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辺境で理想のリゾート地を創り上げます ~婚約破棄された令嬢の、穏やかな再出発~  作者: キョウキョウ
第三章 王子との出会いと成長

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第24話 自信を失った王子 ※ルシアン視点

 馬車は、ゆっくりと揺れていた。


 ルシアン・ヴェルデニアは、窓の外を見るともなく眺めていた。流れていく景色は見覚えのない田畑から、やがて低い丘陵へと変わっていった。王都を出てから、もうずいぶん経つ。進むほどに建物はまばらになり、人の気配は遠ざかり、空ばかりが広くなっていった。


 王都から遠ざかるたびに、気持ちは少しずつ沈んでいく。


 なぜ、自分なんかに任せたのだろうか。


 その問いは、出立してから幾度となく浮かんでは沈んでいた。話題の辺境を視察せよ、という任を、こんな自分が果たせる気がしなかった。調査し、学んで、情報をまとめる。その作業が、ちゃんと自分にできるのか。間違いを起こすのではないか。


 王族として生まれた身でありながら、ルシアンには、自分がその役目にふさわしいと思える根拠がなかった。


 膝の上で、手を軽く組み直す。


 視察したところで、何ができるのだろうか。そこで何かを学び、確かなものとして持ち帰ることが、はたして自分にできるのか。自信がなかった。


 窓の外では、厚い雲が陽を鈍く覆い、景色から色を奪っていた。


 昔は、こんなふうではなかった気がする。けれど、その「昔」が、今の自分からはひどく遠い。馬車の振動に身を委ねながら、ルシアンの思いは、自然と、こうなる前の自分へと遡っていった。



***



 幼い頃からルシアンは、王家の一員であることの意味を、よく考える子どもだった。


 王位継承の順位は、低い。それは生まれたときから定まっていたことで、不満に思ったことは一度もない。むしろ、その立場がしっくりきていた。玉座は兄のものだ。聡明で、人を惹きつける力を持つ兄が、いずれこの国を率いていく。ルシアンはそれを、心から正しいことだと思っていた。


 兄が王になる。ならば自分は、その兄を支える者でありたい。


 上を狙う気持ちなど、欠片もなかった。兄に向ける感情に、嫉妬の翳りが差したことはただの一度もない。望んでいたのは、ただ、王国の発展に貢献すること。継承の順位がどれほど低くとも、王子として生まれた自分だからこそ、できることがあるはずだと。その純粋な願いだけが、いつもルシアンの胸にあった。


 だから、帝王学を学ぶ時間が、ルシアンは嫌いではなかった。


 歴史を、統治の理を、人を率いる者の心得を、ひとつひとつ真面目に身につけていった。難しい書物に向かう夜も、退屈だとは思わなかった。いつか、この国のために、学んだことを役立てる日が来る。そう信じていたから、頁をめくる手に、おのずと力がこもった。


 将来のことを、よく思い描いた。


 兄が玉座についたとき、その傍らで、自分は何ができるだろう。煩雑な実務を引き受けることか。兄の目の届かぬところに、目を配ることか。表に立つのは兄でいい。自分は、その背を支える者であればいい。


 そう考えると、自分の人生に意味があると思えた。


 その頃のルシアンは、確かに前を向いていた。自分の足で立ち、自分にできることを探し、いつかその成果を示す日を、心待ちにしていた。


 そんな自分が、いつから前を向けなくなったのか。


 それは、ある日の、本当にちょっとした失敗から始まった。



***



 何があったのかを、ルシアンは思い返したくなかった。


 それは、大きな出来事ではなかった。誰かが深く傷ついたわけでも、取り返しのつかない事態を招いたわけでもない。後から振り返れば、ささいな、本当にささいな躓きにすぎなかった。周りの者も、気に病むことはないと言ってくれた。


 けれど、ルシアンの内側で何かがひそやかに崩れた。


 自分は、失敗した。


 その事実だけが、いつまでも胸の底に沈んで、消えなかった。失敗そのものの大きさと、自分が受けた痛みの深さとが、まるで釣り合っていない。それは分かっていた。分かっていて、なお、容易には立ち直れなかった。


 自分は、王国の発展にはなんの貢献もできないのではないか。自分が関わらない方が、王家のためになるのではないか。


 良かれと思って動いて、その結果が裏目に出るのなら。自分の判断が、王家に余計な負担をかけるのなら。初めから動かない方がいい。何もしなければ、少なくとも、新たな間違いを生むことはない。


 行動すれば、いつか大きな問題を起こしてしまうのではないか。


 小さな躓きで、これだ。もし、もっと大きなことを任されて、そこで判断を誤ったら。今度こそ取り返しのつかないことになるかもしれない。そう思うと、何かをしようとする気持ちそのものが、根元から萎えていった。


 役に立ちたい。その願いは、今も胸にある。


 けれど、自分が動けば害になるかもしれない。だから、身を引く。


 貢献したいという願いと、動けない自分。そのふたつの間で、ルシアンは音もなく引き裂かれていた。叫びたいわけでも、嘆きたいわけでもなかった。ただ、何もできないまま、日々が無気力に過ぎていく。それを、どうすることもできなかった。


 いつしかルシアンは王家の中で、目立たぬよう、波風を立てぬよう、息を潜めて過ごすようになっていた。それが、自分にできる、せめてもの務めだと思っていた。


 そんな自分のもとに、思いがけない話が下ったのは、つい先頃のことだった。



***



 彼に与えられたのは、王国中で話題となっている辺境の地を見てくる任だった。


 近頃、王国の各地で評判を集めている地があるという。辺境の領地が、人の心身を癒やす場所をつくり、王都の貴族が多数足を運んでいる。その評判は、ついに王家の耳にまで届いた。王家としても、その地を一度見ておきたい。そこから学べることがあるかもしれない。その地を見定める視察の役に、ルシアンが選ばれた。


 なぜ、自分が。


 その理由を、ルシアンは測りかねていた。けれど、王命である以上、断る術はない。


 父である王は、出立の前、ルシアンに短い言葉をかけた。多くは語らなかった。ただ、その目には、信頼の色があった。お前なら、しっかりと見てきてくれるだろう、と。兄もまた、いつもの穏やかな笑みで肩を軽く叩いてくれた。お前なら大丈夫だ、と。


 ふたりとも、本心からそう思ってくれている。それが、ルシアンには分かった。


 分かるからこそ、苦しかった。


 期待されるほど、応えられなかったときのことが、怖い。


 父も兄も、善意でルシアンを送り出してくれている。そこに、責める気持ちなど微塵もない。だからこそ、その信頼に応えられなかったときのことを思うと、胸が締めつけられた。失敗して、失望させてしまうのではないか。彼らの望む成果を上げられなかったとしたら。あのふたりの目から、信頼の色が消えてしまうのではないか。


 信頼を向けられることが、嬉しさよりも先に苦しさになる。


 いつから、こんなふうになってしまったのだろう。かつては、何かを任されることが、誇らしかったはずなのに。今は、向けられた期待の重さに、ただ身がすくむ。


 断ることはできなかった。王命であり、家族の願いである以上、引き受けるしかない。ルシアンは、その重荷を背負い、馬車に乗り込んだ。


 こうして彼は、不安を抱えたまま、ローズフェル家の所有する辺境の地へとやって来た。馬車は今、その目的地へ着こうとしている。



***



 馬車が止まると、ルシアンはひとつ息を整えてから降り立った。


 目の前に広がる光景に、思わず足が止まる。


 なだらかな丘の向こうに、湖が静かに横たわっていた。澄んだ水面が、午後の光を受けて穏やかに揺れている。風には、王都にはない、清らかな匂いが混じっていた。緑の匂い、水の匂い、土の匂い。胸の奥まで、すっと染み込んでくるようだった。


 その玄関口で、領地の人々が、整然と並んで彼を迎えていた。


 誰もが、身なりを整え、張り詰めた表情で、深く頭を垂れている。道はきれいに掃き清められ、迎えの支度には、隅々まで心が配られているのが分かった。自分ひとりのために、これほどの準備を。ルシアンの胸に、まず気後れが差した。


 自分などのために、これほど丁寧に迎えてくれるとは。


 王族として迎えられることに、ルシアンは慣れなかった。自分は、こうして恭しく頭を下げられるような人間ではない。王になることもない、継承順位の低い王子に過ぎないのに。向けられる敬意のひとつひとつが、心地よさよりも申し訳なさになって積もっていく。


 その人々の前へ、ひとりの女性が進み出た。


 エリザベス・ローズフェル。この地を治めるのはローズフェル侯爵家であり、日々の差配は別の者の手に委ねられていると聞く。彼女はその土地で、人の心身を癒やす場所を一から築き上げた、この試みの要となる人だった。


 任にあたって、その来歴は、あらかじめ耳にしていた。かつて夜会の只中で婚約を破棄され、王都を退いてこの辺境へ移った令嬢だという。その身に起きたことを思えば、ここまで土地を生まれ変わらせた行動力や手腕には、素直に頭が下がる思いだった。


 そんな彼女は緊張を秘めた面持ちながら、乱れのない所作で、王族への礼をとった。深く頭を垂れ、ほどよい間を置いてから面を上げる。視線はわずかに伏せ気味で、それでいて怯えの色はない。辺境という言葉から想像していたものとは違う、静かな品格がそこにあった。丁寧な言葉で挨拶を述べる声は落ち着いていて、聞く者の心を和ませた。


 その応対を受けるほどに、ルシアンは、かえって身の置きどころをなくした。彼女の礼が丁寧であればあるほど、それに見合わない自分が、いたたまれなくなる。


 だからルシアンは、つい口を開いていた。


「どうか、そんなにかしこまらないでください」


 言ってしまってから、自分でも少し慌てた。けれど、言葉を続けずにはいられなかった。


「私は、王位継承の順位も低く、王になることもないでしょうから。どうか、普通に話してくださると、ありがたいのです」


 それは、相手をへりくだらせたくない、という気遣いであると同時に、自分を低く見るがゆえの言葉でもあった。大した人間でもない自分にかしこまられるのは、どうにも居心地が悪い。相手を、こんな自分のために緊張させてしまうのが、忍びなかった。


 エリザベスは、その言葉を受け止めたようだった。けれど、すぐに態度を崩すことはせず、節度をもって応じた。崩していいと言われても、初対面の相手にいきなり砕けるような人ではないらしい。その慎ましさが、ルシアンにはかえって好ましく映った。


 張り詰めていた空気は、ほんの少しだけ和らいだ気がした。


 視察を始めましょう。そんな段取りの声が、どこからか聞こえてくる。ルシアンは案内されるまま、湖畔の方へと歩き出した。


 この視察を、なんとか無事に終えなければ。何かしらの成果を持ち帰り、せめて期待を裏切らぬように。気の重さも、引け目も、消えてはいない。


 歩きながらルシアンは、ふと立ち止まりそうになった。


 沈みきっていた心の表面に、何か、ごく小さなものが立った気がした。湖を渡ってくる風のせいか。それとも、先ほどの、あの落ち着いた声のせいか。波紋のように広がって、すぐに消えていった、名前のない、ちいさな何か。


 その感覚が何なのかは、まだわからない。


 ただ、長いあいだ凪いだまま動かなかった胸の奥が、ほんのわずかに揺れた。それだけのことだった。それだけのことが、ルシアンには、不思議と忘れがたく思えた。


 澄んだ水面に、午後の光が静かに散っていた。

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