表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境で理想のリゾート地を創り上げます ~婚約破棄された令嬢の、穏やかな再出発~  作者: キョウキョウ
第二章 辺境開発とリゾート文化の誕生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/41

第21話 リゾート文化が花開く

 予定通りに馬車が道を上ってきたのは、よく晴れた秋の昼頃のことだった。


 車輪の音が湖のほとりに近づいてくるのを見届け、エリザベスは馬車を出迎える準備を進める。王都で噂が広まっているとは聞いていた。そして今日、最初の貴族を出迎えることになった。


 馬車が止まり降り立ったのは、年配の貴族の夫婦だった。仕立ての良い旅装に、隠しきれない疲れが滲んでいる。婦人の目元には、長い旅路の疲れだけではない。王都での日々の気苦労が積み重なったような、消えない翳りがあった。


「ようこそ、いらっしゃいました」


 エリザベスは気負わず、ただ穏やかに二人を迎えた。商いの客としてではなく、遠くから訪れた友人を迎えるように。


 夫婦は、興味深そうに辺りを見回していた。案内されるまま湖畔のテラスに立ち、その景色を目にした瞬間、婦人の口から小さな息が漏れた。


 遮るもののない空の下で、湖面が秋の日差しを受けて、無数の銀の鱗のように揺れている。風がハーブ園の香りを運び、遠くで水鳥が鳴いた。


「……まあ」


 それきり、婦人は言葉を失ったようだった。


「なるほど。話に聞いていた通り、素晴らしいな」


 男性の方も、感心したように景色へ見入っていた。


 二人はそれから数日を、この土地でゆったりと過ごした。朝はハーブの香る小径を連れ立って歩き、摘みたての草花の名を尋ねては、子どものように笑った。


 昼下がりには、岩の間から湧く温泉に身を沈め、湯気の向こうに広がる山並みを眺めながら、旅の疲れを癒していった。


 食堂では、湖で獲れた魚を炭火でじっくりと焼いた素朴な一皿と、庭で摘んだ香草を添えた温かな料理が供された。飾り気はないけれど、土地の恵みをそのまま味わえる食事だった。


 夜は、王都の喧騒からは考えられないほど静かな部屋で、虫の音だけを聞きながら、二人はよく眠れたという。


 日を追うごとに、夫婦の表情は和らいでいった。初日にあった目元の翳りは、いつのまにか消えて、代わりに穏やかな血色が頬に戻っていた。


「王都では、こんなにゆっくりした時間は持てません」


 ある夕暮れ、夫がぽつりとそう漏らした。その横顔には、長く忘れていたものを取り戻したような、静かな安らぎがあった。


 滞在の日々を惜しむように、彼らは帰っていった。また来る、と言い残して。


 そうした貴族たちが、一組、また一組と訪れるようになった。年若い令嬢の一行は湖畔で写生に興じ、社交に疲れた老紳士は、ただテラスの椅子に腰かけ、半日を惜しむでもなく水面を眺めて過ごした。


 誰もが、この土地に着いたときとは見違えるように、柔らかな顔つきになって帰っていく。


 エリザベスは、ただ良いものを良いままに供することだけを心がけた。


 この土地にある景色も、湖の幸も、もとからここにあったもの。それを飾らず差し出すだけで、人は満たされていくようだった。何も足さないことこそが、この土地の値打ちなのだと、訪れる人々の表情が教えてくれた。



***



 別れの朝、思いがけないことが起こった。


 帰り支度を整えた貴族の夫婦が、エリザベスの前で、そっと包みを差し出したのだ。開いてみれば、上質な絹に包まれて、見事な細工の宝飾がおさめられていた。それは、感謝の印だという。


「これはいただけません」


 エリザベスは思わず固辞しようとした。代金を求めて泊めたわけではない。ただ遊びに来てもらい、この土地を楽しんでもらえれば、それで十分だったのだ。過分な品を前にして、戸惑いばかりが先に立った。


「どうか、受け取ってちょうだい」


 婦人は穏やかに、けれど譲らぬ口調で言った。


「私たちは、本当に素晴らしい時間を過ごせた。王都のどんな宴でも得られなかったものを、ここでいただいたのです。これは、そのお礼。どうか私たちの気持ちを」


 その目に込められた感謝は、嘘のないものだった。差し出された手を押し返すことは、相手の気持ちそのものを退けることになる。エリザベスは、それ以上断ることができなかった。受け取った宝飾は、手のひらにずしりと重い。


 心付けは、客によって様々だった。ある者は壁にかける美術品を、ある者は金貨の入った小袋を、また別の者は遠い土地の珍しい品を残していった。


 誰もが、求められたからではなく、満ち足りた心の証として、自らそうしたのだ。そこには、代金を支払うような事務的な響きは少しもなく、ただ、贈る者と贈られる者のあいだに、温かな礼のやり取りだけがあった。


 この場所は、料金を請求して人を泊めるのではない。貴族に遊びに来てもらい、心から満足してもらえたなら、その気持ちが形になって返ってくる。表立って金銭の話をしないからこそ、滞在する貴族たちは気兼ねなく寛ぎ、こちらも品位を保っていられる。


 そうして渡された品々は、いつのまにか、領地に恩恵をもたらすほどの確かな資産になっていた。それは、宿で働く者たちへの支払いとなり、料理を支える食材を買う元手となり、新たな施設を建てる資金となった。


 恐縮しながら受け取った一つひとつが、こうしてこの土地に還っていく。



***



 評判が呼び寄せたのは、貴族だけではなかった。


 王都の貴人が辺境へ通っているらしい。その噂は、商人たちの耳にもいち早く届いたようだった。やがて、荷を積んだ馬車が、ひとつ、またひとつと、やって来るようになった。


 彼らが運んでくるのは、貴族の滞在を彩る上等な茶葉や菓子、仕立ての良い衣服。あるいは、領民の暮らしに役立つ日用の品々だった。貴族が集まる場所には商機がある。そう見込んで、商人たちは自らこの土地を目指してきたのだ。


 かつては、バルタザールが知り合いのツテを頼り、ようやく数人の商人をこの辺境へ招いたものだった。それが今では、誰に呼ばれるでもなく、商人の方から集まってくる。


 人が人を呼び、土地が活気づいていく。


 市の立つ広場には、これまで見たこともなかった色とりどりの品が並ぶようになった。それを目当てに、近隣の村からも人が集まってくる。商人と領民が値を交わす声、荷をほどく音、子どもらの駆け回る足音。一時期は若者が減り静まり返っていた村に、今では絶え間ない人の往来があった。


 エリザベスは、その流れを見守りながら、確かな手応えを覚えていた。土地が、自ずと動き出している。



***



 貴族が来て、商人が集まる。その流れは、やがて領地の隅々へと広がっていった。


 宿で働く者たちの手際は洗練され、日に日に良くなっていた。貴族を案内する若者の足取りには張りがあり、漁師たちは、これはと思う魚が獲れた朝には、誇らしげにそれを宿へ届けにくる。それが膳に上り、また評判を呼ぶ。


 畑も、厨房も、荷を運ぶ道も、どこもかしこも忙しなく、けれども明るい忙しさだった。働いた分だけ十分な手間賃が支払われるから、誰の手つきにも力がこもっていた。


 仕事をこなせば、現金が手に入る。手元に余裕ができれば、人は物を買い、暮らしに張りが戻る。


 この辺境では稼ぐ手立てが少なく、若者は次々と王都へ流れていった。年老いた親だけが残された家を、エリザベスはいくつも見てきた。


 今では、生まれた土地で生計を立て、ここで家庭を持ち、暮らしていける。一度は村を出た若者が戻ってきたという話も、ぽつぽつと耳に入るようになった。市の立つ日に、子どもに新しい靴を買ってやる母親の笑顔を、エリザベスは何度も目にした。


 人と物が回れば、領地の蔵もまた潤っていく。そうして生まれた余りは、さらに暮らしを良くするための普請へと回っていった。道を直し、井戸を掘り、橋を架ける。潤いが、次の潤いを生む。土地全体が、一つの生き物のように呼吸を始めていた。



***



 ある夕暮れ、エリザベスは湖畔の高みに立ち、暮れていく領地を見渡していた。


 眼下では、まだ荷を運ぶ馬車が道を行き交い、宿の窓には一つ、また一つと灯がともり始めている。遠くから、人々の働く声が風に乗って微かに届いてきた。


 気づけば、こんなにも——。


 心の奥に、静かな感慨が広がっていった。


 自分は、お金を稼ぎたくてこれを始めたのではなかった。最初にあったのは、ただ一つの願いだけだ。この景色を、守りたい。


 婚約を破棄され、王都での居場所を失って流れ着いたこの辺境で、沈みゆく夕日に染まる湖を初めて見たあの日。


 打ちのめされていた心を、それでもそっと掬い上げてくれたのは、この景色だった。失いたくない、と願った。その一念が、始まりだった。


 景観を守りながら、領民を豊かにできないだろうか。あの素朴な問いから、ここまで歩いてきた。


 それなのに、人が集まり、仕事が生まれ、領民が笑い、商人までが自ら訪れて、領地の蔵さえ潤っている。望んだ以上のものが、結果として、この土地にもたらされていた。お金も、人も、笑顔も、気づけばこの土地に根を下ろしている。その巡り合わせの大きさに、エリザベスは少しばかり戸惑いさえ覚えた。


 もちろん、これは自分一人の力ではない。地元の才能を持つ者たちが腕を振るい、友が手を差し伸べ、領民の一人ひとりが汗を流した。皆が築いたものだ。自分はただ、その始まりにいただけにすぎない。


 それでも——。


 エリザベスは、暮れなずむ土地をもう一度、ゆっくりと見渡した。


 この土地は、これからも変わっていくのかもしれない。


 かつて若者を手放し、衰退しかけていた領地だった。それが、本当に生まれ変わろうとしている。そんな確かな予感が、夕風とともに胸を満たしていく。


 道を上ってくる馬車の数は、日に日に増えていた。貴族の馬車、商人の荷車、品を届ける者たちの行き来。その絶えない往来の音を聞きながら、エリザベスは静かに、けれど確かな将来への希望を抱いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ