3.禁止と許可
檻から出された子どもは、どれだけ経っても微笑みを絶やさなかった。少し休んでいろと座らされた木箱が固くとも、腹からギュルギュルと抗議が起こっても、ずっと微笑みを絶やさなかった。
内心は表情とは真逆だったが。
「お願いよ。どうしても確認したいの」
白衣を着た有翼人の女が子どもの服を引っ張る。それに負けじと、子どもも自身の服を引っ張り返す。女に何度ため息をつかれても、子どもには服を脱げない理由があった。
すべての奴隷を檻から救出したあと、一人ずつテントの中へと呼ばれていった。最初は身構えていた奴隷たちだったが、テントから出てきた仲間を見て、徐々に表情を変えていった。仲間の身体には包帯やテープなど、治療の跡が見られたからだ。
軽い足取りでテントに入る仲間たちとは反対に、子どもの足は鉛のように重かった。
『——俺の言ったことを破ってみろ。おまえの羽根をむしり取って、羽毛布団にしてやるからな』
いつか商人に言われた言葉が、脳内を何度も巡る。子どもは震える身体を、借りたローブごと抱きしめていた。
「——次の方」
「……!」
子どもの肩がびくりと跳ねる。そっと確認した隣にはもう誰もいない。テントから顔を覗かせた女も自分を見ている。間違いなく子どもの番だった。
「……大丈夫? 動けないなら、」
近寄ってきた女に勢いよく首を振る。真横に振った以上、動かないわけにはいかない。子どもはローブを抱きしめたまま、俯き加減でテントへと入った。
出入り口を塞がれ、ツンとした匂いが鼻をくすぐる。棚に並ぶ包帯や液体。横になることを許されているのか、ベッドのようなものまであった。
「傷を確認させて。ローブは預かるわね」
女はローブを瞬く間に奪い取り、子どもをベッドへと促した。身体を包んだ温かさは過去のもの。今子どもを包み込むのは、底の知れない恐怖だった。
子どもの傷は見える範囲には留まらない。服の下にも無数にあることは、子どもだって理解している。子どもに理解できて、目の前の女に理解できないことなどあるだろうか。
「服の下も、……」
女の華奢な手が服へと伸びる。が、触れさせるわけにはいかない。子どもは手が届かないよう、スッと後退した。女の眉がピクリと動く。
手が伸びる。避ける。手が伸びる。避ける。手が伸びる。避ける。……。
流石に何度も避けられれば、誰しも違和感を覚える。女は伸ばした手を膝に置き、子どもと視線を合わせた。
「身体を見られたくない?」
「……」
子どもはコクリと頷く。
「私しか見ないわ」
「……」
子どもは真横に首を振る。
「見られたくないところは隠していい。それでもダメ?」
再度真横に振る。女は堪らず顔を覆った。
「……回復魔法で治せる傷にも限度がある。どれが治せたか。どれが治せなかったか。治せなかったものには、どんな治療が必要か。それを考えるのが私の仕事」
「……」
「事情があるのは察する。でもあなたの怪我は、見える範囲だけでも相当酷い。放っておけば命に関わる。余計に苦しむことになる」
「……」
「お願い。治療をさせて」
子どもは再度、首を真横に振った。
酷いことをしている自覚はある。差し出された善意を無下にしているのだ。胸が締め付けられるのも当然のこと。
しかしこの善意を受け取れば、のちにもっと酷い目に遭うことを子どもは知っている。最善を考えれば、絶対に治療を受け入れるわけにはいかなかった。
俯く視界に、ガッと勢いよく手が伸びる。弾かれたように顔を上げれば、有無を言わさぬ女の顔があった。
「ごめんなさいね。だけど私は医者。重傷者が目の前にいるのに放っておけない!」
「……!? ……っ!」
一方は服を剥ごうと引っ張り、一方は服を脱ぐまいと引っ張り返す。狭いテントで繰り広げられる、意地と意地のぶつかり合い。
そんな戦いに終止符を打ったのは、子どもにとって一番身近な存在だった。
「……イリス」
テントに差し込む暖かい光。子どもと女——イリスが顔を向ければ、テントを覗き込むブランの怪訝な顔があった。
子どもはイリスの力が緩んだのを確認すると、すかさずブランの背後へと移動した。慌てて駆けてきた背中の温もりに、ブランは呆れたようにイリスを見た。
「欲求不満か?」
「違う!」
「そういうことは旦那と、」
「違うっつってんでしょうが! 話聞け!」
アンタと話してるとイライラする! と、イリスは頭を掻きむしった。連れ出される前に見たものと似たような光景。
もしかすると。いや、もしかしなくとも。
子どもはそっとブランを見上げる。
意外と性格が悪い。この日、子どもの脳内で、ブランの印象が決まった。
なおこの印象は、長年にわたり引き継がれるものとなる。
◇◇◇
落ち着きを取り戻したイリスから正しい経緯を説明されることしばらく。3人は別テントへ移動し、イリス対ブランらとなるように向かい合っていた。子どもの説得が長くなりそうだと察したからだ。
ブランは再び子どもをローブでくるんでやり、居心地の悪そうな眼へと視線を合わせる。
「どうして治療を受けたくないんだ?」
「……」
「あの商人に何か言われたか?」
「……」
質問者がブランに変わろうと、うんともすんとも言わない子ども。ブランにわずかな希望を見出していたイリスの顔には、終わった……、とありありと書かれていた。
ブランは口元に手を当てて考え込むと、どこか遠くを見ているイリスを指さした。
「コイツが嫌か?」
「ハァ!?」
「……ッ」
生気を取り戻したイリスが勢いよく立ち上がる。子どもも勢いよく首を真横に振った。イリスに原因があるわけではない。商人に口酸っぱく言われていた決まり事が原因なのだ。
しかし喋らなければ、伝えたいことも伝わらない。案の定勘違いしたイリスはハッとし、先程の勢いが嘘のように、大人しく椅子に座った。両膝の上で、グッと手を握りしめる。
「……そうよね。あなたの意向を無視しておいて、私の都合は通そうとするなんて……嫌われて当然だわ」
「……っ!」
子どもはブンブンと首を振るが、もう遅い。イリスは他の軍医を呼ぼうと気怠げに立ち上がった。
「どんな人がいいか教えてくれる? できるだけ希望に沿った奴を連れてくるわ」
「……っ!」
「まずは……性別か? 同性の男だったら、」
「えっ、……っ!」
「は……」
「え?」
しまった、と慌てて口を押さえる子ども。しかしブランとイリスの眼は、しっかりと子どもを捉えていた。大きく見開かれていることから、声を聞かれたことは確定だろう。
子どもは震えながら手を下ろすと、意を決して口を開いた。
「な……、なんで、わかる……、ですか?」
男だって。
そう尋ねる子ども——少年の顔色は、今にも倒れそうなほど青白かった。




