4.価値ある存在
『有翼人はメスの方が高値で売れるってのに、おまえはオスかよ……』
『します? 去勢』
『……いやいい。手術費用が勿体ねぇ。それよかメスのふりさせる方が安上がりで済む……っつーわけだ、ガキ』
無価値なおまえに価値をくれてやる。感謝しろ、と商人は少年の黒髪を引っ掴んだ。ブチブチと毛が抜ける音よりも、眼前の商人の方が怖かったことを覚えている。
『観賞用のままでいたかったら、喋るな。脱ぐな。……俺の言ったことを破ってみろ。おまえの羽根をむしり取って、羽毛布団にしてやるからな』
正直なところ、少年は言われたことの大半は分からなかった。しかし喋る度、着替えようとする度、厳しい罰を受けてきた。口頭での注意より、身体的な苦しみの方が、余程脳には刻み込まれる。
こうして少年は、質問されても無言のまま。人前では決して肌を見せないと学習したのだった。
◇◇◇
数ヶ月、下手をすれば数年ぶりの会話を終えた少年は、無事声が出せたことにホッと息をついた。咳き込む少年に、ブランが水の入ったコップを差し出してくれたおかげだ。
ちびちびと嚥下したあと、水の礼を言おうと前を向くが、感謝の言葉は出てこなかった。
ブランとイリスの反応が、少年の予想と違ったからだ。
「……クズね」
「アルノーはどこだ。ウェルダンでは気が済まない」
俯いて顔を覆っていたと思えば、勢いよく立ち上がるブランとイリス。不穏な気配を漂わせ、テントから出ようとする2人の裾を、少年は慌てて引っ掴んだ。
「ま、まって、くださ……! お時間、とった、あやまる、ますっ……から、どうかっ……!」
「……」
今謝らねば、商人——ご主人さまのもとへ行ってしまう。性別を明かしたと知られれば。そんなもしもを考えただけで、少年の心臓は縮こまった。
地に頭をつけようとする少年を、大きな手が止める。檻から連れ出してくれた、ブランの手だった。
ブランはため息をつくと、同じ目線になるようにしゃがみこんだ。少年の両肩に手を添え、震える夜色の瞳をしかと見つめる。
「……何故止める」
「ごっ、ごめんな、さい……汚い手で……」
「違う、君には怒っていない。何故商人を守るのかと訊いているんだ」
何故。何故と問われても。
「ぼ、ぼくの、ご主人さま、だから」
「違う。アレは君の主人ではない」
「そな、こと……ぼく、価値、くださった、のに」
「価値などくれていないっ!」
突然響いた怒りに、少年は怯んで固まった。少年の様子を一瞥すると、イリスは肩から力を抜いた。花色の眼を閉じ、足元のブランを一蹴りする。
「馬鹿」
「……っ!」
「怯えてる」
ハッと顔を上げるブランに、イリスは仕方がなさそうに腕を組んだ。
「どうせ言葉にするならハッキリ言いなさい。参謀サマが聞いて呆れるわ」
「……」
ブランは眉間にシワを寄せると、再び少年の瞳を見つめた。震えるボロボロの手に、そっと自身の手を重ねる。
「……すまない。怖かっただろう」
「……」
ブンブンと首を真横に振る少年。いくら微笑みを絶やさずとも、口角は確かに震えていた。
少年を安心させるため、なにより自分を落ち着かせるために、ブランはスッと息を吸った。
「ご主人サマとやらが何と言おうと、奴と君は対等——上も下もないんだ。怒ることはあっても、恩に感じる必要はない」
「……で、も……、ぼく、価値、ない……」
「価値とは、人に貰うものではない。自分で決めるものだ。これから、君自身が見つけていくものだ」
「……」
「……まだ、理解できなくていい。だが君には、君の価値を決める権利がある。自由に生き方を選ぶ権利がある」
ブランが手を伸ばすと、少年はギュッと目をつぶった。伸ばした手がピタリと止まる。
しかしそれは一瞬のこと。ブランは微笑んだのち、手を少年の頭にのせた。いつか、優しくされたこともあると、思い出が支えてくれることを願って。
「その手伝いを、私にさせてくれないだろうか。君が、君を信じられるその日まで」
「……」
少年はブランを見つめたあと、おずおずと頷いた。きっと理解はできていない。返事をしなければいけない気がして頷いた。今はそれでもいいと、ブランは栗色の眼を細めた。
「——驚いた」
一件落着した空気に、水を差す高い声。
ブランはいつもの仏頂面に戻し、イリスを睨みつけた。
しかしイリスも気が強い。口を手で隠す謎の配慮をしつつ、言いたいことはしっかり言う。
「アンタ、そんなに優しい顔できたのね」
「……従兄弟のことをなんだと思っているんだ」
「『群れないオレかっこいい……!』って勘違いしてるイタい男」
「なるほどな……」
ブランは立ち上がると、勢いよくテントを開けた。
背後に2人の視線を感じつつ、スッと腹から息を吸う。
「軍医イリス・ベルニエは子どもに手を出そ、」
「うわーーーーーーーー!」
大声で虚偽を広めようとするブランを、これまたイリスが大声でかき消す。
何だなんだと集まる視線に、イリスは堪らずブランの胸ぐらを掴んだ。
「アンタ、アンタマジで……ッ!」
「本当のことだろう。確かにこの目で見た」
「一部でしょうが! デリカシーどこに置いてきた!?」
「デリカシーとは概念であって物体ではない。よって置きようがない」
そんなことも知らんのか。
鼻で笑うブランを前に、イリスの血管はブチ切れた。
「◯☓△□※#〜〜〜!!!!!」
青空の下、取っ組み合いの喧嘩を始めた2人に、周囲の奴隷たちはどよめいた。
しかし同僚たちには日常茶飯時。またやってらと、一瞥すらしない者も多かった。
何やらわからぬ言葉を発し、激しさを増してゆく喧嘩。大声も拳も、少年は苦手だ。それでも何故か、目の前の大人2人から目が離せない。
少年の喉からは、いつの間にかクスリと音が漏れていた。




