39.おともだち
本の交渉に行ったフォシーユとシトロンだが、結果は丸。ブランも間違いなく了承するだろうから、使用人の方でいくつか候補を探しておいてくれるそうだ。その中から、ブランが選んだものを手配してくれるらしい。
部屋に戻るなり、腕で大きく丸を作ってくれた二人。その姿と優しさに、ノワールは自然と表情を緩めていた。二人の動きがピシリと固まる。
それもそのはず。これまで見てきたノワールは、喜びの表現に難儀していた。俯いたり、口を引き結んでみたり。しかし微笑みだけは訓練されたように完璧なので、使用人たちは胸を痛めていたのだ。
そんなノワールが今。頬は淡く染まり、夜色の瞳は月のように弧を描く。余計な力の抜けた口角は、ふにゃりと優しく上げられていた。
まるで春を迎えた蕾の開花。立ち会えた二人は、ボッと顔を紅潮させた。体を寄せ合い、掌をギュッと握りしめる。
「……見ましたかシトロンくん」
「……見ましたよフォシーユさん」
——可愛すぎる。ノワールの新たな表情に、二人の鼓動はピークに達した。
「国宝級ですよ……」
「俺、未来の番さまに呪われないでしょうか……?」
当て馬だけは勘弁です。シトロンの呟きは、鳥の囀りに紛れて消えていった。
◇◇◇
ノワールの笑顔に絆されたのか、シトロンは教師役を買って出た。本の紹介を断ったことの代わりらしい。
仕事の空く昼食後ならと言うので、ノワールは激しく頷いた。早くできるに越したことはない。ノワールが感謝を述べると、また赤面して視線を逸らされたが。
上機嫌で昼を待つノワールだったが、時間が経つにつれ笑顔は減った。また熱が出たのだ。
「ごめんなさい……」
「謝る必要はございませんよ」
体のだるさで勉強どころではない。ソファに横たわるノワールに、シトロンは眉尻を下げた。
「勉強は逃げませんから。今は体調の回復を第一になさってください」
きれいに礼をすると、シトロンは部屋を出ていった。せっかく親切にしてくれたのに、台無しにしてしまって申し訳ない。
人が一人減るだけで、何かが違う。ノワールは布団をキュッと握ると、部屋に残るフォシーユを眺めた。
「……フォシーユ、さん」
「はい、ノワールさま」
如何されましたか、と微笑むフォシーユ。その笑顔が心強く、同時に胸が痛む。
「ぼく、ひとり、へいき、です。おしごと、いく、ください……」
もう捨てられたと勘違いして、泣いたりしない。黒歴史を思い出し、ノワールは赤い顔をさらに赤くした。
余談だが、今寝ているソファは新しい物だ。あの日、使用人たちが家具店を訪問しまくってくれたおかげで、背もたれの低いソファを獲得することができた。翼が背もたれにぶつかりにくく、寝返りがうちやすい。デザインが混在し、部屋の雰囲気をぶち壊してしまっているが。
迷惑ばかりかけてしまう。ノワールが顔まで布団を被ると、フォシーユは眉尻を下げた。
「お気遣いありがとうございます、ノワールさま」
「……」
「ですがご安心を。私の本日の仕事は、ノワールさまのお側にいることですので」
胸を張るフォシーユに、ノワールは目を見開いた。
仕事か。仕事なら良いのかも。ぼんやりする頭で答えを出すと、ノワールは小さく笑みを浮かべた。
「ありがと、ございます」
「!」
フォシーユは優しく目を細めると、使用人冥利に尽きますね、と微笑んでいた。
◇◇◇
「——でお渡ししてください」
「いや、それはちょっと……」
何やら渋るような声がする。いつの間にか眠っていたらしい。ノワールは目を開けると、扉の方へと視線を向けた。
「しとろ、さん……?」
「!」
「ノワールさま」
起こしてしまい申し訳ありませんと、フォシーユが駆け寄って来る。よく見えるようになった扉には、気まずそうなシトロンの姿があった。トレーを手にし、上にはグラスを乗せていた。
「体調は如何ですか?」
眉尻を下げるフォシーユに、ふらふらと腕を差し出す。腕の医療用魔導具は、三十七度四分を示していた。
「いい、ないかも、です。あつい……」
「暑い……」
フォシーユは表情を曇らせると、扉へと視線を向けた。部屋に入ろうとしないシトロンを、じとっと睨みつける。
「出番ですよ。早くしてください」
「う……」
シトロンは閉目すると、失礼いたしますと一歩踏み出した。ノワールの近くに膝を付き、トレーをおずおずと机に置く。
「よろしければ、お召し上がりください……」
机に置かれた、透明なグラス。その上には、白い塊が鎮座していた。
「……?」
「アイスといいます。冷たいので、発熱時には丁度良いかと……」
視線を彷徨わせながら、ポツポツと話すシトロン。わざわざ来てくれた事実に、得体の知れなさはどうでも良くなっていた。
スプーンを取り、球体に亀裂を入れる。一口すくうと、迷いなく口に運び込んだ。冷たさにピャッと目を見開く。
これは止まらないかも。どんどん運び込むノワールの耳に、ゴクリと唾を呑む音がした。眉間にシワを寄せたシトロンに、ハッと食べ進める手を止める。
忘れてしまっていた。ノワールはじわじわ赤面すると、ギュッとスプーンを握りしめた。
「おいし、です」
「っ、」
「ありがと、ございます」
シトロンはしばし固まると、ハッと肩を揺らした。視線を逸らすと、勿体ないお言葉、恐縮です、と頬を染めた。
滑らかな舌触りと、口に広がる優しい味が堪らない。
何で出来ているのか。この味は一体。次々と質問するノワールの耳に、鈴の鳴るような声が届く。
『コレモ食エ、新人!』
『風邪ニ効ク! 風邪ニ効ク!』
バルコニーから響く、高い声。アイスによく似た小鳥たちは、手すりから床へと飛び降りた。咥えていた赤い実を落とし、窓を激しくつつき始める。
ノワールが首を傾げる一方、シトロンは深々とため息を吐いた。窓に近づき、外の小鳥たちを見下ろす。
「『新人』じゃなくて『ノワールさま』! あとそれクソ不味いヤツだろ!」
吐いたこと忘れてないからな! と怒るシトロンに、小鳥たちは何やら文句を言っていた。窓を挟んで始まった喧嘩に、ノワールは固まった。
会話が出来ている? 一方的に聞こえるだけのはずなのに。後ろ姿から目が離せないノワールに、フォシーユは眉根を寄せた。
「ノワールさま? どうかなさいましたか?」
「……シトロンさん、はなし、できてる、です」
フォシーユは少し考え込むと、ああ、と笑みを浮かべた。
「シトロンは『先祖返り』なのです」
「センゾガエリ?」
「ええ——シトロン!」
フォシーユの声に、シトロンは肩を揺らした。劣勢なのか、振り返った顔は険しいものだった。
「ノワールさまに、あなたの体質についてご説明を」
「……フォシーユさんから、」
「私は『先祖返り』ではありませんので。……ノワールさまのお望みですよ」
ほら早く、とせっつかれ、シトロンはギュッと閉目した。そそくさと近寄り、ノワールの前で背筋を伸ばす。
「えー……『先祖返り』とは、有翼人で稀に表れる体質です」
一般的な有翼人は、同郷の鳥の声をほんの少し理解できる。黒翼のノワールも聞こえるだけだ。有翼人の声を鳥に理解してもらうことはできない。
しかし先祖返りは違う。鳥の声は全て理解できるし、有翼人からも理解してもらうことができる。会話が可能というわけだ。
「私は挨拶程度しか聞き取れませんから……先ほどの囀りも、ピィピィとしか聞こえませんね」
「その方が良いですよ。会話が出来ると分かると、あいつら好き勝手言ってきますから」
玩具にされるだけですよ、とシトロンは眉根を寄せた。表情から察するに、相当苦労しているようだ。
あと、とシトロンはバルコニーを指さした。窓の外では、小鳥が小首を傾げていた。
「あいつらが渡してくる物は召し上がらないでください。悪戯も紛れておりますので」
「いたずら?」
「迷惑になるようなこと、でしょうか」
何度腹を壊したことか。苦虫を噛み潰したような顔をするシトロンに、ノワールは瞳を輝かせた。
「シトロンさん、すごい……!」
「えっ、」
「はなす、できるし、とりさん、くわしい……すごい、です」
興奮気味に、拳をぶんぶんと振るノワール。シトロンは口を開けて固まると、すぐに首を横に振った。
「いや、そんな……たまたまですし」
「アイス、おいしい、べんきょう、できる、すごい」
シトロンは後退りしながら、口角をヒクヒクと震わせた。
何てこった。こんなつもりではなかったのに。
今回部屋を訪れたのは、趣味の口止めを忘れていたから。熱が心配だったわけでも、気に入られようと思ったわけでもない。ただの保身、それだけだった。
それがこんなにキラキラした目を向けられるなんて。気まずさから退室しようとするシトロンを、ガッと捕まえる者がいた。並外れた力に、腕がギリギリと悲鳴を上げる。
「逃がしませんよ」
「ヒィ……」
背後からの鋭い視線に、シトロンはガタガタ震えることしかできなかった。
キョトンとするノワールに、フォシーユは百八十度雰囲気を変える。
「『光栄です。もしよろしければ仲良くしてください』と申しております」
そんなことは一言も言っていない。しかし素直なノワールは、パッと表情を明るくさせた。
「はいっ……!」
眩しい笑顔がもはや痛い。シトロンは信条も忘れ、よろしくお願いいたします、と呟いていたのだった。
ちなみに口止めはできなかった。




