9-2
普段ならこんな些細な遭遇さえも幸運だと感じていたことだろう。ドキドキして、本当は嬉しくて堪らない気持ちを隠そうと必死だったと思う。
だけど、今はむしろ会いたくなかった。北上くんの姿を見ると、胸が内側から刺されるように痛む。
「……ごめん、起こしちゃった」
いずれにしても彼の前では隠したい感情。悟られたくないと、私は当たり障りない振る舞いでやり過ごす。
とりあえず、お休みのところ大きな音を立ててしまったことは謝る。きっとめちゃくちゃ文句を言ってくるだろうなと、彼の反応まで予測できた。
つもりだったけれども。
「あー、全然大丈夫。飯食ってすぐここ来たから、十五分は寝たし。昼寝としては最適時間だよ」
北上くんにしては珍しいほどしおらしい態度。またしても私の想定から外れ、気持ちが揺さぶられる。
「で、律子はどうしたんだよ。俺に会いに来てくれたのか?」
私の内心などお構いなしの北上くんは、気だるげな所作で立ち上がり、こちらへと近づいてきた。何気ない軽口も、今の私にとってはたちの悪い冗談だ。
「……珠里ちゃんを見かけなかった? 捜してるの」
彼の戯れには応えず、私は自分の目的を告げる。
「珠里? 知らんな」
そもそも寝ていたのだから、宜なるかな。彼から有力な情報は得られるはずもない。
兎にも角にもここにはいないと分かったのだから、ひとまず踵を返す。
その寸でのこと。
「おい、珠里と何かあったのかよ。喧嘩でもしたか?」
北上くんが、問い詰めるように私を引き止める。その声には妙な緊迫感を含んでいて、無視しようにも許されないような感じだった。
「喧嘩なんかしてないよ、珠里ちゃんとは」
「じゃあ何で――」
被せ気味の勢いで、北上くんは私に問う。
「何でそんなしんどそうな顔してんだよ」
力強い視線が瞳を射抜いた。
その引き込む力には抗えないので私も彼の目を見据えていたけれども、言葉で打ち消す。
「私は別に……それよりも、今は珠里ちゃんの方が大変なんだよ」
尤もらしい理由をつけて、その場から立ち去ろうとしたのに、北上くんに手首を掴まれ制される。
「他に大変な奴がいるからって、お前のしんどさがなくなるわけじゃねえだろ」
何を意図しているのか、無自覚か。北上くんの声のトーンが落ちる。腕を掴んだ時の性急さとは反した、優しく諭すような響きだった。
「何があったか知らねえけど、つらいことを一人で我慢したら駄目だ。お前が珠里を心配しているように、俺はお前が心配になる」
あれだけ鈍感でがさつで私の気持ちなんて興味もないはずの北上くんなのに、時々ごく稀に、心を読んだかのような言動を見せることがある。その現象は心なしか、こちらの気持ちが弱っている時ほど起こる傾向にある。
私は自分のなかに後ろ向きな感情が湧いた時、周りにもっとつらい思いをしている人がいるからとか、場の空気を悪くしたくないとか様々な理由をつけて、なかったことにしようとする悪癖がある。他人に知られないようにするためでもあるけれども、それを本当に隠したい相手は自分自身だ。
なのに、そういう時に限って北上くんは、錆だらけの感受性を一丁前に研ぎ澄ませ、埋めて隠したものを掘り返すかの如くドンピシャに指摘してくるのだ。




