第23話 王家からの来訪
季節がいくつか巡るうちに、エリザベスの取り組みの規模は、着実に大きくなっていった。
リゾート文化と呼ばれるようになったそれは、貴族たちに好意的に受け止められた。
そして彼女の手法を真似て、各地の貴族が、似たような取り組みを始めた。自領の景勝に施設を建て、客を招き、心身を休める場所を整える。そうした試みが、王国のあちこちで芽を吹いていた。
うまくいく領地もあれば、そうでない領地もあった。土地の良さに恵まれ、もてなしの心を尽くした者は、興味を持って訪れた貴族たちの足を繋ぎ止めた。けれども、ただ評判や成果だけを追い求めて、形だけをなぞった者は長くは続かなかった。
人が本当に求めているものは、表面を真似ただけでは生まれない。そのことを、各地の成否が静かに物語っていた。
それでも、どれだけ似たものが増えても、変わらないことが一つあった。
最初にそれを始めた、ローズフェル家が所有する辺境。そこは「本物」として、別格に扱われ続けた。
元祖の名は、真似が広がるほどに、かえって重みを増していく。多くの貴族が噂を聞きつけ、足を運んだ。王都で語り草となった、湖を見渡すあの景色を、自分の目で確かめたいと願って。一度ならず、幾度も通う貴族も少なくなかった。
自分の手がけたことが、王国の各地へ広がっている。エリザベスは、その実感を噛みしめた。けれど、浮ついた気持ちにはならなかった。自分のすることは何も変わらない。この土地に期待を寄せて訪れる貴族の方々を、これまでと同じように、丁寧に迎える。
その評判が、やがてこれまでとは違う場所へ届こうとしていることに、このときの彼女は、まだ気づいていなかった。
***
エリザベスのもとに、一通の手紙が届いた。
差出人は、ローズフェル侯爵家の当主である父。几帳面な筆跡は相変わらず簡潔だったが、その内容は、これまでのどの便りとも重みが違っていた。
エリザベスは文面をもう一度、初めから読み返した。
――お前の手がけた地のことが、王家の耳に届いた。そして、あの方々が、いたくご興味をお持ちになった。
その文章を読んだだけで、胸の奥が張り詰めた。
貴族社会の中で広がっていた評判が、ついに王国の中心にまで達したのだ。王都の貴族たちの口から口へと伝わった噂が、巡り巡って、王家の方々にまで届いた。その事実を、エリザベスは静かに受け止めた。
手紙の内容は続いていた。
王家は、その地を実際に検分するため、一人の王子を遣わすことを決めたという。名は、ルシアン王子。視察の日取りと、受け入れの支度を整えてほしい旨が記されていた。
王家から侯爵家へ、そして侯爵家から自分へ。家を通した正式な筋を辿って、その通達は届いていた。一通の手紙の背後に、確かな貴族社会の秩序が働いているのを、エリザベスは感じた。
自分の始めたことが、王家の耳にまで届いた。
その思いは、誇らしさよりも先に、責任の重さとなって胸に落ちた。王族を、このローズフェル家の所有する土地に迎える。粗相は、決して許されない。
エリザベスは手紙を畳み、しばらく窓の外の湖を見つめた。それから、静かに立ち上がった。すべきことは、もう決まっていた。
***
その日から、領地はこれまでにない気合に満ちた。
王族を迎えるとあっては、何一つ疎かにはできない。施設の隅々まで手を入れ、もてなしの品を吟味し、馬車の通る道の小石まで払う。バルタザールは受け入れの段取りを幾度も練り直し、マーティンは厨房で腕によりをかけた。皆がそれぞれの持ち場で、息を詰めるように支度を整えていく。
張り詰めていたのは、館の者たちだけではなかった。
領民たちもまた、王族がやって来るという報せに、誰もが沸き立っていた。自分たちの土地に、王家の方が足を運ぶ。それは、辺境に暮らす者にとって、誇らしい出来事だった。道を掃き清める手にも、花を活ける手にも、いつもより力がこもる。緊張しながらも、その顔は晴れやかだった。
エリザベスは領地を巡り、ときに指示を出しながら、皆が熱心に準備を進める様子を見て回った。
王族を迎える緊張は確かにある。けれど、領地全体が一つの方を向いて支度を進める空気の中に、彼女は手応えを覚えていた。これは、自分一人で迎えるのではない。この土地と、ここに暮らす人々と共に迎えるのだ。
かつて、衰退していくだけの未来しかないと思われていた土地が、今や王族を迎えられる場所になろうとしている。その事実が、慌ただしさの中で、じんと心に染みた。
やがて、万全の支度が整い、そして当日が訪れた。王子を乗せた馬車の隊列が、辺境のこの地へ、近づいてくる。
***
馬車が館の前に停まったとき、出迎えに並んだ者たちの間に、ぴんと張り詰めた緊張が走った。
扉が開き、一人の青年が姿を見せた。
仕立ての良い装いに身を包んではいたが、その佇まいに、威圧めいたものはなかった。むしろ、不思議と穏やかな気配を纏っていた。馬車を降りると、彼はまず、出迎えた一同をゆっくりと見渡した。
エリザベスは、王族に対する礼を尽くして、深く頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました、ルシアン殿下。このたびは、遠路はるばる、まことに恐れ入ります」
緊張で、声がわずかに硬くなるのを感じた。それでも、侯爵令嬢として身につけた作法は、彼女の所作を崩れさせなかった。過剰に縮こまるでもなく、媚びるでもない。相手の立場にふさわしい、品格ある格式をもって王子を迎える。
すると、ルシアンは丁寧に答礼を返した。
「こちらこそ、突然の訪いを受け入れてくださり、感謝します。ローズフェル嬢、でしたね。お噂は、王都でかねてより伺っておりました」
その言葉づかいは、王族のものとは思えないほど、柔らかかった。ひとつひとつの言葉を、丁寧に選んでくれている。礼儀正しく、穏やかで――エリザベスが思い描いていた王族の姿と、少しだけ違っていた。
もっと傲慢な人物を想像していた。けれど、初めて対面した王子は、どうやら、そうではないらしい。
顔を上げると、ルシアンと目が合った。彼は、出迎えた領民たちの様子に視線を巡らせ、それから少し困ったように、目元を緩めた。
***
案内を始めようとしたエリザベスに、ルシアンが声をかける。
「あの……どうか、そんなにかしこまらないでください」
どこか申し訳なさそうに、そう切り出した。
「あなた方が気を張ってくださっているのは、ありがたいのですが……正直、こうも畏まられると、こちらが落ち着かなくて」
彼は、ばつが悪そうに、軽く首の後ろに手をやった。
「私は、王子といっても、王位の継承順位はずいぶん低いのです。王になることも、おそらくないでしょう。ですから、どうか――普通に、接していただけませんか」
その言葉は、気さくで、飾り気がなかった。相手を緊張させまいとする、柔らかな心遣いがにじんでいる。
けれど。「王になることもない」と口にしたとき、その声の奥に、ほんの一瞬、別の色が過ったように思えた。穏やかな微笑みの裏に滲んだ、申し訳なさのような、諦めのような、淡い翳り。それが何なのか、エリザベスには掴みきれなかった。気のせいかもしれない。けれど、確かにそこに、何かしらの感情があった気がした。
普通に接してくれ。そう言われても、エリザベスはすぐには態度を崩せなかった。
いきなり砕けた物言いをするわけにはいかない。それは、気を使うというよりも、節度の問題だった。相手が崩していいと言ったからといって、初対面の王族に礼を欠くのは、品位に反する。社交の場で培ってきた感覚が、そう告げていた。
「お心遣い、痛み入ります」
エリザベスは、控えめに微笑んだ。
「ですが、どうかご無礼をお許しくださいませ。私にとっては、これがいちばん自然な振る舞いですので」
その答えに、ルシアンは少し驚いたように目を見開き、それから、ふっと表情を和らげた。
「……そうですか。いや、こちらこそ、無理を言いましたね」
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。崩れたわけではない。けれども、出迎えのときの硬さは、そこにはなかった。
「では、せめて、堅苦しいのは抜きにして。あなたの作り上げたこの地を、ゆっくり見せていただけますか」
「もちろんでございます。どうぞ、こちらへ」
こうして、節度を保った距離の中で、ルシアンの視察が始まった。
歩き出しながら、エリザベスは、隣を行く王子をそっと見やった。気さくで、柔らかで、けれど、どこか掴みきれない。思い描いていた王族とは、少し違う方なのかもしれない。
その小さな予感が、湖から渡る風とともに、彼女の胸をそっと過ぎていった。




