40.拗ねる
ブランにとって、仕事は人生そのものといっても過言ではない。
八歳で訓練生として軍に入隊し、十二歳で軍の最下級——二等兵からスタートした。すべては贖罪と復讐のため。奴隷救出から魔物の討伐まで、要請があれば何処へでも駆けつけた。ただただがむしゃらに働き、気づけば今の地位——参謀総長まで上り詰めていた。
机仕事が主になっても、この生活は変わらない。使用人にどれだけ心配されようと、怒られようとも働いた。自分は罪人の息子。それで良いと思っていた。
今、とてつもなく後悔しているが。
「きょう、フォシーユさん、いっしょ、でした」
瞳を輝かせて、その日あったことを報告してくれる子ども——ノワールとの時間が取れないことだ。
ノワールは助けた元奴隷であり、ブランの養子だ。養弟にすることもできたが、あの汚れた母の子どもにはしたくない。だから微妙な年齢差でも、養子として迎えた。
引き取るにあたり、できるだけ側にいようと決めていたブラン。手術後で体調を崩しやすいというし、看病だって自分がやろうと思っていたのだ。
しかし現実はどうだ。休暇には当たり前のように仕事が入り、定時を過ぎても帰れない。夕食までには帰ると宣言したのに、最近は寝る前ギリギリに帰宅できれば良い方だ。看病のかの字もできていない。
本日も帰りが遅くなったブランは、夕食を一緒に取れなかった。代わりにノワールが寝るまで話を聞く。不本意ながら、それが最近の日課になっていた。
ソファをくっつけ、ノワールは横になり、ブランは座る。形の良い額に触れれば、微熱のせいかしっとりと汗ばんでいた。
「フォシーユさん、まほう、つかえる、すごいです」
私だって使えるが? という本音を飲み込み、そうだなと相槌する。
ノワールが話す内容は、使用人たちのことばかりだ。一日のほとんどを共に過ごしているから当然なのだが、ブランの胸は何故かモヤモヤしてしまう。ノワールとの時間は、数少ない癒しのはずなのに。
「ぼく、こまると、すぐ、きづく、くれます。すごく、たすかる、です」
私だって気づけるが? とは言えず、私もよく助けられていると目を細める。
「あと、きょう、シトロンさん、なかよし、なれました」
シトロンまで? とはまさか言えず、そうかと微笑む。
「シトロンさん、べんきょう、できる、とりさん、おはなし、できる、すごいです」
勉強は私の方ができるが? と出かかった本音を飲み込む。鳥との会話はブランの不戦敗なので、張り合ってはいけない。
「シトロンさん、アイス、つくる、くれました。あまい、いう、みたい、です」
私だって作れるが? むしろ教えたのは私だが? とは言えず、良かったなと閉目する。
そんなやりとりを繰り返しているうち、すうすうと規則的な寝息が聞こえてきた。ノワールの夜色の瞳は、瞼にしっかりと隠されていた。
今日も集中して聞いてやれなかった。ブランは静かにため息を吐くと、ノワールの布団を掛け直した。
「……おやすみ、ノワール」
ブランは小さな頭を撫でると、ソファから静かに立ち上がった。
この状況を何とかしなくては。そんな決意を胸に、ブランは自室をあとにした。
◇◇◇
ノワールの就寝を確認してから、ブランの夕食は始まる。しかしその光景は、ブランの家特有のものだろう。
「——不審者、不審物共にありませんでした。結界も問題なく稼働しております」
肉を口に入れながら、シュヴァリエの報告を聞く。物騒な内容だが、これが日常。ブランは夕食時、使用人たちから一日の報告を受けているのだ。
ブランは過去の事件や立場の問題で、恨まれることが多い。事実、ナイフを持った男に襲撃されたことも、屋敷に動物の死骸を送りつけられたこともある。
そのため使用人は、信頼できる者、ある程度戦える者しか雇っていない。ノワールが気づかず過ごせているのは、彼らの頑張りがあるからこそ。その点では頭が上がらないが、面白くないものは面白くない。ブランは早々に食べ終えると、カトラリーを置いた。
「——五日後の病院だが」
五日後の病院——ノワールの退院後診察の日だ。退院後問題がないか調べるため、ノワールを連れてくるよう言われている。
「私が連れて行く」
「「「……」」」
食堂に満ちる静寂。わざわざ答えを聞かずとも分かる。使用人たちの『は?』と言いたげな視線が、ブランの体を突き刺したからだ。
しかしもう決めたこと。黙ってワインを呑むブランに、控えめな咳払いが主張する。
「失礼ですが坊ちゃま」
「……」
「その日は、お仕事のはずでは?」
眉尻を下げるシュヴァリエ。
そんなことは百も承知だ。だから何とかしようとしているのだろうと、ブランは眉間にシワを寄せた。
「休む」
「……」
「休む」
「聞こえております」
シュヴァリエのあからさまなため息。せめて隠せと内心で毒づきながら、ワインを煽る。
「私共がお連れいたします。わざわざ休まれずともよろしいかと」
「いい。私が行く」
「……坊ちゃま」
また責任云々言うのだろう。そうはさせないと、ブランはグラスを置く手に力を入れた。カン、とテーブルから悲鳴が上がる。
「私はノワールの養父だ。養父には養子の健康を気にかけ、通院に同行する義務がある。違うか?」
「……一般的には正しいかと存じますが、坊ちゃまには我々使用人がおりますので」
「すべてオマエたちに任せていては、愛情がないだ何だと悪評の原因になる」
「参謀総長が急に休まれるのは如何なものかと」
「休めるように仕事を進めている。申請も提出済みだ」
「お金がありませんので」
「今日支給された。生活費、人件費、家具等の返済、貯蓄に回せる分まで、十分にあることは確認済みだ」
「……ノワールさまが、気にされるかと」
「しない。させない」
決定だ、いいな? と言い残し、ブランは立ち上がった。マナーを教える立場なのに、今日は欠片も気にしていない。
すたすたと歩き始めたブランに、シュヴァリエは深々とため息を吐いた。礼だけは完璧にこなす。
「……坊ちゃまがお連れすることも視野に、」
「視野ではない。確定だ」
「……確定して、予定を組ませていただきます」
ブランはフンと鼻を鳴らすと、また歩みを始めた。遠ざかる背に、使用人たちは顔を見合わせる。
「……一月分は話されたのでは?」
「いつも屋敷のことは任せっきりなのにね」
「何かあったのかしら……」
どう思います? と同僚兼息子たちの視線が向く。すでに見えなくなった主に、シュヴァリエはため息を吐いた。
「拗ねておられるのだよ」
「すね……?」
息子たちが揃って首を傾げる。
心配せずとも良いだろうに。
ノワールが最も信頼しているのは、他でもないブランなのだから。
『ブランさま、きょう、ごはん、いっしょ、ですか?』
ブランの帰宅を、今か今かと待ち望んでいたノワール。
普段の様子を思い浮かべながら、シュヴァリエは予定を変更し始めたのだった。




