7.名前
子どもたちの食事を笑顔で眺めていたアルノー。ふとあることに気付き、そういえばと口を開いた。
「名前を聞いていなかったな。もし嫌じゃなければ、教えてもらえるかい?」
口を開けて固まる少年とは対照的に、少女はパッと顔を上げた。キラキラと輝く瞳に、不安の色はもう見えない。
「コ、コライユです! 綺麗な髪をしてるからって、お母さんが……!」
「珊瑚か……確かに。いい名前だね」
少女は恥ずかしそうに、小さく笑みをこぼした。少し俯き、幸せだった過去へと思いをはせる。
「奴隷になる前……死んじゃったお母さんがつけてくれたんです。『奴隷に名前なんて贅沢すぎる』って、ずっと番号で呼ばれてたから……」
すごく嬉しいと語る少女の目は、母への思いで潤んでいた。
この子はきっと前に進める。アルノーは輝かしい未来に目を細めた。
「そっか……大切にな」
「はい……!」
じゃあ、とアルノーは少女の隣へと視線を移す。固まっていた少年は、アルノーの視線に我に返ったようだった。
「君は? もしよかったら教えてくれ」
「ぼ、くは……」
少年は無意識に視線を下ろす。
コライユが答えている間、ずっと記憶の中を探していた少年。しかし呼ばれた名前が多すぎて、どれを答えたら良いのか分からなかった。
黙ったままでは無視ととられかねない。もうすべて言ってしまえと、少年は口を開いた。
「『おい』」
「ん?」
「『おまえ』、『サンバン』……」
「……」
「『とり』、『カチク』……」
あと、と過去を振り返る少年に、アルノーは待ったをかける。そろって複雑な表情をするアルノーとコライユに、少年は首を傾げた。
「ぼく、なまえ、へん……?」
「いや、変じゃない。ただ……今教えてくれたのは、名前じゃないかもしれないな」
頭をかきながら言葉を選ぶアルノー。優しい言い方はアルノーの努力の賜物だが、それでも少年には十分な衝撃だった。
再度固まる少年を見て、アルノーは慌てて笑みを浮かべた。
「あだ名っていって、本当の名前とは別の名前を呼ぶ人もいるんだよ。君の場合はそれかもしれない」
「べつの、なまえ……」
名前だと思っていたものが名前じゃない。それなら本当の名前は? 誰に訊けば教えてくれる?
足元が崩れていくような感覚に、少年は気づけば服を握りしめていた。
そんな少年を前に、アルノーはよし、と立ち上がった。机を挟んで、少年の肩に手を添える。
「考えよう。本当の名前!」
「え……?」
アルノーはうんうん頷くと、呆ける少年へと視線を向けた。
「こんな名前で呼ばれたいとか……好きな言葉とか……思い浮かぶものあるかい?」
「……」
俯いてしばらく考える少年だったが、結果は芳しくなかった。希望も好きも、少年には無縁の世界。これまで命じられたどんな仕事より、難しいものだった。
可哀想だが、アルノーには想定内。一応悩む素振りを見せたあと、パチンと一回指を鳴らした。
「こういうときこそ、アイツだな」
「?」
今連れてくるから! と言い終わるより先に、アルノーは配給所を出ていった。
◇◇◇
「……それで何故私なんだ」
お待たせとアルノーが連れてきたのは、テントで別れたブランだった。首根っこを掴まれて来たせいか、眉間にはいくつものシワが刻まれていた。
ブランを力ずくで座らせると、アルノーは馴れ馴れしく肩を組んだ。
「俺はセンスないし。頭良い奴の方が引き出しが豊富だろ?」
お願いしますよ参謀サマ〜、と猫なで声を発するアルノーに、ブランはため息をついた。対面に視線を向けると、少年が申し訳無さそうに俯いていた。
引き出しが豊富と言われても、ブランが明るいのは軍事方面や政治方面。人の名前はさっぱりだ。
かといって、ここまで来て断るのも気が引ける。どうしたものかと思案に沈む前に、少年の黒翼へと目が惹かれた。
ブランとは正反対の深い色。気づけば音を紡いでいた。
「……『ノワール』」
「!」
しまったと固まるがもう遅い。すぐに出てきたのも何かの縁だと、ブランは咳払いしてから口を開いた。
「黒には……神秘的な美しさで、人を惹きつける力がある。君の人生も、助けてくれる人に恵まれるように……そしていつか、君が誰かを助けられるように……」
「……」
「だから、『ノワール』」
「……」
「ど、うだろうか……」
ブランにはらしくないほど恐る恐る尋ねた。
子どもたちならまだしも、いつもピーチクパーチク煩いアルノーまで黙っているのだ。何かまずいことを口走っただろうかと、冷や汗の一つや二つ流れもする。
肝心の少年も、ブランを見つめて固まったまま。やはり勘に頼ると碌なことがない。ブランが他候補に意識を切り替えようとしたとき、控えめな声が空気を震わせた。
「の、わーる」
ブランが顔を上げると、光を宿した少年の瞳と目が合った。辿々しくも、慈しむように音を紡ぐ。
「ぼく、のわーる?」
「嫌で、なければ……」
少年の口角がわずかに上がる。注視しなければ分からないほどの、ほんのささいな変化だ。それでもブランには、普段の微笑みの何倍も美しく、記憶に残るものだった。
「こらいゆ、ぼく、のわーる」
「っうん、うん! 素敵な名前だね!」
「『ブラン』が『ノワール』とつけるかあ〜……」
「……なんだ」
また肩を組もうとしてくるアルノーを、無表情で制するブラン。こうしている間も、微笑ましい光景から視線を逸らす様子もない。予想が確信に変わり、アルノーはニヤリと笑みを浮かべた。
「……さては相当気に入ってる?」
煩いという言葉とともに、顎に拳骨を貰ったアルノー。殴られる前に見たブランの耳は、確かに赤く染まっていた。




