたいと今は思える。


 澄んだ水面に、午後の光が静かに揺れていた。

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