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黒翼の番  作者: 市川 九
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5.治療と少女

 羽根が舞うほどの喧嘩を繰り広げていたブランとイリス。終着を迎えたのは、仕事を終えたアルノーが割って入ったからだった。

 テントの中で、少年の治療が進む。ただでさえ治療に慣れていないのに、今回は大人3人の視線付きだ。少年は居心地の悪さを感じ、終始身体を縮こまらせた。

 回復魔法をかけても、傷の残る身体。手練れのイリスでも、魔法で治せるのは数日以内の怪我だけだ。傷が残るということは、それ以前にも酷い怪我をしていた証拠。ブランとアルノーは表情を曇らせた。

 診察に移ったイリスの手が、ある場所でピタリと止まる。少年の翼——羽根が抜け落ちた箇所だった。

 どうした、ブランが声をかけるより先に、イリスが口を開いた。黒い左翼に手がかかる。

「ここ、痛い?」

「……」

 少年は首を横に振る。

「左翼のことよ。本当に痛くない?」

「……ない、です……」

 眉根を寄せる少年に、イリスは微笑んだ。不安をかき消すように、少年の前にしゃがみ込む。

「終わりよ。頑張ったわね」

「あ、ありがと、ございます……」

「お礼が言えて大変よろしい。——アル」

「はいよ」

 イリスはアルノーを指さし、少年の視線を誘導した。

「あのおじさんと一緒に、お風呂に行ってきてくれる? 場所はおじさんが知ってるから」

「おじさんて……シャワーでいい?」

「タオルでお願い」

「りょーかい。よし! おじさんと行こうぜー」

 少年はアルノーに連れられ、テントをあとにした。小さな背が見えなくなると、イリスはハァと天を仰いだ。

「……帰れるのっていつ?」

「二週間後」

「最短は?」

「……明後日。……何かあったのか」

 眉根を寄せるブランに、イリスは真剣な視線を向けた。

「あの子の翼——」


 ◇◇◇


 アルノーに身体を清められた少年は、空き箱に座って空を眺めていた。

 あのあと浴場へ行き、濡れタオルで身体を拭いてもらった。アルノーには自分で拭けると言ったが、彼は世話焼きな性格らしい。断固としてタオルを渡さなかった。

 今思えば、少年がタオルなのに対し、他の奴隷は水を浴びていた。何か違いがあるのかと尋ねたかったが、アルノーはもう別の仕事へ行ってしまった。どうせ質問する勇気もないし、彼が不在で良かったのかもしれない。

 それにしても風が心地良い。こんなにも風が気持ち良く感じるのは初めてだった。

 檻から出してもらえて、治療もしてもらえて。胸にじんわりとした温かさが広がる一方で、底知れない冷たさも感じていた。

 知識の少ない少年でも知っている。与えられて安心していてはいけない。力でもお金でも、与えられた分の価値を返さなくてはならないのだ。それが〝タイトウ〟だと、少年はご主人さま——元主人に教えてもらった。ブランが〝タイトウ〟を大切にしているなら、お返しは必須だ。

 しかし、ブランたちが欲しいもの、かつ少年があげられるものがさっぱり思い浮かばない。少年に私物はないし、力もない。お金なら、また身売りすればなんとかなりそうだが、せっかく檻から出してもらったのだ。また檻に戻るのは違う気がした。

 雲をいくつ見送っても、良い案が思い浮かばない。少年は無意識のうちに声に出していた。

「「どうすれば……」」

 自分以外の声に、少年はハッと横を向く。視線の先には、真ん丸に目を見開いた少女がいた。お互い深く考えすぎて、隣に人がいると気が付かなかったのだ。

 少年の黒い翼をまじまじ見ると、少女はもしかしてと呟いた。

「前の、檻にいた?」

 前、檻……と考えて、少年はあっ、と声を出す。

 数時間前、向かいの檻で膝を抱えていた少女。目の前の少女に似た赤い髪、そして小さな角が生えていた。

 隣の少女は、お向かいさんだったのだ。

 少年は慌てて頭を下げた。

「ごめ、なさい……気づく、ない、くて……」

「いや、あのっ……わたしも、今気付いた、から……ごめんなさい」

 少女も同じように頭を下げる。が、そのあとが続かない。友達とも知り合いとも違う、今初めて会話をした関係。両者とも引っ込み思案なのに、話題を出せと言う方が無理があった。

 永遠にも感じる気まずい沈黙。終わらせたのは、面倒見のいいあの男だった。

「もう仲良くなったのか! 偉い偉い!」

 背後からの声にビクッと肩を揺らした2人だったが、振り返って息をついた。

「ある、の、さま」

 記憶から名を引っ張り出せば、アルノーは口を手で覆った。目を潤ませ、たくましい身体をプルプルと震わせる。

「ッ……もう、俺の名前を覚えて……!」

 おじさんは嬉しい! と、泣きながら2人に抱きついた。速すぎて身構える暇もなかった。

 固まる子どもと、わんわんと涙の止まらない大人。この微妙な空気を打ち消したのは、控えめな音だった。

 ——くぅ〜〜……。

 どこからか聞こえた高音に、犯人はパッと腹をおさえる。隣を見れば、少女が顔を真っ赤に染めて俯いていた。

 アルノーは袖で涙を拭うと、2人に向けてニカッと歯を見せた。

「飯、食いに行こっか!」

 


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