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黒翼の番  作者: 市川 九
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39/41

39.おともだち

 本の交渉に行ったフォシーユとシトロンだが、結果は丸。ブランも間違いなく了承するだろうから、使用人の方でいくつか候補を探しておいてくれるそうだ。その中から、ブランが選んだものを手配してくれるらしい。

 部屋に戻るなり、腕で大きく丸を作ってくれた二人。その姿と優しさに、ノワールは自然と表情を緩めていた。二人の動きがピシリと固まる。

 それもそのはず。これまで見てきたノワールは、喜びの表現に難儀していた。俯いたり、口を引き結んでみたり。しかし微笑みだけは訓練されたように完璧なので、使用人たちは胸を痛めていたのだ。

 そんなノワールが今。頬は淡く染まり、夜色の瞳は月のように弧を描く。余計な力の抜けた口角は、ふにゃりと優しく上げられていた。

 まるで春を迎えた蕾の開花。立ち会えた二人は、ボッと顔を紅潮させた。体を寄せ合い、掌をギュッと握りしめる。

「……見ましたかシトロンくん」

「……見ましたよフォシーユさん」

 ——可愛すぎる。ノワールの新たな表情に、二人の鼓動はピークに達した。

「国宝級ですよ……」

「俺、未来の番さまに呪われないでしょうか……?」

 当て馬だけは勘弁です。シトロンの呟きは、鳥の囀りに紛れて消えていった。


 ◇◇◇


 ノワールの笑顔に絆されたのか、シトロンは教師役を買って出た。本の紹介を断ったことの代わりらしい。

 仕事の空く昼食後ならと言うので、ノワールは激しく頷いた。早くできるに越したことはない。ノワールが感謝を述べると、また赤面して視線を逸らされたが。

 上機嫌で昼を待つノワールだったが、時間が経つにつれ笑顔は減った。また熱が出たのだ。

「ごめんなさい……」

「謝る必要はございませんよ」

 体のだるさで勉強どころではない。ソファに横たわるノワールに、シトロンは眉尻を下げた。

「勉強は逃げませんから。今は体調の回復を第一になさってください」

 きれいに礼をすると、シトロンは部屋を出ていった。せっかく親切にしてくれたのに、台無しにしてしまって申し訳ない。

 人が一人減るだけで、何かが違う。ノワールは布団をキュッと握ると、部屋に残るフォシーユを眺めた。

「……フォシーユ、さん」

「はい、ノワールさま」

 如何されましたか、と微笑むフォシーユ。その笑顔が心強く、同時に胸が痛む。

「ぼく、ひとり、へいき、です。おしごと、いく、ください……」

 もう捨てられたと勘違いして、泣いたりしない。黒歴史を思い出し、ノワールは赤い顔をさらに赤くした。 

 余談だが、今寝ているソファは新しい物だ。あの日、使用人たちが家具店を訪問しまくってくれたおかげで、背もたれの低いソファを獲得することができた。翼が背もたれにぶつかりにくく、寝返りがうちやすい。デザインが混在し、部屋の雰囲気をぶち壊してしまっているが。

 迷惑ばかりかけてしまう。ノワールが顔まで布団を被ると、フォシーユは眉尻を下げた。

「お気遣いありがとうございます、ノワールさま」

「……」

「ですがご安心を。私の本日の仕事は、ノワールさまのお側にいることですので」

 胸を張るフォシーユに、ノワールは目を見開いた。

 仕事か。仕事なら良いのかも。ぼんやりする頭で答えを出すと、ノワールは小さく笑みを浮かべた。

「ありがと、ございます」

「!」

 フォシーユは優しく目を細めると、使用人冥利に尽きますね、と微笑んでいた。


 ◇◇◇


「——でお渡ししてください」

「いや、それはちょっと……」

 何やら渋るような声がする。いつの間にか眠っていたらしい。ノワールは目を開けると、扉の方へと視線を向けた。

「しとろ、さん……?」

「!」

「ノワールさま」

 起こしてしまい申し訳ありませんと、フォシーユが駆け寄って来る。よく見えるようになった扉には、気まずそうなシトロンの姿があった。トレーを手にし、上にはグラスを乗せていた。

「体調は如何ですか?」

 眉尻を下げるフォシーユに、ふらふらと腕を差し出す。腕の医療用魔導具は、三十七度四分を示していた。

「いい、ないかも、です。あつい……」

「暑い……」

 フォシーユは表情を曇らせると、扉へと視線を向けた。部屋に入ろうとしないシトロンを、じとっと睨みつける。

「出番ですよ。早くしてください」

「う……」

 シトロンは閉目すると、失礼いたしますと一歩踏み出した。ノワールの近くに膝を付き、トレーをおずおずと机に置く。

「よろしければ、お召し上がりください……」

 机に置かれた、透明なグラス。その上には、白い塊が鎮座していた。

「……?」

「アイスといいます。冷たいので、発熱時には丁度良いかと……」

 視線を彷徨わせながら、ポツポツと話すシトロン。わざわざ来てくれた事実に、得体の知れなさはどうでも良くなっていた。

 スプーンを取り、球体に亀裂を入れる。一口すくうと、迷いなく口に運び込んだ。冷たさにピャッと目を見開く。

 これは止まらないかも。どんどん運び込むノワールの耳に、ゴクリと唾を呑む音がした。眉間にシワを寄せたシトロンに、ハッと食べ進める手を止める。

 忘れてしまっていた。ノワールはじわじわ赤面すると、ギュッとスプーンを握りしめた。

「おいし、です」

「っ、」

「ありがと、ございます」

 シトロンはしばし固まると、ハッと肩を揺らした。視線を逸らすと、勿体ないお言葉、恐縮です、と頬を染めた。

 滑らかな舌触りと、口に広がる優しい味が堪らない。

 何で出来ているのか。この味は一体。次々と質問するノワールの耳に、鈴の鳴るような声が届く。

『コレモ食エ、新人!』

『風邪ニ効ク! 風邪ニ効ク!』

 バルコニーから響く、高い声。アイスによく似た小鳥たちは、手すりから床へと飛び降りた。咥えていた赤い実を落とし、窓を激しくつつき始める。

 ノワールが首を傾げる一方、シトロンは深々とため息を吐いた。窓に近づき、外の小鳥たちを見下ろす。

「『新人』じゃなくて『ノワールさま』! あとそれクソ不味いヤツだろ!」

 吐いたこと忘れてないからな! と怒るシトロンに、小鳥たちは何やら文句を言っていた。窓を挟んで始まった喧嘩に、ノワールは固まった。

 会話が出来ている? 一方的に聞こえるだけのはずなのに。後ろ姿から目が離せないノワールに、フォシーユは眉根を寄せた。

「ノワールさま? どうかなさいましたか?」

「……シトロンさん、はなし、できてる、です」

 フォシーユは少し考え込むと、ああ、と笑みを浮かべた。

「シトロンは『先祖返り』なのです」

「センゾガエリ?」

「ええ——シトロン!」

 フォシーユの声に、シトロンは肩を揺らした。劣勢なのか、振り返った顔は険しいものだった。

「ノワールさまに、あなたの体質についてご説明を」

「……フォシーユさんから、」

「私は『先祖返り』ではありませんので。……ノワールさまのお望みですよ」

 ほら早く、とせっつかれ、シトロンはギュッと閉目した。そそくさと近寄り、ノワールの前で背筋を伸ばす。

「えー……『先祖返り』とは、有翼人で稀に表れる体質です」

 一般的な有翼人は、同郷の鳥の声をほんの少し理解できる。黒翼のノワールも聞こえるだけだ。有翼人の声を鳥に理解してもらうことはできない。

 しかし先祖返りは違う。鳥の声は全て理解できるし、有翼人からも理解してもらうことができる。会話が可能というわけだ。

「私は挨拶程度しか聞き取れませんから……先ほどの囀りも、ピィピィとしか聞こえませんね」

「その方が良いですよ。会話が出来ると分かると、あいつら好き勝手言ってきますから」

 玩具にされるだけですよ、とシトロンは眉根を寄せた。表情から察するに、相当苦労しているようだ。

 あと、とシトロンはバルコニーを指さした。窓の外では、小鳥が小首を傾げていた。

「あいつらが渡してくる物は召し上がらないでください。悪戯も紛れておりますので」

「いたずら?」

「迷惑になるようなこと、でしょうか」

 何度腹を壊したことか。苦虫を噛み潰したような顔をするシトロンに、ノワールは瞳を輝かせた。

「シトロンさん、すごい……!」

「えっ、」

「はなす、できるし、とりさん、くわしい……すごい、です」

 興奮気味に、拳をぶんぶんと振るノワール。シトロンは口を開けて固まると、すぐに首を横に振った。

「いや、そんな……たまたまですし」

「アイス、おいしい、べんきょう、できる、すごい」

 シトロンは後退りしながら、口角をヒクヒクと震わせた。

 何てこった。こんなつもりではなかったのに。

 今回部屋を訪れたのは、趣味の口止めを忘れていたから。熱が心配だったわけでも、気に入られようと思ったわけでもない。ただの保身、それだけだった。

 それがこんなにキラキラした目を向けられるなんて。気まずさから退室しようとするシトロンを、ガッと捕まえる者がいた。並外れた力に、腕がギリギリと悲鳴を上げる。

「逃がしませんよ」

「ヒィ……」

 背後からの鋭い視線に、シトロンはガタガタ震えることしかできなかった。

 キョトンとするノワールに、フォシーユは百八十度雰囲気を変える。

「『光栄です。もしよろしければ仲良くしてください』と申しております」

 そんなことは一言も言っていない。しかし素直なノワールは、パッと表情を明るくさせた。

「はいっ……!」

 眩しい笑顔がもはや痛い。シトロンは信条も忘れ、よろしくお願いいたします、と呟いていたのだった。


 ちなみに口止めはできなかった。

 


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